福祉の世界に 4 グループホーム編

お読み頂きありがとうございます。前回の続きです。


グループホームで衝撃だった事

前回、後で記載するとして忘れていました。高齢者介護に初めて就業し衝撃だった事を書きます。

①認知症の症状
今となっては当たり前の事なんですが、症状が様々という事です。同じ事を何度も話す…というイメージやすぐに忘れてしまうという固定概念がありましたが、本当に様々な症状の方がいました。
個人的に衝撃だったのが、異食です。テーブルに飾られていた花を食べてしまわれる方がいました。

➁皮膚の弱さ
少しの衝撃ですぐに痣になってしまったり、皮膚剥離を起こす事です。

③職員の言動
これが一番衝撃だったかもな…ただでさえストレスが溜まる仕事で今ほど職員側のケアという事が重要視されていませんでした。言葉の汚さや言動がかなり目立っていました。

こんな感じですかね…上げればキリが無いですが特に印象に残っている事だけを記載しました。

衝撃の事件

前回の末尾に書いた事です。

2年程勤めたある日、夜間に職員会議が開かれました。全職員参加の物々しい雰囲気の会議でした。社長より話がありました。
『来月より、当事業所でも処遇改善加算を開始します』
なんだそれは?と思っていると、社長より説明がありました。
当時の私の感じでは、ボーナスみたいな多少給与が上がる的な感じと思っていました。お金が貰える事は悪い事じゃないと思っていました。
業界的には、処遇改善加算が開始された直後ぐらいだったんじゃないかなと思います。

記憶が定かではありませんが、私が勤めていたグループホームでは一括支給という形で職員に配布されました。明細を渡され金額が載っているという形です。職員同士でいくらぐらいなんだろうねという話で毎日の様に盛り上がりました。お金を頂けるのに悪い気がする人はいないと思います。

支給日当日…社長より明細が入った封筒を受け取りました。確か4万円程だったと思います。
数日かけて全職員に明細が行き渡り事件が起こります。
金額に差があったのです。
しかも、その差が尋常ではありませんでした。
何千円かの差ならさほど事件にならなかったでしょう。何万円の差だったのです。
真面目に働いている職員が少なく、楽をしようとする職員や勤務態度が微妙な職員が高かったのです。この職員はいわゆる社長のお気に入りの職員達でした。
私が一番納得いかなかったのは、私に仕事を教えてくれた姉御肌の職員が2万円程しか貰っていなかったのです。勤続年数も長く、仕事も真面目にされていました。この金額の差が分かってから、姉御肌の職員は仕事に来なくなりました。

闘いの始まり

社長との闘いが始まりました。
まず、当時と今では全然介護職の環境が違うので、あくまでも当時の状況を記載します。

全職員が社長からの説明を求める事となりました。沢山貰った職員の中にも、公平に分配すべきという意見が多々ありました。
社長のお気に入りの職員が反旗を翻す…すごい事だなと思っていました。

社長の説明が始まりましたが、納得が出来ない職員が多数いました。
2つの派閥に分かれる事になります。

雇われているから仕方ない派
理由はどうあれ納得いかない派

私は正直、納得がいかない状態でした。
何より仕事とはあまり関係ない所で職員が2つの派閥に分かれ、
いがみ合う状況になってしまった事が嫌でした。
更に言えば、会社がこれ以上の説明も対応もしなかった事が状況を悪化させました。

しばらく考え行動に移しました。私は社長の所へ一人行き、頂いた4万円を返金しました。
どうしても当時の私は納得がいきませんでした。私を見捨てずに仕事を教えてくれた職員に対し恩があります。その方より多く貰う事はできないと伝えました。しかも、その職員は退職してしまいました。
4万円の返金を行うと社長から思いがけない言葉が返ってきました。

『わかった。これは受け取る事にする。いらないんだろ?恩を仇で返す奴だって事がよくわかった。退職届を持って来い。』

衝撃でした。
私は23歳になっていました。まだまだ若造でしたがこの言葉を忘れる事はありませんでした。確かに雇用して頂いた恩がありました。
事実上の解雇です。

私は次の日に退職届を持参し、挨拶を職員にし有給を消化して退職しました。

2年8ヵ月の勤務を終えました。
今思えば、色々な手段があったと思いますが…当時は若造で知識も乏しく最良の結果と思っていました。

ここから、また無職になります。
しかし、私には後に生涯の付き合いをする事になる親友と呼べる師匠に出会う事になります。この方との出会いにより私は生涯福祉をやる決意をするのです。

お読み頂きありがとうございます。


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