見出し画像

初海外 カンボジア

カンボジアに行ってきた。孤児院の子どもたちと一緒にカンボジアに行ったメンバーと過ごして、その時に出会った人と話して、生活してみて、日本との違いを感じたり、何がしたいのかを考えたり、少し自分と向き合う時を過ごすことができた。感じたことをnoteに残しておこうと思う。

きっかけ

2024年8月、初めて日本を出て「カンボジア」で過ごした。ずっと「海外に行ってみたい」という気持ちはあったけど、踏み出せずにいた。大学生として最後の夏、後悔したくないなと思っていた。前回、海外WSに参加した人と話す中で「行ってみたい!」と思った。不安とワクワクの中、「海外WSカンボジア くっくま孤児院」に申し込んだ。

参加前

はじめての海外だったから「パスポート申請」「搭乗券の買い方」「持ち物」等、様々な不安があった。色んな不安があったが、1つ1つ海外WSのリーダーや副リーダーと一緒に解消することが出来た。中でも「搭乗券」や「持ち物」に関する不安はあったが、サポートしてもらい、出国前の不安を出来るだけ減らした中で参加することが出来た。

カンボジアで子どもたちと出会って「くっくま孤児院」

 くっくまの子に会いに行って、一緒にMVを創るために活動できたのは7日間。関われた時間は1日数時間。短い時間だったけれど、子どもたちから、たくさんのエネルギーを貰えた日々だった。一緒に遊んだり、話したり、クメール語を教えてもらったり、アート班として活動したり、みんなでワークショップをしたり、、、。色んな挑戦が出来た日々で、成功も反省も収穫のある日々だった。
「クメール語」
 はじめに子どもたちから日本語で自己紹介、日本人キャストからクメール語で自己紹介をした。クメール語、本当に難しい‼︎7日間、子どもたちにたくさん教えて貰った。何回も聞き直す私だったけど、諦めずに続けた結果、「まりな、クメール語出来るね!」と子どもたちに伝えて貰えて嬉しかった。少しだけ、自己紹介程度なら出来るようになった笑
間違えていたら、また教えて貰おう、、、笑

「チャムリアップスオー(こんにちは)」
「チョムリアップリア(さようなら)」
「クニョムチュモア〇〇(私は〇〇です)」
「モーパイピーチュナム(22歳です)」
「モイ、ピー、バイ、ヴォン、プラン」
「チャム!アチャムテイ(出来る!出来ない)」
「ダップアップ(始まるよ)」
「ボンマン?(いくら?)」
あと1-9(1モイ、2ピー、3バイ、4ヴォン、5プラン、6-9は5+1みたいな感じで増えていく)までは言えるようになった。これは会う度に言ったり、ホテルの清掃員さんにも教えて貰っていた。とにかく、反復してクメール語を話す人たちに教えて貰うことが大切だなと思った。

「アート班」
 アート班で私に与えられた大きな役割は「MV中に飾る大きなものを創る」というものだった。会ったこともない子たちと今までやったことがないことをする、私にとって挑戦だった。アート班のはると一緒に考えたけど、不安だった。そんなときに「大丈夫だよ。何とかなるよ」って声をかけてもらえた。何となく心強かった。「やってみるしかない」と思えた。「上手くいった」も「上手くいかなかった」も挑戦してみないと分からない。どんなことでも挑戦したからこそ分かる収穫物、そう思った。
 たくさんの試みと臨機応変さと反省をして、全員で何をしたいか決めた。子どもたちが一生懸命に楽しそうに活動している姿を見て、アート班の中で繋がりが出来ていく姿を見て、温かい気持ちになった。
 全員で創る「アートWS」は参加者の笑顔や好奇心を引き出せて、それを実感することが出来て良かったなと思った。「やったことなくて楽しかった!」と伝えてくれた子もいた。全員で「アートWS」をする前に、みんながもう1つのWSをしている時に少し1人で準備をした。「準備が間に合わないかも」と1人で心配になっていた時、アート班で一緒だったある子がそっと近くに来て一緒に準備してくれた。私の拙いクメール語を理解してくれて、黙々と一緒に準備をしてくれた。よく見えていて、一緒に創ってくれる実感を得ることができた。
 アート班の子たちは、絵を描くことが好きな子、周りをよく見て動いたり、伝えてくれたりする子、「まりな、ここ」と呼んでくれる子、けん玉とあやとりがとっても上手な子、アートをするときに目をキラキラさせる子、日本語がとっても上手な子、思いを伝えてくれる子、、、。1人1人と関わることが出来て良かった。
私に面白くクメール語を教えてくれたりしっかり者で周りをみて行動したりと何かと頼りになるチェン、
「まりな、ここ!」と私をよんでくれて毎日「ここに来て良かった」と思わせてくれた優しいリンリン、
けん玉がとにかく上手で「なんで?」の好奇心旺盛で私に沢山のことに気づかせてくれたりお、
「ダンス、、、」と言いながらも一生懸命練習したり楽しそうに絵を描いて時に自分の気持ちを言葉にして伝えてくれたあーちゃん、
人懐っこくて日本語が上手で工作や絵を描くのもダンスもとっても上手にこなしていた素敵なコン、
麒麟の絵を描く時に輪郭を私に描くようにお願いする面白さと私が1人で準備していた時に手伝う優しさのある私のダンスペアのケム、
ポケモンが好きで最終日にtap youで泣いたり私の描いたメッセージカードを他の人にまで見せていたりした可愛いラーノウッ、

アート班の子だけじゃないけれど。みんなに改めて「オークン」と伝えたい。

「MV撮影」
 撮影の前に1つ、WSを行った。そのWSが終わっても、ずっと蹲って泣いている子がいた。出会った当初は、どうやって関わればいいのか迷うことがある子だった。日々の関りの中で、こんなにも愛おしい存在に変わるのだと思った。たった1度きりの本番。リハーサルをして、迎えた本番。楽しみながら、楽しんでいるみんなを見ながら、共創できたこと、とても楽しくて、別れが惜しかった。
 お別れの日は、互いにメッセージカードを渡し合ったり、ブレスレットを貰ったりした。アート班の子どもたち、関わった子どもたち、メッセージを書いて改めて、「出会えて良かった」という気持ちになった。この「出会えて良かった」という気持ちを手紙に込めた。伝わって欲しいという工夫を込めて。また会いたいな。

カンボジアを観光して

「トゥールスレイン虐殺資料館」
 トゥールスレイン虐殺資料館は、1970年代後半に実際にカンボジアで虐殺が行われた場所がそのまま残っていて、その場所に入り、歩き、見ることが出来る。虐殺は知識人(医者、教育者などでその家族)を対象に行われ、その時聞いた話によると、1万8000人が収容され、生き残ったのは7人。カンボジアにいたクメール人だけではなく、留学生や他の国の人も知識人であれば、この場所で収容され、殺された。
 印象に残っているのは、床に、壁に血痕が残っていたこと。多くの収容された人、子どもの写真が幾つの部屋にも飾られていたこと。頭蓋骨が山のようにケースに入っていたこと。どれも、1つ1つが残っていた。
様々な場所に展示品があって説明板(英語とクメール語)があった。それ以外にも入場料とは別に料金を支払えば、日本語で説明音声を聴くことが出来た。音声を聴けば、より詳しく歴史やどのように虐殺が行われたのかについて知ることが出来るそう。
 「なんでこんなことが,,,」と思ったけれど、何よりも「絶対に忘れてはいけない」と思った。あまりにも強すぎる思想は人を支配してしまう。虐殺という形でなくとも、社会のため、自分の思想のために何かを排除しようとしていないか、そう社会が動いていないか、考えないといけないなと感じた。
 日本では見れない場所を見れたこと、考えさせられたこと、本当に行って良かった。「怖かった」だけで終わらせたくない。

「アンコールワット」

 アンコールワットはアンコール朝(12世紀頃)時代に建造されたお寺で、「アンコールワット」の他にも周りには首都「アンコールトム」や「タ・プローム」などがある。とっても広い。これらは約30年をかけて完成したそう。 ホテルを4:30に出発してアンコールワットに朝日を見に行った。初めて見たアンコールワット。アンコールワットでたまたま近くにいた人と一緒に朝日が昇るところを眺めながら少し話した。同じような年代の子で、大学でビジネスを学んでいて、英語が上手で。また会いたいなあと思った。 感動はゆっくり、建物に入って、実際に歩いてみてジワジワと感じるものだった。アンコールワットの中に入ってみると、多くの人がある場所で胸を叩いている。「何をしているんだろう,,,?」と思って、私もやってみた。すると“ドォーン”と響いた。手を叩いても、物を叩いても、その音は鳴らない。胸を叩いた時だけ鳴る音、「すごい」と思った。 全てが石で造られていて、所々に仏像か何かが彫られていた。細かいところまで丁寧に。そして、バスで移動している時も、大きな石像が所々にあった。中には顔だけがないものがあった。どうしてか訊ねると、自然や劣化でなくなっているものや盗みでなくなってしまっているものもあるそう。そして、アンコールワット内を回っていると楽器を演奏している人達がいた。よく見てみると、手足がない人、目が見えない人が楽器を演奏していた。彼らの近くには「地雷受害者 戦争障害者協会バンド」という紹介掲示板があった。カンボジアは1998年に内戦が終結したという歴史を持つ国。その内戦で地雷が使われた。観光地を訪れて、カンボジアの歴史に触れ、「どうして」と、考えさせられるきっかけを貰えたように感じた。

「パブストリート」
パブストリートでの思い出は2つ。
「カフェで相席した親子」
 泊まっていた場所からパブストリートまで歩いて向かった。カンカン照りでとっても暑かったから途中でカフェに寄った。満席で座るところがなくて困っていた時に、アイコンタクトと頷きで「ここ、いいよ」と伝えてくれた。お父さんがとっても気さくな方で、子どもはとっても人見知りで可愛かった。私が疑問に思わなかったカンボジアのことを英語でマシンガントークしながら問うてくれた。「教育と福祉、医療は無償であるべき」ということはどこの国で生まれても、年代が違っていても考えることなんだと、話していて思った。分かる英語を聴き取りながら、翻訳機を使って話した。そのお父さんが翻訳機を使ったのはたった1回。私にどうにか伝えようとしている姿が印象的だった。ご夫婦共とっても面白くて、疲れが吹き飛ぶような人で、出会えて良かった、英語を頑張ってまた会って話せたらいいなと思った。
 英語が話せるように聴けるようになったら、もっと見える・知れる機会が多くなって、世界が広がっていくのかなと思った。英語って文法とか難しくて、出来ないとか恥ずかしいと思っていたけれど、話したり、聴いたりして、知らない世界を知ることが出来るのは、やっぱり楽しい。言語って人同士を繋げるものだなと再確認できた。

「物乞いをしている子ども」
 首都プノンペンではあまり見ることがなかった。しかし、シュムリアップでは物乞いの子どもたちを多く見かけた。未就学児のような子で裸足だった。私は覚えたてのクメール語で一緒に数字を数えることにした。さっきまで猫なで声だったのに、急に笑顔になってキラキラと「モイ、ピー、バイ!!」と一緒になって数を数えてくれた。何か共通するもので「楽しい」とか「分かる」を共有できたことが嬉しかったと同時に、この子は学校に行っていないのかなとか、学習する機会はあるのかなと考えていた。
 何かを希望した時に「選択肢」があって、それを選べる環境。教育って選択肢を創ることなのかなと思った。そんなことを、あの子に出会って、考えさせてもらえた。

人との出会い

飛行機でカンボジアに向かう時には隣の人に助けてくれた人、ホテルで私にクメール語を教えてくれた従業員のみなさん、スコールでホテルの前が洪水になっている珍しさにホテルの前に出て一緒に雨が降るのを見た人、駅に行ったら丁寧に説明してくれた人、パブストリートまで歩いてたまたま寄ったカフェで相席した親子、アンコールワットを一緒に見た人、写真を撮ってくれた人、深圳空港でトランジット中に話してロシア語を教えてくれた人、カンボジア観光中色んな手配をらしてくれたり写真を撮ってくれたVichhay、、
たくさんの人に出会って、慣れない英語を聴きとって話して、ジェスチャーで伝えたり、翻訳機を使ったり、、、。日本では絶対にしないこと、今までしたことがなかったことをたくさんした。
だからこそ、出会いがあり、気づきがあり、人との出会いを感じることができる日々を過ごすことができた。
現地の人と話したり、旅中の人と話したり。誰彼構わず話したわけではなく、「話してみたい」と感じた人と話した。
日本を出てみて良かった。

帰国してからも、ずっと私の中に残っている言葉がある。
「まりな、絶対に自分で死んだらダメだよ。」
ある子から語られた言葉。カンボジアでは仕事の大変さや色々なことから親が自殺をしたりする。死ぬの?私はしないよ、自分で死なないよ、と話していた。
どうして、私にそう伝えてくれたのか分からないけれど。あまりにもゆったりとした時間の流れと青くて気持ちのいい天気の中で伝えられた言葉だった。生まれた場所も話す言語も違うけれど、海を越えて、生きてまた会いたいと思った。

今回の気づき

 今回の「カンボジア」旅を通して気づいたことは2つ。
①「子どもと一緒に」を大切にしたい
 振り返ってみると、くっくまでの子どもたちとの関わりを通して、色んな想定外のことがあったけど、楽しかった。どんなことがあっても「子どもたちが楽しんでくれていたらいいな」「どうやったら楽しませられるかな」ということが心にあった。
 将来、海外で働きたいなと思う中で、今の自分に一体何が出来るのか分からなくて、何が出来て何が難しいのか知りたいと思って、踏み出した今回の旅。生まれた環境も家庭も年齢も言語も、色んなものが“違う”人と出会った。どんなに違っていても「一緒にいて楽しい」「やりたい」が原動力になって、人は動くのだと実感した。どんな場所にいても、「子どもたちと共に楽しいを創っていきたい」という気持ちを持っていることに気付くことが出来た。言語が違っていても、「繋がりたい」という行動をしていくこと大切。言語が違うからこそ、私は「知ろう」とするのかもしれない。
➁挑戦をすることから気づきが生まれる
 今回は色んなことが初めてで「人に話しかける」「クメール語を教わる」「観光名所に行く」など、色んなことをした。「日本人と話すよりも、話したことがない、他言語話者と話す方が好きなんだな」と思うくらいだった。大人数で色んなところにも行ったけど、今回の旅では「1人の時間」をとるようにしていた。1人の時間に日記を書いたり、考えたことを記したりしていた。あんまり普段の生活の中でしないことだったけど、何となく「やってみよう」と思ってした行動だった。日記を書いていたおかげで、頭の中をごちゃごちゃさせずに過ごすことが出来たなと思う。
 色んな挑戦や「初めて」を経験したり、自分の「やってみよう」に従ったからこそ、自分の「好き」や「苦手」など、「自分について」知るきっかけになった。

これから

 今回、1人でたくさん行動したから、その分迷惑もかけたなと思う。その分、自分の「したい」に従って動けたり、人や物に対して「本当に出会わないといけない人、物だったら、またきっと出会える」と考えることが出来るようになった。カンボジアに行く前は、自分の声があんまり聴こえなかったり、思えなかったりした。だから、聴こえるようになって良かったなと思う。
 これからは、今回の気づきを大切にしていきたいのと同時に、私が「もう1度出会いたいと思う人」と話していきたいと思う。声を聴きたいなと思う。あんまり「自分から繋がる」ということをしないから緊張するけれど、zoomとか対面で話していきたいな。
そして、くっくまの子たちにまた会いたいな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?