見出し画像

創作大賞が終わった

創作大賞の募集が終わった。これと同時に何故か非常な安堵を感じた。無名である自分なのに、過酷だった。何かこう十数年かくらいの重みがある3ヶ月だった。私は全てを出し切った。やれることは、全てやった。

自分の作品のアイデンティティは何か、それを掴みかねていました。その理由は簡単で、ほぼ他者からの評価がされない体制だったからです。自分の作品への評価をもらえれば、自分なりのその後を構想できますが、下積みの期間である私にはその情報はほぼなかった。だから自分の作品がこの世の中にある作品と比べて相対的にどこに位置しているかも分からなかったし、それは今でも分からないのです。できるのは自分で自分を評価してあげることだけ。要は自分で他者からもらったような評価を作り上げて、それに納得して先へ進んでいく、これをする創作生活でした。

しかし面白いのは自分の作品に二つくらい変化があったことです。まずはじめは心理的な内容について本当に個人的な気持ちをあげているだけでした。最初期は自分の個人的な病理や病理への理解を書き連ねているだけだった。しかし一度目の変化で創作をするようになりました。五月あたりから、創作作品を作るようになりました。そして二度目の変化はついこの間で、思ってることを羅列していく、という形に落ち着きました。これをまとめると個人→社会→個人という変遷を辿った、ということです。無論、その"社会"もほぼ誰からの感想もいただいてはいないことなのですが。

しかしよく考えると、この半年間で個人→社会→個人の変遷を経験できたということは、これはもうかけがえのない体験だった、と言わざるを得ません。十数年の重みがあったと言いましたけれど、本当にその密度の経験をしました。また今この記事を書いているのは、ブログでの感想はごく限られた方からしか頂けてないけれども、現に自分の周りの人たちを見てみて、暮らしてみて、感じることがあったから書いています。

私の創作は怒りや悲しみを羅列することもありましたが、その根底は"どうにかよく生きたい"という思いを込めたものでありました。といいますのも、1年も経っていない最近に精神障害を比較的軽度に治癒しまして、そして精神障害を治癒するということは一つ"曇りなき眼"でこの世界を見る、そのことに他ならないと思うところがあるからです。1月に根源的な変化があって、それからというもの、その自分の精神で見た世界について、または生み出していきたい未来について、ずっと考え続けてきたということです。

少し仰々しい文章になっていますが、これも私がそれだけ本気だった、ということの現れであるとご理解いただきたく思います。そのくらい大変な創作生活でした。

そんなに追い込まなくていいじゃないか、そう言われそうですが、私には一つ持論があります。私が目指してるのはそのような精神的な成熟を意識的にも無意識的にも目指している人たちにとって、何がしかの示唆を与えるような文章を書きたい、ということにあります。そしてそのような精神的な成熟を目指される方は、真の意味で人生に苦悶している方が多い。苦悶という言葉を私はよく使いますが、それは求道的、と言い換えてもいいかと思います。一過性ではない、本当の幸福を、本当の安らぎを、求めている。このような人間が私たちの世界にはいるのです。このような人を相手にするのならば、まずこちらがその人生を力強く歩いていなければなりません。あるいは思い悩み、その日々の中に自分の弱きを克服していく、というような力がなくてはなりません。だからこそ私は自らが真に人生というものを味わい悩みながら生きていなくてはならない、と思うのです。故に私はリラックスできる、とか、癒しになる、ような文章を書くのは、自分の専門外である、と個人的に思っています。私が苦悶するのは、そういう理由があったのです。

また思うに、そういう人たちは少数派であろう、ということも理解しています。私はあまりにも自分の生活で精一杯だったので、感じたことのない疑問でしたが、実はこの世の中には一切求道をしないタイプの人間もいる、ということが分かりました。それはいいとか悪いとかいうことではありません。その生き方もその人の自由だからです。しかし思うにそういう人たちが大部分なのです。理由は簡単で、求道することによって自分が打ち砕かれるのが怖いからです。故に大多数の人間はそこまで生を深く見つめず、平々凡々、生きていくのだと思います。何度も言いますが、それが悪いというわけではありません。それもその人の人生。しかしながら断っておかなれけばならないのは、自分で平々凡々を選択している以上、真に努力を追求する人間を見てその人を引き下げるような言動はお門違いですよ、ということです。

このような経験を、創作一年目に経験できたことは、かけがえのない経験でした。とても大変ではありましたが、その分実りは大きかったと思っています。私の尊敬するエリクソンという心理学者は、人生の最晩年に"統合"という概念を用いました。統合というのは、この世の中に一つ秩序を発見し、私の存在のはかなさを感じると同時に、そこにかけがえのない意味を発見する、という働きのことを言います。私がこれになれているとはとても豪語できませんが、しかしそのような境地を垣間見ることがこの創作期間にしばしばありました。アイデンティティ、親密性、世代性、それらを超えての統合。この人生の素晴らしさを発見させてくれたこの創作活動に、感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?