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6 帝の閨房的な…(3)中宮定子の場合

1 お渡りは無理?

桐壺帝は、最愛の桐壺更衣が、清涼殿までの道中でひどい嫌がらせをされていることを御承知なのに、

御自ら桐壺にお渡りになることは、おできにならなかったのかな、それは宮中に於いては帝も御無理なほどなあんまりな無法だったのかな、と気になっています。

2 枕草子 清涼殿の丑寅のすみの

枕草子 清涼殿の丑寅のすみの』のエピソードです。
中宮定子のお住まいは登華殿ですが、お召しがあって清涼殿の弘徽殿上御局にいる時に、兄の伊周が来ました。
がお渡りなので中に上がらず、見事な桜を青い鉢に生けたに座って女房達と喋っています。(そもそも上御局には兄弟とはいえ男子禁制的なことがあったのかなとも想像しますが、どうなのでしょうか)
女房達が御簾から色とりどりに見せる袖も華やかです。

昼食の声で、内側の扉から大床子に昼食に行かれます。
伊周は外の廂の側から帝をお送りしてまた戻ってきます。

定子様も几帳をどけて、東廂の伊周様のいる廂の方に出て行かれるのがただもう素敵💕💕

というようなことが書いてあるかと思います。

3 御前の御几帳おしやりて

伊周が外側から帝をお送りして戻ってくると、『宮の御前の御几帳おしやりて、長押のもとに出でさせ給へる』とあるのですが、
帝が出ていかれると中宮が『御几帳』をどけた、とはどういうことなのかと考えます。

御几帳というのが、御帳台の中か前にあるもので、
『中宮は御閨事の後の身繕いをされて出て来られた』
と書いてあるのか?とも思うのです。

4 上御局に召されるとはどういうことなのか。

📌 帝のお召しがあると、その日明るいうちにお妃は、後宮の殿舎から清涼殿上御局に参り
①昼でも帝がそこにお出ましになり閨事もある。
②夜になると夜御殿にお召しになりそのまま共寝される。
③夜になると夜御殿にお召しになるが、閨事が済めば上御局に帰される。

📌 高位のお妃は上御局を個人用の住まいとして住みなし
④昼でも帝がそこにお出ましになり閨事もある。
⑤夜になると夜御殿にお召しになりそのまま共寝される。
⑥夜になると夜御殿にお召しになるが、閨事が済めば上御局に帰される。

📌 上御局に住んでいるお妃がいても、ほぼ隣の別の上御局に他のお妃をお召しになり、
⑦昼でも帝がそちらにお出ましになり閨事もある。
⑧夜になるとそちらを夜御殿にお召しになりそのまま共寝される。
⑨夜になるとそちらを夜御殿にお召しになるが、閨事が済めば上御局に帰される。

などなど考えるのですが、帝の方から殿舎にお渡りになるというケースはあまりないのでしょうかね。

5 上御局と夜御殿と御帳台と添臥と

閨事の場が上御局なら、夜御殿とは、至尊の御身だけの御寝の御褥なのか?
至尊ではないが、源氏は『帚木』で添寝のない旅寝は心細いと言っている?御寝には添寝が付く?それは『添臥』とは言わない?
更に、昼御座の辺りに御帳台まであるので、下々の民草の謎は深まるばかりです。

6 帝は清涼殿から奥にはお出ましになれない?

枕草子『清涼殿の丑寅のすみのでは、昼食前に上御局に遊びに来られた帝ですが、
源氏物語では、帝が御自ら桐壺にお出ましになり更衣と睦まれることは難しかったのでしょうか。
帝が自由にお出ましになれるのは上御局までなのでしょうか。
召人ならいざ知らず、正式のお妃は、必ず清涼殿にお召しになって、上御局で正式の夜を過ごさなければならなかったのでしょうか。
夜御殿は御就寝専門ということなのでしょうか。

いずれにしても、源氏物語でも、桐壺更衣が 後涼殿 に上御局を賜ってからは弘徽殿方面からの攻撃に対してはかなり安全だったのでしょうね。

7 職御曹司

帝の閨房的な…(1)中宮安子の場合』に引いた "無名の琵琶" のエピソードは、兄弟の上皇襲撃による失脚に伴い落飾した後の心細い職御曹司でのできごとです。
『清涼殿の丑寅のすみの』のこのエピソードは、清涼殿の弘徽殿上御局のできごとです。
後の運命を知る者には、絶頂期の一点の曇りもない華やかさがたまらなく切ない段のひとつかもしれません。

                        眞斗通つぐ美

           


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