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[創作]気が狂うのを防ぐゲーム

深く自己否定感を育ててしまった人間は、社会の中に溶け込むことが容易ではないだろう。

故に1人でいる時間がとりわけ長いだろう。

そんな中で気が狂わないようにするゲームである。

「やばい、ここ1ヶ月誰とも話していない。しかし行きつけのカフェと週に一回の友人と会える授業だけは行くことができる。

あのおじさんの動画を見よう。あのおじさんの動画は心を落ち着けられる。あのおじさんはそこまで生を深く考えていない、だから俺よりも浅い。でもその浅さでも生きてられることが知れるから、俺はおじさんの動画を見たくなるのだろう。

おじさんはかなり適当である。そして自己否定感がないのだろう。自己否定感と罪悪感がないのだ。それ故に俺はこの人が好きなんだろう。

見てみよ、この電車の向かいにいる人はとりわけ自己愛的な青年だ。おそらくオタクの大部分の人たちは自己愛の一人歩きであろう。おじさんに関してもオタクに関しても良い悪いかは別にして、現に適当に生きられるし、現に後の世代を考えなくても生きられるのだ。

この彼は自己愛的であろう、自己愛的である人物は彼の能力は非常に高いが、その点危うい一面も含まれる。故にこの彼より俺はまだ平和な部類の人間だろう。

自己愛的な人間は、時として犯罪の種であるから。

見よ、この彼女はとりわけ恋愛をしているだろう。恋愛の本質は「こんなに辛い人生を癒してくれるあなた」である。故にこの彼女はまだ人生というものの本質、つまり真の孤独に目覚めてはいないだろう。

故に俺はまだ人生というものを知り抜いているだろう。

見よ、この彼は一つの事柄を説明するのに多くの言葉を労する。故にこの彼はまだ本質的な理解はしていないのであろう、なぜなら真に物事を理解した人間はとりわけ平易にその物事の説明ができるから。故に私はこの彼よりも思想を理解しているだろう。

見よ、彼は仕事を最上のものとしている。濁った笑顔で営業をしているのだ。故にこの者は仕事というものを生きる目的とし、実は社会不適合が真の意味で人生を考える契機になることをまだ知らないであろう。故に思い悩むということが彼にはなく、彼はまだ第二の誕生と言われる精神的な成熟をしていないであろう。故に私は彼よりもまだ、成熟しているであろう。

見よ、彼は女を3人侍らせ、我が物顔でいる。故にこの者は自分の威厳こそが人生最上のものと理解し、それはつまるところ他者従属、つまりは支配欲の業に他ならない。故にこの者は異化志向ではなく、同化志向であろう。故にこの者は多様性を理解しないであろう。故に私はこの者よりも仕事で談笑できるだろう。

このようなところから、私は相対的に幸福であろう。そして相対的な幸福が精神の安定そのものである(この比較相対の世の中の仕組みに於いて)のだから、私はまだ安定していられる。

明日はもう一度友人と話せる授業に行ってみよう。今度はまた友人と遊びに行ってみよう。今度はまた行きつけのカフェに行ってみよう。

ああ、今日もまた生き延びることができた。」

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