八佾第三

凡そ二十六章。前篇の末二章に通じて、皆礼楽の事を論ず。

■八佾第三01章

孔子季氏を謂へらく、「八佾庭に舞はす。是をも忍ぶべくんば、孰れをか忍ぶべからざらん」 と。

佾、音は逸。 ○季氏は魯の大夫季孫氏なり。佾は舞列なり。天子は八、諸侯は六、大夫は四、士は二。毎佾人数、其の佾の数の如し。或ひと曰く、「毎佾八人」と。未だ孰れか是なるを詳にせず。季氏大夫を以て僭して天子の楽を用ゆ。孔子言ふこころは、其れ此の事をも尚ほ忍びて之を為せば、則ち何事をか忍びて為すべからざらん。或ひと曰く、「忍は、容忍なり」と。蓋し深く之を疾むの辞。 ○范氏曰く、「楽舞の数、上自りして下、降殺するに両を以てするのみ。故に両の間、以て毫髪も僭差すべからざるなり。孔子政を為すに、先づ礼楽を正す。則ち季氏の罪は誅を容さず」と。 曰く、「君子其の当に為すべからざる所に於て、敢て須臾も処らず。忍びざるが故なり。而も季氏此に忍ぶ。則ち父と君とを弑すと雖も、亦た何の憚る所ありて為さざらんや」と。

■八佾第三02章
三家者雍を以て徹す。子の曰く、「『相くる維れ辟公、天子穆穆たり』と。奚ぞ三家の堂に取らんや」と。

徹は直列の反。相は去声。 ○三家は魯の大夫孟孫・叔孫・季孫の家なり。雍は周頌の篇名。徹は、祭畢りて其の俎を収む り。天子の宗廟の祭は、則ち雍を歌ひて以て徹す。是の時三家僭して之を用ゆ。相は助なり。 は諸侯なり。穆穆は深遠の意、天子の容なり。此れ雍の詩の辞。孔子之を引きて、言へらく、 家の堂此の事有るに非ず。亦た何ぞ此義を取りて之を歌はんや」と。其の無知妄作にして、以 竊の罪を取るを譏る。 ○程子曰く、「周公の功は固より大なり。皆臣子の分当に為すべき所。魯安んぞ独り天子の礼 用ゆるを得んや。成王の賜し、伯禽の受くる(注1)、皆非なり。其の因襲の弊、遂に季氏をし 佾を僭し、三家をして雍徹を僭せしむ。故に仲尼之を譏る(注2)」と。 (注1)成王の賜し、伯禽の受くる=『礼記』明堂位に「成王以周公為有勳労於天下、是以封周 曲阜、地方七百里、革車千乗、命魯公世世祀周公以天子之礼楽。是以魯君、孟春乗大路、載弧 旂十有二旒、日月之章、祀帝于郊、配以后稷。天子之礼也」とある。成王は武王の子。伯禽は の子で、上引の「魯公」に当る。また『礼記』祭統にも魯に天子の楽を代々行わせた記述があ る。 (注2)故に仲尼之を譏る=『礼記』礼運に孔子の語として「魯之郊禘、非礼也。周公其衰矣」 る。 

■八佾第三03章
子の曰く、「人にして仁ならざれば、礼を如何せん。人にして仁ならざれば、楽を如何せん」

游氏曰く、「人にして仁ならざれば、則ち人心亡ぶ。其れ礼楽を如何ともせんや。言は之を用 と欲すと雖も、而れども礼楽之が用を為さざるなり」と。 ○程子曰く、「仁は天下の正理。正理を失へば、則ち序無くして和せず」と。李氏(注1)曰く 「礼楽は人を待ちて後行はる。苟も其の人に非ざれば、則ち玉帛交錯し、鐘鼓鏗鏘すと雖も、 将は之を如何ともせんや」と。然して記者此を八佾雍徹の後に序す。疑ふらくは其れ礼楽を僭 者の為に発するならん。 (注1)李氏=李郁、字は光祖。邵武の人。楊時の門人でその女を娶る。紹興二十年没、享年六 五。著に『論孟遺稿』あり

■八佾第三04章

後日掲載

■八佾第三 05章
子曰く「夷狄すら之君有り。諸夏の亡きが如くならず」
吴氏曰く「亡は古の無の字。用を通ず」程子曰く「夷狄すら且つ君長有り。諸夏の僭乱し、反って上下の分無きが如くならず」○尹氏曰く「孔子時の乱るるを傷み之を歎ずるなり。亡は実に亡ぶに非ざるなり。之有りと雖も、其の道を盡すこと能はざるのみ」

八佾第三 06章

季氏泰山に旅す。子冉有に謂ひて曰く、「女救うこと能はざるか」と。対へて曰く、「能くせ と。子曰く、「嗚呼、曾ち泰山は林放にも如かずと謂ふか」と
女、音は汝。与は、平声。 〇旅は、祭名。泰山は、山名、魯の地に在り。礼に諸侯封内の山川を祭る。季氏之を祭るは、 り。冉有は、孔子の弟子、名は求、時に季氏の宰為り。救は、その僭竊の罪に陥るを救ふを謂 嗚呼は、歎辞。言ふこころは、神は非礼を享けず。季氏其の益無きを知って自ら止めんことを し、又林放を進めて以て冉有を厲ます。 〇范氏曰く、「冉有季氏に従ふ。夫子豈に其の告ぐべからざるを知らざらんや。然れども聖人 るしく人を絶たず。己の心を尽くせば、安んぞ冉有の救ふこと能はず、季氏の諌むべからざる らんや。既に正すこと能はず。則ち林放を美め、以て泰山の誣ふべからざるを明らかにす。是 教誨の道なり」と。

八佾七

子曰く、「君子は争ふ所無し、必ずや射か。揖譲して升り、下りて飲む。其の争ふや君子なり」と。

飲は、去声。○揖譲して升るとは、大射の礼に、耦進、三揖して後、堂に升るなり。下りて飲むとは、射畢はりて揖して降り、以て衆耦皆降るを俟ち、勝者乃ち勝たざる者に揖して升り、觶を取りて立飲するを謂ふなり。言ふこころは、君子は恭遜にして人と争はず、惟だ射に於いて而る後争ふこと有り。然れども其の争ふや、雍容揖遜なること乃ち此の如ければ、則ち争ふや君子にして、小人の争ふが若きに非ず。

八佾第三 08章・前半

子夏問ひて曰く、「『巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢と為す』。何の謂ぞや」と。

倩は、七練の反。盼は、普莧の反。絢は、呼県の反。〇此れ逸詩(注1)なり。倩は、好き口輔なり。盼は、目の黑白分かるるなり。素は、粉地、画の質なり。絢は、采色、画の飾なり。言ふこころは、人此の倩盼の美質有りて、又加ふるに華采の飾を以てするは、素地有りて采色を加ふるが如し。子夏其の反って素を以て飾と為すと謂へるかと疑ふ。故に之を問ふ。

子曰く、「絵の事は素より後る」と。

絵は、胡対の反。〇絵事は、絵画の事なり。後素は、素より後るるなり。考工記(注2)に曰ふ、「絵画の事は素功より後る」と。先づ粉地を以て質と為し、而る後五采を施すを謂ふ。猶ほ人に美質有りて、然る後文飾を加ふべきがごとし。

注1 現在に伝わっていない詩。
注2 『周礼』の一篇で中国最古の工業技術書。器物の寸法や製作法などが書かれている。

曰く、「礼は後か」と。子曰く、「予を起こす者は商なり。始めて与に詩を言ふ可きのみ」と。

礼は必ず忠信を以て質と為す。猶ほ絵の事必ず粉素を以て先と為すがごとし。起は、猶ほ発のごとし。予を起こすとは、能く我の志意を起発するを言ふ。謝氏曰く、「子貢は学を論ずるに因りて詩を知り、子夏は詩を論ずるに因りて学を知る。故に皆与に詩を言ふ可し」と。○楊氏曰く、「『甘は和を受け、白は采を受く。忠信の人、以て礼を学ぶ可し。苟くも其の質無くんば、礼虚しく行はれず』。此れ『絵の事は素より後にす』の説なり。孔子曰く『絵の事は素より後にす』と。而して子夏曰く『礼は後か』と。能く其の志を継ぐと謂ふ可し。之を言意の表に得る者に非ざれば之を能くせんや。商・賜の与に詩を言ふ可きは此を以てなり。夫の心を章句の末に玩ぶが若きは、則ち其の詩を為むるや固なるのみ。所謂予を起こすとは、則ち亦た相ひ長ずるの義なり」と。

八佾第三 九章

子曰く「夏の礼は吾能く之を言へども、杞は徴するに足らざるなり。殷の礼は吾能く之を言へども、宋は徴するに足らざるなり。文献足らざるが故なり。足れば則ち吾能く之を徴せん!」

杞は夏の後。宋は殷の後。徴は証なり。文は典籍なり。献は賢なり。言ふこころは、二代の礼、吾能く之を言ふ。而れども二国は取りて以て証とするに足らず。其の文献の足らざるを以ての故なり。文献若し足れば、則ち我能く之を取りて、以て吾が言を証す!と。

八佾第三 10章

子曰く、「禘既に灌してより往は、吾之を観ることを欲せず」と。

禘は大計の反。○趙伯循曰く、「禘は王者の大祭なり。王者既に始祖の廟を立て、又始祖の自りて出づる所の帝を推し、之を始祖の廟に祀りて、始祖を以て之を配すなり。成王周公の大勲労有るを以て、魯に重祭を賜ふ。故に周公の廟に禘することを得て、文王を以て出づる所の帝と為して、周公を之に配す。然れども礼に非ざるなり」と。灌は、祭の始めに方り、鬱鬯の酒を用て地に灌ぎ、以て神を降ろすなり。魯の君臣、此の時に当り、誠意未だ散せず、猶観るべきこと有り。此より以後、則ち浸く以て懈怠して、観るに足ること無し。蓋し魯の祭は礼に非ず、孔子本より観ることを欲せず。此に至りて礼を失するの中、又礼を失す。故に此の歎を発するなり。○謝氏曰く、「夫子嘗て曰く、『我夏の道を観んことを欲す。是の故に杞に之けども、徴するに足らざるなり。我殷の道を観んことを欲す。是の故に宋に之けども、徴するに足らざるなり』と。又曰く、我周の道を観るに、幽厲之を傷る。吾魯を舍てて何くにか適かん。魯の郊禘は礼に非ざるなり。周公其れ衰へたり」と。之を杞・宋に考ふれば已に彼の如く、之を当今に考ふれば此くの如し。孔子の深く歎ずる所以なり」と。

八佾十一

或ひと褅の説を問ふ。子曰く、「知らず。其の説を知る者の天下に於けるや、其れ諸を斯に示るが如きか」と。其の掌を指す。

先王の本に報ひ遠きを追ふの意、褅より深きは莫し。仁孝誠敬の至りに非ざれば、以て此に与るに足りず。或人の及ぶ所に非ざるなり。而して不王不褅の法は、又た魯の当に諱むべき所の者。故に知らずを以て之に答ふ。示は、視と同じ。其の掌を指すとは、弟子、夫子此を言ひて自ら其の掌を指すを記す。其の明らかにして且つ易きを言ふなり。蓋し褅の説を知れば、則ち理明らかならざる無く、誠格らざる無くして、天下を治むること難からず。聖人此に於いて、豈に真に知らざる所有らんや。

八佾第三 十二章

祭ること在(いま)すが如くし、神を祭ること神在すが如くす。
程子の曰く、「祭は先祖を祭るなり。祭神とは外神を祭るなり。先を祭るは孝を主とし、神を祭るは敬を主とす」愚謂へらく此れ門人の孔子の祭祀の誠意を記す。

子曰く、「吾祭に与(あずか)らざれば、祭らざるが如しと。」
與は去声。○又た孔子の言を記して以て之を明らかにす。言ふこころは己祭の時に当たりて、或いは故有りて与ることを得ずして、他人をして之を攝(と)らしめば、則ち其の在すが如くするの誠を致すを得ず。故に已に祭ると雖も、此の心欠然として、未だ嘗て祭らざるが如し。○范氏の曰く、「君子の祭とは、七日戒め、三日斉す、必ず祭る所の者を見る。誠の至りなり。是の故に郊には則ち天神格(いた)り、廟には則ち人鬼享(う)く。皆己に由りて以て之を致すなり。其の誠有らば則ち其の神有り。其の誠無くんば則ち其の神無し。謹まざるべけんや?吾祭に与らざれば祭らざるが如しとは、誠実たり、礼虚たり。」

八佾第三 13章

王孫賈問ひて曰く、「其の奥に媚びんよりは、寧ろ竈に媚びよとは、何の謂ひぞや?」と。

王孫賈は、衛の大夫。媚は、親順なり。室の西南隅を奥と為す。竈は、五祀(注1)の一、夏に祭る所なり。凡そ五祀を祭るは、皆先づ主を設けて其の所に祭り、然る後尸(注2)を迎へて奥に祭る。略ぼ宗廟を祭るの儀の如し。竈を祀るが如きは、則ち主を竈陘(注3)に設け、祭畢りて、更に饌を奥に設けて以て尸を迎ふ。故に時俗の語、因りて奥は常に尊ぶこと有れども、祭の主に非ず、竈は卑賤と雖も、時に当たりて事を用ふるを以て、自ら君に結ぶは、権臣に阿附するに如かざるに喩ふ。賈は、衛の権臣、故に此れを以て孔子を諷す。

子曰く、「然らず。罪を天に獲れば、祷る所無し」と。

天は、即ち理なり。其の尊きこと対無く、奥竈の比ぶべきに非ず。理に逆らへば、則ち罪を天に獲。豈に奥竈に媚びて能く祷りて免かるる所ならんや。言ふこころは但だに当に理に順ふべくして、特だ当に竈に媚びるべからざるのみに非ず、亦奥に媚びるべからざるなり。〇謝氏曰く、「聖人の言は、遜にして迫らず。王孫賈をして此の意を知らしむるは、益無しと為さず。其れをして知らざらしむるも、亦禍を取る所以に非ず」と。

注1 季節毎に、戸(春)、竈(夏)、室中(晩夏)、門(秋)、往来(冬)を祭る。
注2 かたしろ。祭祀の際に死者に代わって祭祀を受ける人
注3 竈の並びの合間。陘(ケイ)は山の途切れた箇所や谷間の意。

八佾第三 十四章

子曰く「周は二代を監(かんがみ)て、郁郁として文なるかな!吾周に従はん」

郁は於六の反。○監は、視なり。二代とは、夏商なり。言ふこころは其の二代の礼を視て之を損益す。郁郁とは、文の盛んなる貌。
○尹氏曰く「三代の礼周に至りて大いに備わる。夫子其の文を美して之に従ふ」と。

八佾十五

子大廟に入りて、事毎に問ふ。或ひと曰く、「孰か鄹人の子礼を知ると謂ふか。大廟に入りて、事毎に問ふ」と。子之を聞きて曰く、「是れ礼なり」と。

大は、音泰。鄹は、側留の反。○大廟は、魯の周公の廟。此れ蓋し孔子始めて仕ふるの時、入りて祭を助くるなり。鄹は、魯の邑の名。孔子の父叔梁紇、嘗て其の邑の大夫為り。孔子少き自り礼を知るを以て聞こゆ。故に或人此に因りて之を譏る。孔子是れ礼なりと言ふは、敬謹の至、乃ち礼を為す所以なり。○尹氏曰く、「礼は敬のみ。知ると雖も亦た問ふは、謹の至なり。其の敬を為すこと此より大なるは莫し。之を礼を知らずと謂ふは、豈に以て孔子を知るに足らんや」と。

八佾第三 16章

子曰く、「射は皮を主とせず、力の科を同じくせざるが為なり。古の道なり」と。

為は、去声。射は皮を主とせずとは、郷射礼(注1)の文なり。力の科を同じくせざるが為なりとは、孔子礼の意を解すること此くの如し。皮は、革なり。布侯(注2)して革を其の中に棲して以て的と為す、所謂鵠なり。科は、等なり。古者射は以て徳を観、但だ中るを主として、革を貫くを主とせず。蓋し人の力強弱有りて、等を同じくせざるを以てなり。記に曰く、「武王商に克ち、軍を散じて郊射して、革を貫くの射息む」(注3)と。正に此を謂ふなり。周衰へ、礼廃れ、列国兵争し、復た革を貫くを尚ぶ。故に孔子之を歎く。〇楊氏曰く、「中るは以て学びて能くすべし、力は以て強ひて至るべからず。聖人古の道と言ふは、今の失を正す所以なり」と。

注1 『儀礼』郷射礼。郷大夫が三年毎に領地の人々を集めて行う射の儀式。
注2 布を張った的。「侯」は的。
注3 『礼記』楽記に「……然後知武王之不復用兵也。散軍而郊射、左射貍首、右射騶虞、而貫革之射息也。」とある。

八佾第三  十七章

子貢告朔の餼羊を去らんと欲す。
去は起呂の反。告は古篤の反。餼は許気の反。○告朔の礼とは、古は天子常に季冬を以て、来歳十二月の朔を諸侯に頒ち、諸侯受けて之を祖廟に蔵す。月朔には、則ち特羊を以て廟に告げ、請ひて之を行う。餼は生牲なり。魯文公より始め朔を視ず、而して有司猶ほ此の羊を供ず、故に子貢之を去らんと欲す。

子曰く「賜や、汝は其の羊を愛(おし)む、我は其の礼を愛む。」
愛は猶惜のごとし。子貢蓋し其の実無くして妄費なるを惜しむ。然れども礼廃るると雖も、羊存せば、猶以て之を識るを得て復すべし。若し併せて其の羊を去れば、則ち此の礼遂に亡びん!、孔子の之を惜しむ所以なり。○楊氏の曰く「告朔とは、君親より命を稟ける所以、礼の大なるもの。魯朔を視ず、然れども羊存せば則ち告朔の名未だ泯(ほろび)ず、其の実因りて挙ぐべし。此れ夫子之を惜しむ所以なり。」

八佾十八

子曰く、「君に事ふるに礼を尽くせば、人以て諂ふと為すなり」と。

黄氏曰く、「孔子君に事ふるの礼に於けるや、加ふる所有るに非ざるなり。是の如くして後尽くすのみ。時人能くせずして、反て以て諂ふと為す。故に孔子之を言ひ、以て礼の当に然るべきを明らかにするなり」と。○程子曰く、「聖人君に事ふるに礼を尽くすに、当時以て諂ふと為す。若し他の人之を言へば、必ず我は君に事ふるに礼を尽くし、小人以て諂ふと為すと曰はん。而して孔子の言、此の如きに止まる。聖人の道、大にして徳宏きこと、此にも亦た見る可し」と。

八佾第三 十九章

定公問ふ「君臣を使ひ、臣君に事ふ、之を如何せん?」孔子対へて曰く「君臣を使ふに礼を以てし、臣君に事ふるに忠を以てす。」

定公とは、魯の君、名は宋。二者皆理の当然(理としてそうすべき)、各々自ら尽くさんことを欲する(=孔子が)のみ。○呂氏の曰く「臣を使ふに其の忠(=真心)たらざるを患へず、礼の至らざるを患ふ。君に事ふるに其の礼の無きを患へず、忠の足らざるを患ふ。」と。尹氏の曰く「君臣は義(=意味・=義務)を以て合する者なり。故に君臣を使ふに礼を以てすれば、則ち臣君に事ふるに忠を以てす。」と。

八佾二十

子曰く、「関雎は、楽しめども淫せず、哀しめども傷まず」と。

楽は、音洛。○関雎は、周南国風の詩の首篇なり(注1)。淫は、楽の過ぎて其の正を失ふ者なり。傷は、哀の過ぎて和を害する者なり。関雎の詩、后妃の徳、宜しく君子に配すべきを言ふ。之を求めて未だ得ざれば、則ち寤寐反側の憂無きこと能はず。求めて之を得れば、則ち宜しく其の琴瑟鐘鼓の楽有るべし。蓋し其の憂深しと雖も、而れども和を害せず、其の楽盛んなりと雖も、而れども其の正を失はず。故に夫子之を称ふること此の如し。学者其の辞を玩び、其の音を審らかにして、以て其の性情の正を識ること有るを欲するなり。注1

參差荇菜、左右流之。
窈窕淑女、寤寐求之。
求之不得、寤寐思服。
悠哉悠哉、輾轉反側。
參差荇菜、左右采之。
窈窕淑女、琴瑟友之。
參差荇菜、左右芼之。
窈窕淑女、鍾鼓樂之。

八佾第三 21章

哀公社を宰我に問ふ。宰我対へて曰く、「夏后氏は松を以てし、殷人は柏を以てし、周人は栗を以てす。民をして戦慄せしむと曰ふ」と。

宰我は、孔子の弟子、名は予。三代の社同じからざるは、古者社を立つるに、各々其の土の宜しき所の木を樹へて以て主と為すなり。戦慄は、恐懼の貌なり。宰我又周の栗を用ふる所以の意此くの如しと言ふ。豈に古者人を社に戮するを以て、故に其の説に付会するか?

子之を聞きて曰く、「成事は説かず、遂事は諫めず、既往は咎めず」と。

遂事は、事未だ成らずと雖も、而れども勢已むこと能はざる者を謂ふ。孔子宰我の対ふる所は、社を立つるの本意に非ず、又時君の殺伐の心を啓けども、其の言已に出で、復た救ふべからざるを以て、故に此を歴言して以て深く之を責め、其の後を謹ましめんと欲す。〇尹氏曰く、「古者各々宜しき所の木を以て其の社に名づけ、義を木に取るに非ざるなり。宰我知らずして妄りに対ふ、故に夫子之を責む」と。

八佾二十二

子曰く、「管仲の器、小なるかな」と。

管仲は、斉の大夫、名は夷吾。桓公を相けて諸侯に霸たらしむ。器小なりとは、言ふこころは、其の聖賢大学の道を知らず、故に局量褊浅、規模卑狹にして、身を正し徳を修め、以て主を王道に致すこと能はず。

或ひと曰く、「管仲は倹なるか」と。曰く、「管氏に三帰有り。官事は摂ねず。焉んぞ倹なるを得ん」と。

焉は、於虔の反。○或る人、蓋し器小なるの倹為るを疑ふ。三帰は、台の名。事は説苑に見ゆ。摂は、兼なり。家臣官に具ふること能はずして、一人常に数事を兼ぬ。管仲は然らず。皆な其の侈を言ふ。

「然らば則ち管仲は礼を知るか。」曰く、「邦君、樹して門を塞ぐ。管氏も亦た樹して門を塞ぐ。邦君両君の好を為し、反坫有り。管氏も亦た反坫有り。管氏にして礼を知らば、孰か礼を知らざらんや」と。

好は、去声。坫は、丁念の反。○或る人又た倹ならざるを礼を知ると為すを疑ふ。屏を之れ樹と謂ふ。塞は、猶ほ蔽のごとし。屏を門に設け、以て内外を蔽ふなり。好は、好会を謂ふ。坫は、両楹の間に在り。献酬飲み畢はれば、則ち爵を其の上に反す。此れ皆な諸侯の礼にして、管仲之を僭す。礼を知らざるなり。○愚謂へらく、孔子、管仲の器小なるを譏る、其の旨深し。或る人知らずして其の倹なるを疑ふ。故に其の奢を斥け、以て其の倹に非ざるを明らかにす。或ひと又た其の礼を知るを疑ふ。故に又た其の僭を斥け、以て其の礼を知らざるを明らかにす。蓋し復た小器の然る所以を明言せずと雖も、而れども其の小なる所以の者、此に於いて亦た見る可し。故に程子曰く、「奢にして礼を犯せば、其の器の小なるを知る可し。蓋し器大なれば、則ち自ら礼を知りて此の失無し」と。此の言当に深く味ふべし。蘇氏曰く、「自ら身を修めて家を正し、以て国に及ぼせば、則ち其の本深く、其の及ぶ者遠し。是を大器と謂ふ。揚雄の所謂『大器は猶ほ規矩準縄のごとし』、先づ自ら治めて、後人を治むる者、是なり。管仲の三帰・反坫、桓公の内嬖六人にして、天下に霸たるは、其の本固より已に浅し。管仲死し、桓公薨じ、天下復た斉を宗とせず」と。楊氏曰く、「夫子、管仲の功を大として其の器を小とす。蓋し王佐の才に非ず。能く諸侯を合し、天下を正すと雖も、其の器は称するに足らざるなり。道学明らかならずして、王霸の略混じて一途と為す。故に管仲の器小なりと聞けば、則ち其の倹為るを疑ひ、倹ならざるを以て之に告ぐれば、則ち又た其の礼を知るを疑ふ。蓋し世、方に詭遇を以て功と為して、之が為に範するを知らざれば、則ち其の小なるを悟らざるも宜なるかな」と。

八佾第三 二十三章

子魯の大師に楽を語(つ)ぐ。曰く「楽は其れ知るべきなり。始めて作るに、翕(きゅう)如たり。之を従(はな)ちて、純如たり、皦(きょう)如たり、繹如たり、以て成る。」

語は去声。大は音は泰。従(しょう)は音は縦。○語は、告なり。大師とは、楽官の名。時に音楽廃欠す、故に孔子之を教ふ。翕は、合なり。従は、放なり。純は、和なり。皦は、明なり。繹は、相ひ続いて絶えざるなり。成は、楽の一たび(=一楽章)終わるなり。
○謝氏の曰く「五音六律具はらざれば、以て楽と為すに足らず。翕如とは、其の合ふことを言う。五音合ふ!、清濁高下、五味の相ひ済(な)して後に和するが如し、故に純如と曰ふ。合して和す!、其の倫(たぐい)を相ひ奪ふこと無きを欲す、故に皦如と曰ふ、然れども豈に宮は自ら宮にして商は自ら商ならんや?(=宮・商それ自体だけで価値があろうか?)相ひ反せずして相ひ連なること、貫珠の如くにして可なり、故に曰く繹如たり、以て成る。」と。

■八佾第三24章
儀の封人見えんことを請ふ。曰く、「君子の斯に至るや、吾未だ嘗て見ゆることを得ずんばあ るなり」と。従者之に見えしむ。出でて曰く、「二三子、何ぞ喪ふことを患へんや。天下の道 や久し。天将に夫子を以て木鐸と為さんとす」と。
請見、見之の見は、賢遍の反。従、喪は、皆去声。儀は、衛の邑。封人とは、封疆を掌るの官 し賢にして下位に隠るる者なり。君子とは、当時の賢者を謂ふ。此に至れば皆之に見ゆること とは、自ら其の平日賢者に絶たれざるを言ひて、以て自ら通ずるを求むるなり。之に見へしむ は、通じて見ゆることを得しむるを謂ふ。喪とは、位を失ひ国を去るを謂ふ、礼に「喪ひては かに貧ならんことを欲す」(注1)と曰ふは是なり。木鐸とは、金口木舌、政教を施すの時振 所にして、以て衆を警むる者なり。言ふこころは乱極まれば当に治まるべし、天必ず将に夫子 て位を得て教を設けしめんとす、久しくは位を失はざるなり。封人一たび夫子に見えて遽かに 以て之を称す、其の観感の間に得る所の者深し。或ひと曰く、「木鐸は道路に徇(とな)ふる り。言ふこころは、天夫子をして位を失ひ、四方を周流して、以て其の教を行ひ、木鐸の道路 ふるが如くならしむるなり」と

注1 『礼記』檀弓上。

八佾二十五

子韶を謂ふ、「美を尽くし、又た善を尽くす」と。武を謂ふ、「美を尽くすも、未だ善を尽くさず」と。

韶は、舜の楽。武は、武王の楽。美は、声容の盛。善は、美の実なり。舜は堯を紹ぎて治を致し、武王は紂を伐ちて民を救ふ。其の功は一なり。故に其の楽、皆な美を尽くす。然れども舜の徳は、之を性のままにするなり。又た揖遜を以てして天下を有つ。武王の徳は、之に反るなり。又た征誅を以てして天下を得たり。故に其の実、同じからざる者有り。○程子曰く、「成湯、桀を放つ。惟れ慙徳有り。武王も亦た然り。故に未だ善を尽くさず。堯、舜、湯、武、其の揆は一なり。征伐は其の欲する所に非ず、遇する所の時然るのみ」と。

八佾第三 二十六章

子曰く「上に居りて寛ならず、礼を為して敬せず、喪に臨みて哀しまずんば、吾何を以てか之を観んや?」

上に居りては人を愛するを主とす、故に寛を以て本とす。礼を為すに敬を以て本とし、喪に臨んでは哀を以て本とす。既に(=~である以上)其の本無くんば、則ち何者を以て其の行ふ所の得失(=正誤)を観んや?(=評価しようがないョ)



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