眼ある先人たちや私たちが嫌う"世の理不尽"は、その本質は彼らが世の理不尽というものを究極的に理解し抜いてない、という構造になるのではないか。故にいくら告発的な内容を話したところで、絶対的に理不尽にいる彼らには届かない。故に仮にアンチが湧いたとしても、それは必然的に私の理解者である

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