述而第七

述而第七 1章

此の篇多く聖人己を謙(へりくだ)りて人に誨(おしへ)るの辭及びその容貌行事の実を記す。
凡そ三十七章。

子曰く「述べて作らず、信じて古を好むこと、窃かに我が老彭に比す。」
好は、去声。○述とは、旧を伝えるのみ。作とは、則ち創始なり。故に作るは聖人に非ざれば能くせず、而して述ぶるは則ち賢者も及ぶべし。窃かに比すとは、之を尊ぶの辭。我がは、之に親しむの辭。老彭とは、商の賢大夫、大戴礼(だたいれい)(注1)に見ゆ、蓋し古を信じて伝述する者なり。孔子詩書を刪し、礼学を定め、周易に贊し、春秋を修む。皆先王の旧を伝えて、未だ嘗て作る所有らざるなり。故に其の自ら言ふこと此の如し。蓋し惟に敢へて作者の聖に当たらざるのみならず、而して亦敢へて顕然として自ら古の賢人に附せず。蓋し其の徳愈々盛んにして心愈々下り、自らその辭の謙なるを知らざるなり。然し是の時に当たりて、作者略(ほぼ)備わる、夫子蓋し群聖の大成を集めて之を折衷す。其の事は述ぶると雖も、而れども功は則ち作るに倍す。此れ又知らざるべからざるなり。

注1:戴は人名:戴徳 大戴が纏めたのが大戴礼 小戴が纏めたのが礼記

この篇では聖人が自分のことを謙遜することで人に晦えた際の言葉と、実際の有様・行動を多く記している。全部で37章。

先生が仰った。「私は(道を)創始するのではなく述べ伝えているだけであって、古(の聖王の事績)を信じて愛しているのだ。その点で私は憚りながら自分を老彭になぞらえているのさ。」
好は、去声。〇述は、古の道をただ伝えること。作は、新たに創始すること。それ故に作ることは聖人でなければ出来ないことであり、述べることは賢者でも出来ることである。窃かに比すとは、これを尊ぶ言葉。我がとは、これを親しむ言葉。老彭とは、商の賢大夫で、大載礼に見ることができる人で、やはり古を信じて述べ伝えた者である。孔子は詩書を編纂し、礼学を定め、周易を注釈し、春秋を編纂した。皆先王の古の道を伝えたのであって、(道についての新しい説を)作ったのでは全くない。それゆえに自分のことをこのように言ったのである。やはり、ただ自分を決して聖人である創始者に当てはめないというだけでなく、さらに亦決してあからさまに自分を(老彭のような)古の賢人と同じにはしない。それはやはり孔子の徳が盛んになればなるほど心はさらにへりくだっていて、自分ではその言葉がいかに謙虚であるかに気づかなかったのだ。しかもこの時代には、(道の)創始はほぼ備わっていた。孔子は古の多くの聖人たちが作り上げた道を集大成してそれを上手く折衷したのである。それは事象としては述べ伝えていることだが、その功績は道を創始するより倍以上である。そのこともまた理解しておかねばならない。

述而第七_02_

子曰く「黙して之を識し、学びて厭わず、人を誨えて倦まざること、何ぞ我にあらんや。」と

識音は志、又字の如し。

識は記なり。黙して識すとは、言わずして諸(これ)を心に存するを謂うなり。一説に、識は知なり。言わずして心に解するなり。前説是に近し。
何ぞ我にあらんやとは、言うこころは、何者か能く我に於いて有らんやという、三者は、已に聖人の極至に非ず。而れども猶敢えて当らず。則ち謙にして又謙の辞なり。

識=記
黙して之を識し=教えられずに記憶している

何者 三者(黙して之を識し、学びて厭わず、人を誨えて倦まざること)のこと

すでに 呼応(而れども猶)

敢えてせず 決してしない

述而第七 三章

(本文)
子曰く「徳の修まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徙ること能はざる、不善の改むること能はざるは、是れ吾が憂ひなり」と。
訳:孔子は言った。「徳が修まらないこと、学問に努めないこと、良い行いを理解していながら真似する事が出来ないこと、過ちを改めることが出来ないこと、これらは私の憂慮することである。」

尹氏曰く「徳は必ず修めて後に成らしめ、学は必ず講じて(注1)後に明らかならしめ、善を見て能く徙り、過ちを改むるに吝かならず。此の四者は日に新たなるの要なり。苟も未だ之を能くせざれば、聖人すら猶ほ憂ふ、況んや学者をや」と。
訳:尹氏が言った。「徳は必ず修養して達成しようとし、学問は必ず勉強して(講究の意)理解しようとし、良い行いを知ったならば真似する事ができる、過ちを改めるのに積極性を失わない(果敢である)。この四つのことは日々進んで行くための要である。かりにもこういった事ができないのであれば、聖人ですら憂慮しているのに、まして学ぶ者がどうして憂慮しないでいられようか。」

(注1)講じて=講究の意

述而第七4章

子の燕居すること、申申如たり、夭夭如たり。

燕居とは、間暇無事の時。楊氏曰く、「申申とは、其の容、舒なり。夭夭とは、其の色愉しむなり」と。○程子曰く「此れ弟子善く聖人を形容する処なり。申申の字、説ひ尽くさざるが為に、故に更に夭夭の字を著く。今の人、燕居の時、怠惰放肆ならざれば、必ず太だ厳厲なり。厳厲の時、此の四字を著け得ず。怠惰放肆の時も、亦た此の四字を著け得ず。唯だ聖人のみ便ち自ら中和の気有り」と。

述而第七5章

子曰く「甚しいかな、吾(わ)が衰ふるや。久しいかな、吾(われ)復た夢に周公見ざること」と。

復は扶又の反

孔子盛んなる時、志周公の道を行わんと欲す、故に夢寐(むび)の間、或は之に見ゆるが如し。其の老いて行うこと能わざるにいたっては、則ち復た是の心無くして、亦復是の夢無く、故に此に因りて自ら其衰への甚だしきを歎ず。

程子曰く「孔子盛んなる時、寤寐(ごび)にも常に周公の道を存し行ふ。其の老ゆるに及ぶや、則ち志慮衰へて以て為すこと有る可からず。蓋し道を存するは心なり、老少の異無し。而れども道を行うは身なり。老ゆれば則ち衰ふ」と。

夢に見るほどほっしていた

亦 並列
復 繰り返し 部分否定 二度としない

也(や)ときをあらわす

志慮… 心持は衰えて何かを成し遂げることをできなくなった。

述而第七 六章

(本文)子曰く「道に志し、

訳:孔子が言った。「道に志し、

志とは、心の之く所の謂(いひ)。道は、則ち人倫(注1)日用の間当に行ふべき所の者、是なり。此を知りて心必ず之けば、則ち適く所は正しくして、他歧(たき)の惑ひ無し。

訳:志は、心の方向性について言った言葉。道は、人との関係性の中で日常的に行わなくてはならないものの事である。道を知って心が必ず道に向かえば、心が向かう先は正しく、他の道(正しい道から逸れる様な欲望)に向かってしまう迷いが無くなる。

(本文)徳に拠り、

訳:徳を守り、

拠は、執守(しっしゅ)(注2)の意。徳は、得なり。其の道を心に得て失はざるの謂なり。之を心に得て之を守りて失はざれば、則ち終始惟れ一(注3)にして、日々新たなる(注4)の功有り。

訳:拠は、堅く守るという意味。徳は、得の字の意味。(本文は)心が正しい道を理解したら失わない様にするという意味。心が道を理解して失わない様にすれば、終始専一(心が道だけに集中する、専一である)となり、そして日々進んでいくという成果が現れる。

(本文)仁に依り、

訳:仁から離れず、

依は、違(さ)らざるの謂。仁とは、則ち私欲は尽く去りて心徳の全なり。功夫此に至りて終食の違無ければ(注5)、則ち存養の熟(注6)、適くとして天理の流行(注7)に非ざること無し(注8)。

訳:依は、離れないという意味。仁というのは、私欲は全て無くし心の徳が万全に発揮されている状態である。功夫(修養)が此に到達すると食を終える程の間も仁から離れること無く、それは存養(修養)の熟達して、どこに行っても天理がいきわたっているのである (何をやっても、どのような行いも天理がいきわたっている状態である。理と完全に一致している。つまり、すべての行動が天理に則ったものになる。)

(本文) 芸に游ぶ」と。

訳:六芸を玩味する。」

游とは、物を玩(もてあそ)び情に適ふの謂。芸は、則ち礼楽の文、射、御、書、数の法なり(注9)。皆至理の寓する所にして、日用の闕くべからざる者なり。朝夕焉に游び(注10)、以て其の義理の趣を博むれば(注11)、則ち務めに応ずること余り有りて、心も亦た放つ所無し。

訳:游は、なにか物を扱って、(その物に引きずられて心が何処かに行くという事がなく、)正しい情に外れないという意味。芸というのは、礼楽の文と射・御・書・数の法である。これら二つは究極の理の意味が内蔵されており、日常的に欠くべきでないものである。一日中、礼楽の文と射・御・書・数の法を行って、義理の働き方についての見識を広め、様々なやるべきことに対して余裕を持って対応できる。心も見失う事もない。

○此の章言ふこころは人の学を為すこと当に是の如くすべし。蓋し学は志を立つるより先なるは莫し。道に志せば、則ち心正を存して他ならず。徳に拠れば、則ち道心に得て失はず。仁に依れば、則ち徳性常に用ひられて物欲行はれず。芸に遊べば、則ち小物も遺さずして動息にも養ふこと有り。学者此に於いて、以て其の先後の序、軽重の倫を失はざること有れば、則ち本末(注12)兼該し、内外交々(かわるがわる)養ひ(注13)、日用の間、少しも間隙無くして涵泳(かんよう)従容し、忽ち自(みずか)ら其の聖賢の域に入るを知らず。

訳:此の章で言っていることは、人の学問のやり方はこのようでなければならない。やはり学問というのは志を立てることが何よりも先である。道に志しさえすれば、心が正しい理を見失わず、他に気を取られない。徳に拠れば、心が道を理解して見失わない。仁に依れば、性(心の中の完全性)が常に発揮されて物欲に横行しない。

芸に遊べば、どんな些細な事にも適切に対応し (=様々な仕事に対応する)、どんな些細な動きでも性(心の本来の完全性)を養う事となる(全ての動作が心を養う修養となる)。

学者がこの段階に至ると、先後の順番、軽重の関係を見失わなければ、この様は、本末どちらも備え、内と外がお互いに養いあう、日常では、少しも中断が無く、ゆったりと育まれて、自分でも知らないうちにいつの間にか聖賢の域に入っているのである。 

(注1)人倫=人と人との関係性
(注2)執守=意味:執は、執着の執の意。つかんで離さないこと。『孟子・告子上』の「操則存」を踏まえての言葉。
(注3)惟れ一=『書経』の「惟精惟一」を踏まえての言葉。
(注4) 日々新たなる=『大学』の「日新」を踏まえての言葉。
(注5)終食の違無ければ=『論語・里仁』の「君子無終食之間違仁」を踏まえての言葉。
(注6)存養の熟=性(理)に対する修養の方法は二つある。「存する」と「養う」である。「存する」とは、心の中にあるものを見失わない様にすること。「養う」とは、妨げる私欲を去ること。これら二つの修養法をまとめて存養と言う。熟は熟達の意。
(注7)天理の流行=天理がいきわたっている事を表す。特異な言い方に思えるが、天理が決して動かず、尚且つ天理が万物に影響を及ぼしているという事を表現している。
(注8) 無適而非天理之流行矣=適くとして天理の流行に非ざること無し
文法:無A不B=AとしてBせざるは無し。
訳:全てのAがBする。
(注9) 礼楽の文、射、御、書、数の法なり=六芸のこと。礼楽を文、射・御・書・数を法と分けたのは、礼楽は融通が利くものであるから文と表現し、射・御・書・数は融通が利かないものであるから法としている。
(注10) 朝夕焉に游び=焉の字を語気詞としても可。
(注11) 以て其の義理の趣を博むれば=趣とは、おもむく、方向性、働き方を表す。義理の趣とは、義理の働き方についての見識を広めること。
(注12)本末=本とは心の本来の完全性、性のこと。末とは、その完全性が現実の動きとして現れたもの。
(注13) 内外交々養ひ=内とは性のこと。外とは具体的な心の動き、及び行動のこと。交々とは、お互いにという意味。

述而第七7章

子曰く、「束脩を行う自り以上、吾未だ嘗て誨ふること無くんばあらず」と。
脩は、脯なり。十脠を束と為す。古者、相ひ見ゆるに、必ず贄を執りて以て礼を為す。束脩は、其の至つて薄き者。蓋し人の生有るに、同じく此の理を具ふ。故に聖人の人に於ける、其の善に入るを欲せざること無し。但だ来り学ぶを知らざれば、則ち往きて教ふるの礼無し。故に苟くも礼を以て来れば、則ち以て之を教ふること有らざる無し。

述而第七 8章

子曰く「憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。一隅を挙げて三隅を以て反さざれば、則ち復らざるなり」と。

憤、房粉の反。悱、芳匪の反。復、扶又の反。

憤は、心通ぜんを求めて未だ得ざるの意。悱は、口言わんと欲して未だ能くせざるの貌。啓は、其の意を開くを謂ふ。発は、其の辞達するを謂ふ。
物の四隅有るは、一を挙げて其の三を知る可し。反は、還りて以て相証すの義。復は、再び告ぐるなり。
上章已に聖人の人を誨えて倦まざるの意を言ふ。因りて幷せて此を記し、学者力を用いるに勉め、以て教えを受くるの地と為さんことを欲す。

程子曰く「憤悱は、誠意の色辞(しきじ)に見わるる者なり。其の誠至るを待ちて後に之に告ぐ。既に之に告げて、又必ず其の自得するを待ちて、乃ち復た告ぐるのみ」と。
又曰く「憤悱を待たずして発すれば、則ち之を知ること堅固なること能わず。其の憤悱を待ちて後に発すれば、則ち沛然たり」と。
憤 心で通じようとしてできないこと

悱 言葉にしようとしてできない

還 一度立ち戻る。

一隅を挙げて三隅を以て反す 
一つのことを理解して三つのことに応用できる
色辞 顔色言葉

誠至る 誠実な状態になる…

沛然
一気に理解する

誠意←→人欲

誠意 言われたことをすべて受け入れる状態

啓発
発憤

述而第七 九章

(本文)子喪有る者の側に食すれば、未だ嘗て飽かざるなり。

訳:孔子は喪に服している人のそばで食事をする時は、十分に食べるということは無かった。

喪に臨みて哀しみ、甘んずること能はざるなり。

訳:喪に遭って哀しみ、楽しむことが出来ない(美味いと思わない)ということ。

(本文)子是の日に於いて哭すれば、則ち歌はず。

訳:孔子は弔問し哭した日は、歌う事は無かった。

哭は、弔哭を謂ふ。日の内、余哀(注1)未だ忘れず、自ら歌ふこと能はざるなり。
○謝氏曰く「学者此の二者に於いて、聖人の情性の正を見るべし。能く聖人の情性を識りて、然る後以て道を学ぶべし」と。

訳:哭は、弔哭という意味。弔問した日のうちは、哀しみが残って(あとをひいて)忘れられないので、自然と歌うことが出来ないのである。

○謝氏が言った。「学ぶ者はこの二つの事から、聖人の情と性の正しいあり方を見ることができる。聖人の情と性について理解することが出来れば、その後は道について学ぶことができる。」

(注1)余哀=「余」の字は余韻の余と同じ使い方。哀しみが後を引く、残っているという訳になる。

述而第七10章

子顔淵に謂ひて曰く、「之を用ふれば則ち行ひ、之を舎けば則ち蔵る。惟だ我と爾とのみ是れ有るかな」と。
舎は、上声。夫は、音扶。○尹氏曰く、「用舎己に与る無く、行蔵遇ふ所に安んず。命は道ふに足らざるなり。顔子は聖人に幾し。故に亦た之を能くす」と。
子路曰く、「子、三軍を行れば、則ち誰と与にせん」と。
萬二千五百人を軍と為す。大国は三軍。子路、孔子の独り顔淵をのみ美むるを見て、其の勇を自負す。意へらく、夫子若し三軍を行れば、必ず己と同くせん、と。

子曰く、「暴虎馮河、死して悔ひ無き者とは、吾は与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成す者なり」と。
馮は、皮冰の反。好は、去声。○暴虎とは、徒搏なり。馮河とは、徒渉なり。懼とは、其の事を敬するを謂ふ。成とは、其の謀を成すを謂ふ。此れ、皆な其の勇を抑ふるを以てして之を教ふるを言ふ。然れども師を行るの要、実に此に外ならず。子路は蓋し知らざるなり。○謝氏曰く、「聖人行蔵の間に於いて、意無く必無し。其の行は、位を貪るに非ず、其の蔵は、独り善くするに非ざるなり。若し欲心有れば、則ち用ひられずして行を求め、之を舎てて蔵れず。是を以て惟だ顔子のみ以て此に与るべしと為す。子路は欲心有る者に非ずと雖も、然れども未だ固必無きこと能はざるなり。三軍を行るを以て問を為すに至つては、則ち其の論、益々卑し。夫子の言、蓋し其の失に因りて之を救ふ。夫れ謀らざれば成ること無く、懼れざれば必ず敗る。小事すら尚ほ然り。況んや三軍を行るに於いてをや」と。

述而第七_11_中村隆志

子曰く「富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も、吾亦之を為さん。如(も)し求むべからずんば、吾が好む所に従わん」と。

好は去声。

執鞭は、賤しき者の事なり。設言するに富にして若(も)し求むべくんば、則ち身は賤役を為して以て之を求むと雖も、亦辞せざる所なり。然れども命有りて、之を求めて得べきに非ざるなり。則ち義理に安んずるのみ。何ぞ必ずしも徒らに辱めを取らんや。

蘇氏曰く「聖人未だ嘗て富を求むるに意有らざるなり。豈に其の可不可を問わんや。此の語を為すは、特(ただ)以て其の決して求む可からざるを明らかにするのみ」と。

楊氏曰く「君子は富貴を悪みて求めざるに非ず。其の天に在りて、求むべきの道無きを以てなり」と。

設言 仮の話

命 天命 人の努力でどうしようもないもの

義理 努力で身につく正しさ

意 意識的に

有レ意二於求一レ富 VO於O 
訓読すると文法通りに読めない

述而第七 十二章

(本文)子の慎む所は、斉(さい)、戦、疾。

訳:孔子が慎んだものは、斎戒と戦争と病気である。

斉は、側皆の反(さいと読む。ものいみの意。まつりの前に身を清める。)。
○斉(さい)の言為るや斉(せい)なり。将に祭らんとして其の思慮の斉(ととの)はざる者を斉へ、以て神明に交はるなり。誠の至ると至らざると、神(先祖の礼)の饗(う)くると饗けざるとは、皆此に決す。戦(いくさ)は則ち衆の死生、国の存亡繋(か)かる。疾は又た吾が身の死生存亡する所以の者なり。皆以て慎まざるべからざるなり。
○尹氏曰く「夫子慎まざる所無し。弟子其の大なる者を記すのみ」と。

訳:斉は、側皆の反で読む。

  ○斉とは整えるという意味である。今まさに祭ろうとするにあたって、自分の整っていない思慮を整え、そして先祖の霊と交わったのである。誠が先祖にとどくかどうか、先祖が受け取るかどうかは、どちらも斉(思慮をととのえること)によって決まる。戦争は民衆の生死と国の存亡がかかっている。病気も自分の生死存亡がかかっているものである。どちらも慎まない訳にはいかない。

○尹氏が言った。「孔子先生が慎まなかったものはない。弟子はその慎んだものの中で大きなものだけを記したのだ。」

述而第七13章

子斉に在りて韶を聞き、三月肉の味を知らず。曰く、「図らざりき、楽を為すことの斯に至らんとは」と。

史記に、三月の上に「学之」の二字有り。肉の味を知らずとは、蓋し心是に一にして、他に及ばざるなり。「意はざりき、舜の楽を作ること此の如きの美に至らんとは」と曰ふは、則ち以て其の情文の備を極むること有りて、其の歎息の深きを覚えざるなり。蓋し聖人に非ざれば以て此に及ぶに足らず。○范氏曰く、「韶は美を尽くし、又た善を尽くす。楽の以て此に加ふる無きなり。故に之を学びて三月、肉の味を知らずして、之を歎美すること此の如し。誠の至り、感の深きなり」と。

述而第七14章

冉有曰く「夫子は衛君を為(たす)けんか」と。子貢曰く「諾。吾将に之を問わんとす」。と

為は去声。為は猶助のごとし。
衛君は出公輒なり。霊公其の世子蒯聵(かいかい)を逐(お)う。公薨(みまか)りて、国人蒯聵の子輒(ちょう)を立つ。是に於て晋蒯聵を納れて輒之を拒む。時に孔子衛に居り、衛人以(おも)へらく蒯聵罪を父に得て、而して輒嫡孫にして当に立つべしと。故に冉有疑いて之を問ふ。諾は、応ずる辞なり。

補足
晋蒯聵を納れ 晋に亡命、かいかいを使って内紛仕掛ける

入りて曰く「伯夷、叔斉は何人也や」。曰く「古の賢人なり。」曰く「怨みたりや。」曰く「仁を求めて仁を得たり。又何ぞ怨みん」と。出て曰く「夫子為けず」と。

伯夷、叔斉は、孤竹君の二子。其の父将に死せんとし、遺命して叔斉を立つ。父卒し、叔斉伯夷に遜(ゆず)る。伯夷曰く「父命なり」と、遂に逃れ去る。叔斉も又立たずして之を逃る。国人其の中子を立つ。
其の後武王紂を伐ち、夷、斉は馬を扣い(たた)て諫む。武王商を滅す。夷、斉は周の粟を食むを恥じ、去りて首陽山に隠れ、遂に餓えて死す。怨は猶悔のごとし。君子是の邦に居れば、其の大夫を非(そし)らず。況や其の君をや。故に子貢衛君を斥(さ)さずして、夷、斉を以て問いと為す。
夫子之に告ぐること此の如ければ、則ち其の衛君を為けざること知る可し。蓋し伯夷は父の命を以て尊しと為し、叔斉は天倫を以て重しと為す。其の国を遜(ゆず)るや、皆天理の正に合し、人心の安きに即(つ)く所以を求む。既にして各(おのおの)の其の志を得れば、則ち其の国を棄つるを視ること、猶敝蹤(へいし)のごときのみ、何の怨むことか之れ有らん。
衛輒の国に據(よ)りて父を拒みて、唯之を失うを恐るる若きは、其同年にして語る可からざること明らかなり。

程子曰く「伯夷、叔斉、国を遜りて逃れ、伐つを諫めて餓え、終には怨悔無し、夫子以て賢と為す。故に其の輒に与せざるを知るなり」と。

遂 事態がスムーズに進む様子

君子是の邦に居れば、其の大夫を非(そし)らず。by荀子

天倫兄弟の順

各(おのおの)伯夷、叔斉

敝蹤 by孟子
同年 いっしょくたに

述而第七 十五章

(本文)子曰く「疏食(そし)を飯ひ水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみまた(注1)其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲(ふうん)の如し」と。

訳:孔子が言った。「粗末な飯を食べ、水を飲み、肱を枕にする。楽しみはその中にもある。不義の行いで富貴を得ても、私にとっては浮雲のようなものだ。」

飯は、符晩(ふばん)の反。食は、音嗣。枕(ちん)は、去声。楽は、音洛。
○飯は、之を食らふなり。疏食とは、麤飯(そはん)なり(注2)。聖人の心は、渾然たる天理(注3)にして、困極に処ると雖も、而れども楽しみ亦た焉(ここ)に在らざること無し。其の不義の富貴を視ること、浮雲の有ること無きが如くにして漠然として其の中に動く所無し。

訳:飯は、符晩の反。食は、音嗣。枕は、去声。楽は、音洛。

○飯というのは、物を食べるということ。疏食というのは麤飯、つまり粗末な食べ物のこと。聖人の心は渾然一体となった天理である。極めて苦しい状態であっても、楽しみがないということはない。不義の富貴を見ることは、実態のない浮雲をみるようなものである。漠然としていて心の中に動く対象がない(不義の富貴を見ても心はどこもうごかない)。

○程子曰く「疏食飲水を楽しむに非ざるなり。疏食飲水すと雖も、其の楽しみを改むること能はず。不義の富貴は、之を視ること軽きこと浮雲の如し」と。又た曰く「須らく楽しむ所の者何事なるかを知るべし」と。

訳:程子が言った。「粗末な物を食べ水を飲みことそれ自体を楽しむのではない。粗末な物を食べ水を飲んだとしても、孔子の楽しみを変えさせることはできない。不義の富貴というのは、浮雲のように軽視している。」さらに言った。「楽しむことが何であるかを知る必要がある。」

(孔子がここで楽しむと言っているが孔子が何を楽しんでいるかを知らなければならない→答えは出ていない。一般的には学問とされている)」 答えが出ていないからこそ考え続けなければいけない、というのが朱子学者のスタンスだが、批判者からは禅問答だと批判されている。

(注1)亦=「やはり」「ただ~だけ」と訳す。強調の意。
(注2)麤飯=粗飯
(注3)渾然たる天理=個別の理を総括した全体の理。聖人は天地万物と一体になっているのでどこにいても楽しみとできる。つまり、あらゆる現象を把握しているのでどこからでも楽しみを見いだすことができる。

述而第七16章

子曰く、「我に数年を加(仮)して、五十(卒)に以て易を学べば、以て大過無かるべし」と。


劉聘君、元城の劉忠定公に見ゆるに、自ら言ふ。嘗て他の論を読むに、「加」を仮に作り、五十を卒に作る。蓋し加、仮は、声相ひ近くして誤り読み、卒と五十と字相ひ似て誤り分かつなり、と。愚按ずるに、此の章の言、史記に「我に数年を仮し、是の若くすれば、我易に於いて則ち彬彬たり」と作る。加、正しく仮に作りて、五十の字無し。蓋し是の時、孔子の年已に七十に幾し。五十の字誤れること疑ひ無きなり。易を学べば、則ち吉凶消長の理、進退存亡の道を明らかにす。故に以て大過無かるべし。蓋し聖人深く易道の窮まり無きを見て、此を言ひて以て人を教ふ。其の学びざるべからずして、又た易きを以てして学ぶべからざるを知らしむるなり。

述而第七_17_

子の雅言する所、詩、書、執礼。皆雅言す。

雅は常なり。執は守なり。

詩は以て情性を理め、書は以て政事の道ひ、礼は以て節文を謹む。皆日用の実に切なり。故に常に之を言う。

礼獨り執を言う者は、人執守する所を以て言ふ。徒らに誦説するのみに非ざるなり。

程子曰く「孔子雅素の言、此の如きに止(とど)まる。性(本然の性)と天道との若きは、則ち得て聞く可からざる者有り。要は黙して之を識るに在るなり」と。

謝氏曰く「此れ易を学ぶの語に因みて之を類記す」と。

情性、心の在り方

政事 政治的な言説

節文 けじめ
日用、日々の実際の行為
執礼 具体的に守るあれこれ

述而第七 十八章

(本文)葉公孔子を子路に問ふ。子路対へず。

訳:葉公は孔子について子路に質問した。子路は答えなかった。

葉は舒渉の反。
○葉公(しょうこう)は、楚の葉の県尹の沈諸梁なり。字は子高。公を僭称するなり。葉公孔子を知らず。必ず問ふ所に非ずして問ふ者有り、故に子路対へず。抑(そもそも)亦た(注1)聖人の徳、実に未だ名言し(注2)易(やす)からざる者有るを以てか。

訳:葉は舒渉の反。

  ○葉公は楚の葉の県尹の沈諸梁で、字は子高。公を僭称している。葉公は孔子を知らなかった。きっと(質問した内容は)質問とするには相応しくないものであるのに質問したので、子路は答えなかった。それとも聖人の徳が、言葉で言い表しずらいということがあるからだろうか。

(本文)子曰く「女(なんじ)奚ぞ曰はざる。其の人と為りや、憤を発して食を忘れ、楽しみて以て憂ひを忘れ、老(おい)の将に至らんとするを知らずとしかいふ(注3)」と。

訳:孔子が言った。「お前はどうしてこう言わなかったのか。その人物像は、学問について発奮しては食を忘れ、学問を楽しんで心配事を忘れる。なので老いが来るのを忘れているのだと。」

未だ得ざれば(注4)、則ち憤を発して食を忘る。已に得れば、則ち之を楽しみて憂ひを忘る。是の二者を以て俛焉として日々孳孳たる(注5)こと有りて、年数の足らざるを知らず(注6)。
但だ自(みずか)ら其の好学の篤きを言ふのみ(注7)。然れども深く之を味わえば、則ち其の全体至極(注8)、純にして亦已まざる(注9)の妙ありて、聖人に非ざれば及ぶこと能はざる者有るを見る。蓋し凡そ夫子の自ら言うこと類(おおむね)此くの如し。学者宜しく思ひを致すべし。

訳:理解していないことがあれば、食を忘れるほど学問をする。既に理解していれば学問を楽しんで心配事を忘れる。この二つの事によって、日々努力し、死ぬまでずっとそうして、年数の足りないことも気にも留めない。

これはただ孔子自身が学問を篤く好んでいることをついて言ったに過ぎない。だけれども深く本文のことを味わえば、孔子の本体が覆い隠されること無く完全に発揮されており究極に達していて、純一にして已むことが無いという妙があり、聖人でなければ到達することができないものであるということがわかる。

やはりすべて孔子先生が自分で自分のことを言うのはみな大体このようである。学者は思いを致すがよい。

(注1)抑亦(そもそもまた)=選択を表す。亦は、あまり意味はない。抑の字にそれともの意がある。前に述べたことと違う見解を述べる。「それとも」など
(注2)名=「言葉で」ということを強調している。名付けるということは言葉を以てという事だから。
(注3)しかいふ=文章の終わりを意味する。「私と言うのはそれだけだ」という意味。
(注4)未だ=「まだ~していない」の意
(注5)孳孳(しし)=孜孜と同じ意味。勤勉につとめるさま。
(注6) 年数の足らざるを知らず=本文の「老(おい)の将に至らんとするを知らずとしかいふ」の言い換え。また『礼記「表記」』より引用。
(注7) 但だ~のみ=「~にすぎない」の意。
(注8)体=本体のこと。すなわち理のこと。
(注9)純にして亦已まざる=中庸章句二十六章を参照。

述而第七19章

子曰く、「我、生まれながらにして之を知る者に非ず。古を好み、敏にして以て之を求むる者なり」と。


好は、去声。○生まれながらにして之を知るとは、気質清明、義理昭著にして、学を待たずして知るなり。敏は、速なり。汲汲たることを謂ふなり。○尹氏曰く、「孔子、生まれながらに知るの聖を以て、毎に学を好むと云ふは、惟だに人を勉むるのみに非ざるなり。蓋し生まれながらにして知るべき者は義理のみ。夫の礼楽名物、古今事変の若きは、亦た必ず学ぶことを待ちて後、以て其の実を験すこと有るなり」と。

述而第七_20_中村隆志

子、怪・力・乱・神を語らず。

怪異・勇力・悖乱(はいらん)の事は、理の正に非ざれば、固より聖人の語らざる所なり。鬼神は造化(ぞうか)の跡にして正しからざるに非ずと雖も、然れども窮理の至りに非ざれば、未だ明らかにし易からざる者有り、故に亦軽々しく以て人に語らざるなり。

謝氏曰く「聖人常を語りて怪を語らず。徳を語りて力を語らず。治を語りて乱を語らず。人を語りて神を語らず」と。

悖乱 反乱、国に背くこと

鬼 先祖 好意的な超自然的なもの

造化 天地創造(天地全体の変化し続ける動き、物事の変化)

理の正、正しい理 
所以然(そうである理由)所当然(やるべき)

述而第七 二十一章

(本文)子曰く「三人行けば、必ず我が師有り。其の善なる者を択びて之に従ひ、其の不善なる者にして之を改む」と。
訳:孔子が言った。「三人で行動すれば、必ず私の先生といえる者がいる。その中で善の人の方を選んでその人に従い、不善の人については改める。」

三人同(とも)に行けば、其の一は我なり。彼の二人の者、一は善一は悪なれば、則ち我其の善に従ひて其の悪を改むれば、是の二人者皆我が師なり。
訳:三人一緒に行動すれば、その一人は自分である。他の二人は、一方は善で、一方は悪であるとき、自分は善の方に従って、悪を改めめれば、この二人とも自分の師となるのである。

○尹氏曰く「賢を見て斉しからんことを思ひ、不賢を見て内に自ら省みれば(注1)、則ち善悪皆我の師なり。善に進むこと其れ(注2)窮まり(注3)有らんや」と。
訳:尹氏が言った。「賢者を見ては同じようでありたいと思い、賢者でないものを見て反省すれば、善悪はどちらも自分の師といえる。このようにすれば善に向かって進むことに限界があろうか(いや、ない)。」

(注1)「見賢思斉、見不賢而内自省」=『里仁第四 十七章』を参照。
(注2)其れ=文法:語調を整え、後に反語があることを予告する。
(注3)窮まり=「進退窮まる」の「窮」と同じ意味。

述而第七22章

子曰く、「天、徳を予に生ず。桓魋其れ予を如何せん」と。

魋は、徒雷の反。○桓魋は、宋の司馬向魋なり。桓公より出づ。故に又た桓氏を称す。魋、孔子を害せんと欲す。孔子言へらく、天既に我に賦するに是の如きの徳を以てすれば、則ち桓魋其れ我を奈何せん、と。言ふこころは、必ず天に違ひて己を害すること能はず。

述而第七23章

子曰く「二三子我を以て隠すと為すか。吾爾に隠すこと無し。吾行ふとして二三子に与(しめ)さざるもの無し、是れ丘なり」と。

諸弟子、夫子の道高深にして幾(ほと)んど及ぶ可からざるを以て、故に其の隠すこと有らむと疑ひて、聖人の作・止・語・黙教えに非ずといふこと無きことを知らず。故に夫子此の言を以て之を暁(さと)す。与は猶ほ示のごとし。

程子曰く「聖人の道は、猶ほ天のごとく然り。門弟子、親炙(しんしゃ)して之に及ぶことを冀(こいねが)ひ、然る後其の高く且つ遠きを知るなり。使(も)し誠に以て及ぶ可からずと為せば、則ち趨向の心は怠るに幾(ちか)からずや。故に聖人の教へ常に俯して之に就くこと此の如し。独り資質の庸下の者をして勉めて企(つまだ)て及ぶを思はしむるのみに非ずして、才気の高邁なる者も亦敢えて躐(こ)え易(あなど)りて進まず」と。

呂氏曰く「聖人の道を体して隠すこと無きこと、天象と与に昭然たり、至教に非ざる莫し。常に以て人に示し、人自ら察せず」と。

無A不B AとしてBせざる無し

作・止・語・黙 動作、停止語る、語らないすべて教え

猶ほ天のごとく然り。天と同一
使、使役と仮定の意味あり

幾(ちか)し 婉曲的ないみあい

述而第七 二十四章

(本文)子、四を以て教ふ。文、行、忠、信。
訳:孔子は四つのことを教えた。文・行・忠・信である。

行は、去声(注1)。
○程子曰く「人に教ふるに文(注2)を学び行を修めて忠信(注3)を存する(注4)を以てするなり(注5)。忠信は、本なり」と。

訳:行は、去声。
○程子が言った。「文を学び、行動を修めて、忠信を保持することを人に教えたのである。忠信とは、根本である。」(文を学ぶにしても行動を修めるにしても誠がなくてはいけない。行動と心の一致。文を学ぶなら心から、行動を修めるなる誠実に。)

忠・信=誠 
対異散同・・・忠信を同じ意味で使っている時と違う意味で使っている時がある。今回は区別なし。

短い文で心がより大事であることを示す。

(注1)行は、去声=「行」を去声で読むと「行う」の意味になる。
(注2)文=聖賢の残した書
(注3)忠信=今回は「誠」と同義。対異散同と言い、同じ字を使っていても違う意味になる場合がある。
(注4)人に教ふるに文を学び行を修めて忠信を存する=「而」を置くことで「学文修行」と「存忠信」とがそれぞれ段階が違うことを表している。
(注5)教人以学文修行而忠信也=文法:「V以て…」の構造。「Vするに…を以てす」と書き下し。

述而第七25章

子曰く、「聖人は吾得て之を見ず。君子者を見るを得れば、斯ち可なり」と。

聖人とは、神明測られざるの号。君子とは、才徳衆に出づるの名。

子曰く、「善人は吾得て之を見ず。恒有る者を見るを得れば、斯ち可なり」と。
恒は、胡登の反。○「子曰」の字、疑ふらくは衍文ならん。恒は、常久の意。張子曰く、「恒有る者、其の心を弐せず。善人は、仁に志して悪無し」と。
亡にして有と為し、虚にして盈と為し、約にして泰と為す。難きかな恒有ること。

亡は、読みて無と為す。○三者は皆な虚夸の事。凡そ此の若き者、必ず其の常を守ること能はざるなり。

○張敬夫曰く、「聖人、君子は、学を以て言ふ。善人、恒有る者は、質を以て言ふ」と。愚謂へらく、恒有る者と聖人と、高下固より懸絶す。然れども未だ恒有る自りせずして能く聖に至る者有らざるなり。故に章末に申ねて恒有るの義を言ふ。其の人に徳に入るの門を示すこと、深切にして著明なりと謂ふべし。

述而第七_26_
子は釣(ちょう)して綱(こう)せず。弋(よく)して宿(しゅく)を射あてず。

射は食亦の反。

綱は、大縄を以て網に属(つ)け、流れを絶ちて漁する者なり。弋(よく)は、生糸を以て矢に繋ぎて射るなり。宿は宿鳥。

洪氏曰く「孔子少きとき貧賤にして、養と祭との為に、或は已むを得ずして釣弋す。猟較の如き是れなり。然れども物を尽くして之を取ると、其を不意に出るは、亦為さざるなり。此に仁人の本心を見る可し。物を待つこと此の如し、人の待つこと知る可し。小なる者は此の如くなれば、大なる者知る可し」と。

養 親を養う
祭 先祖を祭る
或は ~こともあった
猟較 ??孟子に用例あり
仁 生の徳
物 人との対応で動物の意

述而第七 二十七章

子曰く「蓋し知らずして之を作(な)す(注1)者有り。我は是れ無きなり。多く聞きて、其の善き者を択びて之に従ひ、多く見て之を識(しる)す。知るの次なり」と。
訳:孔子が言った。「やはり(理を)知らないで行える者がいる。私はそうではない。多くのことを聞いて善い方を選んで、それに従い、多くのものを見てそれを記憶する。知っている者に次ぐ者といえる。」

識(し)、音は志(し)。○知らずして作すとは、其の理(注3)知らずして妄りに作すなり。孔子自ら言へらく未だ嘗て妄りに作さず、と。蓋し亦謙(注4)の辞なり。然れども亦其の知らざる所無きを見るべし。識は、記なり。従ふ所(注5)は択ばざるべからず。記せば則ち善悪皆当に之を存し、以て参考を備ふべし。此くの如き者は未だ実(まこと)に其の理を知ること能はずと雖も、亦以て之を知る者に次ぐべし。

訳:識、音は志。○知らずして作す、というのは(その対象の)理を知らないで無闇やたらに行うということ。孔子が自ら言うには、(私は理を知らずに)無闇に行ったことは無い、と。やはりこれも謙遜の言葉であろう。しかしここから孔子には知らないことは無いということもわかるのである。識は、記憶の意味である。従うやり方は選ばなければならない。記憶すれば、善悪どちらも(頭の中に)保全し、(従う際の)参考を備えることができる。このような人は本当にその(対象の)理を知っているわけではないけれど、(その対象の理を)知っている者に次ぐのだということができる。

(注1)作=作(な)す、と読む。行うの意味。
(注2)識(し)、音は志(し)=この音で読むと「識」字は「記憶する」の意味になる。
(注3)理=一つの物ごとに付与されている理。天理(根本的な理)ではない。理一分殊。

(注4)謙=「謙(へりくだ)る」と書き下してもよい。

勉強してなくてもむやみやたらに行うこともできるだろう人もいるだろうが私はそうはしない、という言い方。

(注5)所=「所」字は「やり方・方法」を示す。

二重否定は強い肯定として訳す。


  1. その状況の本質を分かっている人=その状況に何回も直面している人

直面した状況の本質を知っているわけでははないけれど、知識の中から似たような状況を知っていて、知識の中から解決法を引っ張ってこれる人は本質を分かっている人に次ぐ。

朱子に言わせれば、知識を蓄えていけば、ある時、どんな状況においても本質を分かっている人と同等の人になれる。孔子のような聖人。

述而第七28章

後日掲載

述而第七29章

子曰く、「仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯ち仁至る」と。
仁は、心の徳、外に在るに非ざるなり。放ちて求めず。故に以て遠しと為す者有り。反り

みて之を求むれば、則ち此に即きて在り。夫れ豈に遠からんや。○程子曰く、「仁を為すは己に由る。之を欲すれば則ち至る。何の遠きことか之有らん」と。

述而第七30章

陳の司敗問ふ「昭公礼を知るか」と。
孔子曰く「礼を知る」と。

陳は国名。司敗は官名。即ち司寇(しこう)なり。昭公は魯の君、名は稠(ちょう)、威儀の節に習ふ。当時以て礼を知ると為す。故に司敗以て問を為して孔子之に答うること此の如し。

孔子退く。巫馬期に揖(ゆう)して之を進めて曰く「吾聞く君子は党せずと君子も亦党するか。君呉を取りて同姓為り。之を呉孟子と謂ふ。君にして礼を知る、孰(いずれ)か礼を知らざらむ」と。

取は七住の反。

巫馬は姓。期は字。孔子の弟子にして名は施なり。司敗揖(ゆう)して之を進むる。相助けて非を匿すを党と曰う。礼に同姓を娶らず。而して魯と呉と皆姫姓なり。之を呉孟子と謂うは、之を諱(い)み宋の女(むすめ)の子姓の者の若く然らしむなり。

巫馬期以て告ぐ。子曰く「丘は幸なり。苟しくも過ち有れば、人必ず之を知らしむ」と。

孔子自ら君の悪を諱むと謂う可からず。又同姓を娶るを以て礼を知ると為す可からず。故に受けて以て過と為して辞せず。

呉氏曰く「魯蓋し夫子の父母の国なり。昭公は魯の先君なり。司敗も又未だ嘗て顕かに其の事を言わずして遽(にわ)かに礼を知るを以て問いと為す。其之に対ふるは宜しく此の如くあるべし。司敗以て党有りと為すに及んで、而して夫子受くるを以て過と為す。蓋し夫子の盛德、可からざる所無し。然して其の受けて以て過と為すや、亦其の過つ所以を正言せず。初めより孟子の事を知らざる者の若し。以て万世の法と為す可し」と。

司寇 警察、刑罰の長

取 ここでは娶という意味

相、互いにという意味合い以外にも下の動詞が他動詞という意味もあり

述而第七 三十一章

【本文】子、人と歌ひて善ければ、必ず之を反(かえ)さしめて、而る後之に和す。
〈訳〉
孔子は、人と歌って善ければ、必ずその歌をもう一度歌わせて、そうした後に自分も一緒に歌った。

【注釈】和は、去声。(注1)
○反は、復なり(注2)。必ず復た歌はしむるは、其の詳を得て其の善を取らんと欲すればなり。而る後之に和するは、其の詳を得て其の善を与にする(注3)を喜べばなり。此に聖人の気象(注4)従容として、誠意懇至にして、其の謙遜審密、人の善を掩はざること又此くの如きを見る。蓋し一事の微にして、衆善の集、勝(あ)げて既(つ)くすべからざること有り。読者宜しく之を詳味すべし(注5)。
〈訳〉
和は去声で読む。
○反は、復である。必ずもう一度歌わせたのは、その(人の歌の)詳細な所を理解して、その(歌の)善いところを取り入れたいからである。その後に一緒に歌うのは、その(歌の)詳細を理解してその(歌の)善である部分と分かち合えることを喜んだからである。この文章に聖人の気象(雰囲気のこと)はゆったりとしていて、誠意が極めて懇ろであって、そしてその謙遜さは行き届いており、他人の善なる部分を覆い隠してしまわないことは、まさにこの様であることがわかる。やはりこんなちいさい一事のことに沢山の善が集まっていて、言いつくすことはできない。読者はそうした事をじっくり味わうのがよい。

(注1)和は、去声=去声だと「合わせる」という意味なり、ここでは「唱和する」の意味で取るのが良い。平声だと「和む」という意味になる。
(注2)反は、復なり=「繰り返す、もう一回やる」の意
(注3)与にす=単に「一緒にやる」という意味だけでなく、「一緒にやれるだけの相手だと認めた」という意味も含むので注意。
(注4)気象=雰囲気のこと。
(注5)詳味=「詳」という字を使ったのは分析して考えて味わえ、という意味が込められている。朱子の分析的な性格が出ている。

歌をほめると同時にその歌を歌える人を誉めてもいる。歌には人の心を操作する力がある。心を良い方に持っていける歌を歌う人はすごい

述而第七32章 

後日掲載

述而第七33章

子曰く「聖と仁との若きは、則ち吾れ豈に敢てせんや。抑も之を為して厭わず、人を誨(おし)えて倦まざるは、則ち爾(しか)云ふと謂ふ可きのみ」と。
公西華曰く「正に唯だ弟子学ぶこと能わざるなり」と。

此れも亦夫子の謙辞なり。聖とは大にして之を化す。仁則ち心徳の全にして人道の備(び)なり。之を為すとは、仁聖の道を為すを謂ふ。人を誨ふとは、亦此を以て人に教ふるを謂ふなり。然れども厭わず倦まざるは、己に之有るに非ざれば則ち能くせず。弟子学ぶこと能わざる所以なり。

晁氏曰く「当時夫子を聖にして且つ仁なりと称する者有り。故を以て夫子之を辞す。苟しくも之を辞するのみなれば、則ち以て天下の材を進め、天下の善を率いること無く、将に聖と仁とをして虚器と為さしめて、人終に能く至ること莫からんとす。故に夫子仁聖に居らずと雖も、必ず之を為して厭わず、人を誨えて倦まざるをもって自ら処るなり爾云ふと謂う可きのみとは、他無きの辞なり。公西華仰ぎて之を歎ず。其亦深く夫子の意を知るなり」と。

大にして之を化す。 孟子の尽心の下「浩生不害問曰~」

心徳の全 人道の備 完全な心徳、完備した人道

材 人材

述而第七 三十四章

【本文】子の疾(しつ)、病なり。子路祷らんことを請ふ。子曰く「諸有りや」と。子路対へて曰く「之有り。誄(るい)に曰く『爾(なんじ)を上下の神衹(しんぎ)に祷る』」と。子曰く「丘の祷ること久し」と。
〈訳〉
孔子の疾は重かった。子路は孔子の為に祈りたいと頼んだ。孔子が言った。「祈る道理はあるのか。」子路が答えていった。「あります。誄に『汝のことを天地の神々に祷る』とあります。」孔子が言った。「私はもう長らく祷っているよ。」

【五祀】ごし中国の家庭で行う五つのまつり。春は戸(入り口の神)、夏は竈そう(かまどの神)、季夏(夏のすえ)は中霤ちゆうりゆう(室内の神)、秋は門(門の神)、冬は行(道路の神)をまつる。〔礼・月令

程氏経説
【注釈】誄は力軌の反。
○祷(とう)は、鬼神に祷るを謂ふ。諸有りやとは、此の理(注1)有るや否やを問ふ。誄(注2)とは、死を哀しみて其の行を述ぶるの辞なり。上下は、天地を謂ふ。天は神と曰ひ、地は衹(ぎ)と曰ふ。【祷は、過ちを悔ひ善に遷り、以て神の佑くるを祈るなり】。其の理無ければ則ち必ずしも祷らず。既に之有りと曰ふは、【則ち聖人未だ嘗て過ち有らず。善の遷るべき無し】。其の素行固より已に神明に合す。【故に曰く「丘の祷ること久し(注3)」と。(注4)】又た士喪礼(注5)は、疾、病なれば祷りを五祀に行ふ。
蓋し臣子迫切の至情は、自ら已むること能はざる者有り。初めより病者に請ひて後祷らざるなり。故に孔子の子路に於けるや、直ちに之を拒まずして、但だ告るに祷りを事とする所無きの意を以てす(注6)。
〈訳〉
誄は力軌の反で読む。
○祷は、鬼神に祷るということ。「諸有りや」はこの行いに理が有るかないかを質問したもの。誄とは、死を哀しんでその人の(生前の)行いを称えることである。上下は、天地のこと。天は神と言い、地は衹と言う。祷は過ちを反省し善に転じ、それで神が助けてくれることを祈るものである。その必要が無ければ必ずしも祷らなくてもよい。なのに(子路が)「道理が有ります」と言った。聖人にはそもそも過ちなどというものは無く、(これ以上)善に転じることはできない。聖人の素行はもともとすでに神明と合致している(祷る対象の神明と合致している)。なので(孔子先生は)「私は長らく神衹に祷っているよ(行いが完全に神と一致しているから)」と言ったのである。さらに「士喪礼」では、疾が重ければ五祀に対して祷るとされている。
やはり臣下や子としての最も切実な感情として、おさえきれないものである。そもそもが病人に頼んでから祷るというものでは無い。なので孔子は子路に対して、きっぱりと断ることはせずに、ただ祷る理由が無いという意を伝えるに止めたのである。

(注1)理=今回は軽い意味であり、日常語としての理。「道理」などと訳す。この章に出てくる「理」字は皆これに該当する。
(注2)誄=死者を祭る文。死者の生前の事柄を述べ、さらに哀悼の意を表した文章。
(注3)「丘の祷ること久し」と=祷る対象である神明と孔子の行いが完全に一致していることからの発言としている。
(注4)祷は~「丘の祷ること久し」と=【】で囲った部分はそれぞれ『程氏経説』からの引用。
(注5)士喪礼=『礼記』の鄭玄の注から引用。
(注6) 但だ告るに祷りを事とする所無きの意を以てす(但告以無所事祷之意)=文法:《動詞》(《目的語》)以《名詞》=(《目的語》を)《動詞》するに《名詞》を以てす

述而第七35章 

後日掲載

述而第七36章

子曰く、「君子は坦として蕩蕩たり。小人は長えに戚戚たり」と。
坦は、平なり。蕩蕩は、寛広の貌。程子曰く、「君子は理に循ふ。故に常に舒泰なり。小人は物に役せらる。故に憂戚多し」と。○程子曰く、「君子は坦として蕩蕩、心広く体胖かなり」と。

述而第七37章

子温やかにして厲しく、威ありて猛からず、恭にして安し。

厲は厳粛なり。人の徳性、本(もと)備わらざること無くして、気質の賦(ふ)する所、偏らざること有ること鮮し。惟だ聖人の全体は渾然として、陰陽徳を合す。故に其の中和の気は容貌の間に見(あらわ)るる者此の如し。門人熟察して詳らかに之を記す。亦其の心を用ふるの密を見る可し。抑(そもそも)知以て聖人を知るに足りて、善言徳行をある者に非ざれば記すこと能くせず。故に程子以為らく、曽子の言なり。学者宜しく反復して心を玩ぶべき所なり。

語句)
徳性 人の性
知以て聖人を知るに足るby孟子
本文訳)
子はおだやかで厳しく威厳があるものの威圧することなく丁寧でゆったりしていた

注の訳)
厲は厳粛の意味。
人の生まれながらに持つ完全だが気質の無軌道な動きによっておおわれてしまい偏らないことがない。
聖人は完全なる本質(天理)と一体である
気の面で言えば陰陽の気の特性を併せて発動している。
あらゆる面で正しく動くことができる。
それゆえに陰陽の中和された雰囲気がこの章に顕れているこれである。
門人は孔子の有様をしっかりと見極めてこのように事細かに記した。
やはりこういうところにこの緻密な心待ちを見て取れるだろう。
もし聖人を知るほどに知恵がある且つ善言徳行を実際にやっていたものでなければこのように記すことなどできないだろう。
だから程子は曽子の言葉としたのである。
この道を学ぶ者は何度でも繰り返し考えるべきところである。


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