大学→就職 ちゃう 就職→大学
「意味を探し出せ、ただし思索はするな」これを言う大学教授たちには、せめて媚を売って自分が"機関"というものの中で生きていくだけの庇護を受ける、というくらいのことしか教授と関わる意味はないのではないかと思います。しかしながら大学で働く気はさらさらないし、かといって全人格的(人間としての深みと鋭さと厚みの存立したこの人についていきたいという人 ごくたまにいる)もいないので、あるとすれば部分的にこの教授は自分の言ってることをよく分かってはいないけど、Wikipediaには載ってない知識を話してくれたから、それを盗んでさっさと帰ろうくらいのものではないかと思ってきました。
別に誰に迷惑をかけるわけでもない、目の前で話された知識をただ盗んで帰る、それだけであります。それが学費半期25万円分に相当するかどうかというのが至難なところですが、でもそもそも授業が心に残っている人が少なくとも私の周りにはいなく、その人たちは信頼してる友達なんですけれど、皆大学というものは「やらされるもの」であります。「やらされるもの」という共通認識があるからこそ、私たちの信頼関係は成り立っている、とまで言えます。
そうだ、これ書いてて思ったけれどそうではないですか。私はブログを書きすぎて単位をそこまで取れていないのですが、それで何で自分は単位すらも取れないんだ、ダメな人間だ、とか思っていましたが、そもそも単位取った人に授業残ってる人いないじゃないですか。残ってる人いたらそれは尊敬するし、私の心は浮き立ちます。人間の可能性を見た気がするからです。
ということは25万×8で200万を払うわけですが、私は私立の夜間なので半分ですが、一部の人は400万を払うわけですが、あまりにも大学はひどいと思いますよ。(責めて申し訳ない)あまりにも学費が高すぎるし、かといって「盗む」ということも意識されず、「やらなきゃいけないから」「やらされるもの」ということで短期記憶には残っても、中高のテストと同様長期記憶には残らなかったりするのですから、やっぱ学費と利益の断絶がおかしいと思います。
てか思うんですけど、全部仕事のためなら、高校で勉強教えるのやめて、インターンを正規のプログラムにして、あと自由研究で本と音楽と体育をやっていいですよ、ということにして一回みんな職業を決めていくことにしたらどうですか。3年間で何回でもトライできるようにして、そうすれば必然的に自分の特徴や特質と向き合わざるを得なくなる。その個性に基づいた職場を一回決めておくんです。そうして大学に入る。大学に入れば、自由に勉強、思索、表現活動をしてくださいということで、もう就職はすべて決まっているのだから根本の強迫感がないわけです。だって未来死んで極楽浄土に行く、みたいなことが決まってるわけですから。(未来職場が決まっている、ということ)
で、高校の3年間でみっちり個性を見つけるために何度もトライしたわけですから、離職率も低いわけです。仮に離職したとしてもそれはもっといい場所が見つかったから、というわけで。
私は個人的に大学の学問が空疎になって、学費の費用対効果?が薄まるのも、その先に就職という義務があることによる神経症性に由来するものだと思うので、だから先にそっちを終わらせちゃって、その後に自由にリベラルアーツをしてもらった方が人間として豊かな土壌を育むんじゃないかなと思ったのですが。
これを今の社会でやろうとすれば少なからず代償を喰らって、全部脳のOSを入れ替えるくらいの想像もできない苦しみを味わいますから、故にマイノリティと言われる人たちがうつをやっているというのもそこに由来するとは思うのですが。だからやっぱこの国の仕組みごとを変えていくしかないと思うんですよね。私もOS入れ替える途中で自殺未遂とかもしましたし。
とにかく言いたいことは自分結構イケてるってことです。前々から自分の欲を大きくしていこう、欲張っていこう!と言っていますが、欲張った結果自分やっぱイケてるよ、ってことです。ありがとうございます。
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