為政第二

■為政第二 01章
子曰く、「政を為すに徳を以てすれば、譬へば北辰其の所に居りて衆星之に共ふが如し」と。

共は、音は拱、亦た拱に作る。〇政の言為る正なり、人の不正を正す所以なり。徳の言為る得なり、心に得て失はざるなり。北辰は、北極、天の枢なり。其の所に居るは、動かざるなり。共は、向なり。言ふこころは衆星は四面旋繞して之に帰向す。政を為すに徳を以てすれば、則ち無為にして天下之に帰す。其の象此くの如し。〇程子曰く、「政を為すに徳を以てして、然る後無為なり」と。范氏(注1)曰く、「政を為すに徳を以てすれば、則ち動かずして化し、言はずして信あり、無為にして成る。守る所の者至簡にして能く煩を御し、処る所の者至静にして能く動を制し、務むる所の者至寡にして能く衆を服せしむ」と。
[米村]

■為政第二 02章
子曰く、「詩三百、一言以て之を蔽へば、曰く思ひ邪無し」と。

詩は三百十一篇。三百と言ふ者は、大数を挙ぐ。蔽は、猶ほ蓋のごとし。思ひ邪無しは、魯頌?篇の辞。凡そ詩の言は、善なる者は以て人の善心を感発すべく、悪なる者は以て人の逸志を懲創すべし。其の用は人をして其の情性の正しきを得しむるに帰するのみ。然れども其の言微婉にして、且つ或いは各々一事に因りて発す。其の直ちに全体を指すを求むれば、則ち未だ此くの若きの明らかにして且つ尽くせる者有らず。故に夫子言ふ、詩三百篇にして、惟だ此の一言のみ以て尽く其の義を蓋ふに足ると。其の人に示すの意、亦た深切なり。〇程子曰く、「思ひ邪無しとは、誠なり」と。范氏曰く、「学者は必ず要を知るを務む。要を知れば、則ち能く約を守る。約を守れば、則ち以て博きを尽くすに足る。経礼三百、曲礼三千、亦た一言以て之を蔽ふべし。曰く敬せざる毋し」と。
[石川]

■為政第二 03章

後日掲載

■為政第二 04章
子曰く、「吾、十有五にして学に志し、

古者十五にして大学に入る。心の之く所、之を志と謂ふ。此に謂所学は、即ち大学の道なり。此に志せば、則ち念念此に在りて、之を為して厭はず。

三十にして立ち、

以て自ら立つこと有れば、則ち之を守ること固くして、志を事とする所無し。

四十にして惑はず、

事物の当に然るべき所に於いて、皆疑ふ所無ければ、則ち之を知ること明らかにして、守るを事とする所無し。

五十にして天命を知り、

天命は、即ち天道の流行して物に賦する者。乃ち事物の当に然るべき所以の故なり。此を知れば、則ち知其の精を極めて、惑はざること、又言ふに足らず。

六十にして耳順ひ、

声入りて心通じ、違逆する所無し。之を知るの至りにして、思はずして得るなり。

七十にして心の欲する所に従ひて、矩を踰へず」と。

従は、字の如し。〇従は、随なり。矩は、法度の器、方を為る所以の者なり。其の心の欲する所に随ひて、自ら法度を過ぎず、安んじて之を行ひ、勉めずして中るなり。〇程子曰く、「孔子は生まれながらにして之を知るなり。亦学に由りて至ると言ふは、後の人を勉め進むる所以なり。立つは、能く自ら斯の道に立つなり。惑はずは、則ち疑ふ所無し。天命を知るは、理を窮めて性を尽くすなり。耳順ふは、聞く所皆通ずるなり。心の欲する所に従ひて矩を踰へずは、則ち勉めずして中るなり」と。又曰く、「孔子自ら其の徳に進むの序を言ふこと此の如きは、聖人未だ必ずしも然らず、但だ学者の為に法を立て、之をして科を盈たして後進み、章を成して後に達せしむるのみ」と。胡氏曰く、「聖人の教、亦術多し。然れども其の要は、人をして其の本心を失はざらしむるのみ。此の心を得んと欲する者は、惟だ聖人の示す所の学に志し、其の序に循ひて進むのみ。一疵も存せず、万理明らかにして尽くすに至るの後、則ち其の日用の間、本心瑩然として、意欲する所に随ひて、至理に非ざるは莫し。蓋し心は即ち体、欲は即ち用。体は即ち道、用は即ち義。声は律と為りて、身は度と為る」と。又曰く、「聖人此を言ふは、一には以て学者当に優游涵泳すべく、等を?へて進む可からざるを示し、二には以て学者当に日に就り月に将むべく、半塗にして廃す可からざるを示すなり」と。愚謂へらく、聖人は生知安行にして、固より積累の漸無し。然れども其の心、未だ嘗て自ら已に此に至ると謂はざるなり。是れ其の日用の間、必ず独り其の進を覚りて、人知るに及ばざる者有り。故に其の近似に因りて以て自ら名づけ、学者是を以て則と為して、自ら勉むるを欲す。心実に聖自りして、姑く是の退託を為すに非ず。後に凡そ謙辞を言ふの属は、意皆此に放ふ。
[中村裕]

■為政第二 05章
孟懿子孝を問ふ。子曰く、「違ふこと無し」と。

孟懿子は、魯の大夫仲孫氏、名は何忌。違ふこと無しとは、理に背かざるを謂ふ。

樊遲御たり、子之に告げて曰く、「孟孫孝を我に問ふ。我対へて曰く『違ふこと無し』と。」と。

樊遲は、孔子の弟子、名は須。御は、孔子の為に車を御すなり。孟孫は、即ち仲孫なり。夫子懿子未だ達せずして問ふこと能はざるを以て、其の指を失ひて、親の令に従ふを以て孝と為すを恐る。故に樊遲に語りて以て之を発す。

樊遲曰く、「何の謂ぞや」と。子曰く、「生くるには、之に事ふるに礼を以てし、死するには、之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす」と。

生事葬祭は、親に事ふるの始終具はる。礼は、即ち理の節文なり。人の親に事ふるは、始め自り終りに至るまで、礼に一にして苟(かりそめ)にせず、其の親を尊ぶや至れり。是の時三家礼を僭す、故に夫子是を以て之を警す。然れども語意渾然として、又専ら三家の為に発せざる者の若し。聖人の言たる所以なり。〇胡氏曰く、「人の其の親に孝せんと欲するは、心は窮まり無しと雖も、而れども分は則ち限り有り。為すことを得て為さざると、為すことを得ずして之を為すとは、不孝に均し。所謂礼を以てするは、其の為し得る所の者を為すのみ」と。
[米村]

■為政第二 06章
孟武伯孝を問ふ。子曰く、「父母は唯だ其の疾を之れ憂ふ」と。

武伯は、懿子の子、名は?。言ふこころは、父母の子を愛するの心、至らざる所無し。惟だ其の疾病有るを恐れ、常に以て憂ひと為す。人子之を体して、父母の心を以て心と為せば、則ち凡そ其の身を守る所以の者、自ら謹まざるを容れず。豈以て孝と為すべからざらんや。旧説、人子能く父母をして其の不義に陥るを以て憂ひと為さずして、独り其の疾を以て憂ひと為さしむれば、乃ち孝と謂ふべし。亦た通ず。
[石川]

■為政第二 07章
子游孝を問ふ。子曰く、「今の孝は、是れ能く養ふを謂ふ。犬馬に至るまで、皆能く養ふこと有り。敬せざれば何を以て別たんや」と。

養は去声。別は彼別の反。〇子游は孔子の弟子。姓は言、名は偃。養は飲食供奉を謂ふなり。犬馬は人を待ちて食す、亦養ふが若く然り。言ふこころは人犬馬を畜へば、皆能く以て之を養ふこと有り。若し能く其の親を養ひて敬至らざれば、則ち犬馬を養ふ者と何ぞ異ならん。甚だ不敬の罪を言ふ、深く之を警むる所以なり。〇胡氏曰く、「世俗の親に事ふること、能く養ふは足れり。恩に狎れ愛を恃みて、其の漸く不敬に流るるを知らざるは、則ち小失に非ざるなり。子游は聖門の高弟なるも、未だ必ずしも此に至らず。聖人直に其の愛の敬を踰ゆるを恐る。故に是を以て深く之を警発するなり」と。
[吉田]

■為政第二 08章
子夏孝を問ふ。子曰く、「色難し。事有れば、弟子其の労に服し、酒食有れば、先生饌す。曽て是を以て孝と為すか」と。

食は、音嗣。〇色難しとは、親に事ふるの際、惟だ色を難しと為すを謂ふなり。食は、飯なり。先生は、父兄なり。饌は、之を飲食するなり。曽は、猶ほ嘗のごとし。蓋し孝子の深く愛すること有る者は、必ず和気有り。和気有る者は、必ず愉色有り。愉色有る者は、必ず婉容有り。故に親に事ふるの際、惟だ色を難しと為すのみ。労に服し養に奉ずるは、未だ孝と為すに足らざるなり。旧説に、「父母の色に承順なるを難しと為す」と。亦た通ず。〇程子曰く、「懿子に告ぐるは、衆人に告ぐる者なり。武伯に告ぐるは、其の人の憂ふ可きの事多きを以てなり。子游は能く養ふも、或ひは敬に失す。子夏は能く義に直なれども、或ひは温潤の色少なし。各々、其の材の高下と、其の失する所とに因りて之に告ぐ。故に同じからざるなり」と。
[中村裕]

■為政第二 09章
子曰く、「吾回と言ふこと終日、違はざること愚なるが如し。退きて其の私を省れば、亦た以て発するに足れり。回や愚ならず」と。

回は、孔子の弟子、姓は顔、字は子淵。違はずとは、意相背かず、聴受有りて問難無し。私とは、燕居独処して、進見請問の時に非ざるを謂ふ。発は、言ふ所の理を発明するを謂ふ。愚之を師に聞きて曰く、「顔子は深潜純粋、其の聖人に於けるや体段已に具はる。其の夫子の言を聞くや、黙識心融、触処洞然、自ずから条理有り。故に終日言ひて、但だ其の違はざること愚人の如くなるを見るのみ。退きて其の私を省るに及べば、則ち其の日用動静語黙の間、皆以て夫子の道を発明するに足り、坦然として之に由りて疑ふこと無きを見る、然る後其の愚ならざるを知るなり」と。
[米村]

■為政第二 10章
子曰く、「其の以す所を視、

以は、為なり。善を為す者を君子と為す。悪を為す者を小人と為す。

其の由る所を観、

観、視に比べて詳と為す。由は、従なり。事善を為すと雖も、而れども意の従りて来る所の者未だ善ならざること有れば、則ち亦た君子と為すを得ず。或るひと曰く、「由は、行なり。其の為す所を行ふ所以の者を謂ふ」と。

其の安んずる所を察すれば、

察は、則ち又詳を加ふ。安は、楽しむ所なり。由る所善なりと雖も、而れども心の楽しむ所の者是に在らざれば、則ち亦た偽りのみ。豈能く久しくして変ぜざらんや。

人焉くんぞ?さんや。人焉くんぞ?さんや」と。

焉は、於虔の反。?は、所留の反。〇焉は、何なり。?は、匿なり。重言して以て深く之を明らかにす。〇程子曰く、「己に在る者能く言を知り理を窮むれば、則ち能く此を以て人を察すること聖人の如し」と。
[石川]

■為政第二 11章
子曰く「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師為るべし。」

温は尋繹なり。故は旧く聞く所。新は今に得る所。言ふこころは学びて能く時に旧聞を習ひて、毎に新たに得ること有れば、則ち学ぶ所我に在りて、其の応窮まらず。故に以て人の師為るべし。夫の記問の学の若きは、則ち心に得ること無くして、知る所限り有り。故に学記に其の以て人の師為るに足らざるを譏るは、正に此の意と互いに相発するなり。

[吉田]

■為政第二 12章
子曰く、「君子は器ならず」と。

器は、各々其の用に適して、相通ずること能はず。成徳の士は、体具はらざる無く、故に用、周からざること無し。特だに一才一芸を為すのみに非ず。
[中村裕]

■為政第二 13章
子貢君子を問ふ。子曰く、「先ず其の言を行ひて後に之に従ふ」と。

周氏曰く、「先ず其の言を行ふとは、之を未だ言はざるの前に行ふなり。後に之に従ふとは、之を既に行ふの後に言ふなり」と。〇范氏曰く、「子貢の患は、言ふを之れ艱ずるに非ずして行ふを之れ艱ず。故に之に告ぐるに此を以てす」と。
[米村]

■為政第二 14章
子曰く、「君子は周して比せず、小人は比して周せず」と。

周は、普遍なり。比は、偏党なり。皆人と親厚するの意、但だ周は公にして比は私なるのみ。〇君子小人の為す所同じからざるは、陰陽昼夜の如く、毎毎相反す。然れども其の分かるる所以を究むれば、則ち公私の際、毫釐の差に在るのみ。故に聖人周比、和同、驕泰の属に於いて、常に対挙して之を互言し、学者の両間に察して、其の取舎の幾を審かにせんことを欲す。
[米村]

■為政第二 15章
子曰く「学んで思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し。」

諸を心に求めず、故に昏くして得ること無し。其の事を習はず、故に危ふくして安からず。〇程氏の曰く「博学、審問、慎思、明辯、篤行の五者、其の一を廃せば、学に非ざるなり。」

[吉田]

■為政第二 16章
子曰く、「異端を攻むるは、斯れ害なるのみ」と。

范氏曰く、「攻は、専ら治むるなり。故に木石金玉を治むるの工を攻と曰ふ。異端は、聖人の道に非ずして、別に一端を為す。楊、墨の如きは是なり。其れ天下を率ゐて、父を無みし君を無みするに至る。専ら治めて之を精しくせんと欲すれば、害を為すこと甚だし」と。〇程子曰く、「仏氏の言、之を楊、墨と比するに、尤も理に近しと為す。其の害、尤も甚だしきを為す所以なり。学者当に淫声美色の如く以て之を遠ざくるべし。爾らざれば、則ち駸駸然として其の中に入る」と。
[中村祐]

■為政第二 17章
子曰く、「由や。女に之を知ることを誨へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり」と。

女は、音は汝。〇由は、孔子の弟子、姓は仲、字は子路。子路勇を好み、蓋し其の知らざる所を強ひて以て知ると為す者有り。故に夫子之に告げて曰く、「我女に教ふるに之を知るの道を以てせんか」と。但だ知る所の者は則ち以て知ると為し、知らざる所の者は則ち以て知らずと為す。此くの如ければ則ち或ひは尽く知ること能はずと雖も、而れども自ら欺くの弊無く、亦た其の知ると為すを害はず。況んや此に由りて之を求むれば、又知るべきの理有らんや。
[米村]

■為政第二 18章
子張禄を干めんことを学ぶ。

子張は、孔子の弟子、姓は?孫、名は師。干は、求なり。禄は、仕ふる者の奉なり。

子曰く、「多く聞きて疑はしきを闕き、慎みて其の余を言へば、則ち尤寡し。多く見て殆きを闕き、慎みて其の余を行へば、則ち悔寡し。言、尤寡く、行、悔寡ければ、禄其の中に在り」と。

行寡の行は、去声。〇呂氏曰く、「疑とは、未だ信ぜざる所なり。殆とは、未だ安んぜざる所なり」と。程子曰く、「尤は、罪の外自り至る者なり。悔は、理の内自り出ずる者なり」と。愚謂へらく、聞見多き者は、之を学ぶこと博く、疑殆を闕く者は、之を択ぶこと精なり、言行を慎む者は、之を守ること約なり。凡そ其の中に在りと言ふ者は、皆な求めずして自ら至るの辞なり。此を言ひて以て子張の失を救ひて之を進むるなり。〇程子曰く、「天爵を修むれば、則ち人爵至る、君子の言行能く謹むは、禄を得るの道なり。子張禄を干めんことを学ぶ、故に之に告ぐるに此を以てし、其の心を定めて利禄の為に動かざらしむ、顔閔の若きは則ち此の問ひ無し。或ひと疑ふ、此の如くしても亦た禄を得ざる者有らん、と、孔子蓋し曰く、耕すや餒其の中に在り、と、惟だ理の為すべき者之を為すのみ」と。
[米村]

■為政第二 19章
哀公問ひて曰く「何を為せば則ち民服す」と。孔子対へて曰く「直きを挙げ諸々の枉れるを錯けば、則ち民に服す。枉れるを挙げ諸々の直きを錯けば、則ち民服せざるなり。」

哀公は、魯の君、名は蒋。凡そ君問ふに、孔子対へて曰くと称するは、君を尊すればなり。錯は捨置なり。諸は、衆なり。程氏の曰く「挙錯義を得れば、則ち人心服す。」〇謝氏の曰く「直を好み枉を悪むは、天下の至情なり。之に順へば則ち服し、之に逆らへば則ち去る、必然の理なり。然れども或は道以て之を照らすこと無ければ、則ち直を以て枉と為し、枉を以て直と為す者多し。是を以て君子敬に居るを大とし理を窮むるを貴ぶなり。」

[吉田]

■為政第二 20章
季康子問ふ、「民をして敬忠以て勧めしむるには、之を如何せん」と。子曰く、「之に臨むに荘を以てすれば、則ち敬。孝慈なれば則ち忠。善を挙げて不能を教ふれば則ち勧む」と。

季康子は、魯の大夫、季孫氏、名は肥。荘は、容貌の端厳なるを謂ふなり。民に臨むに荘を以てすれば、則ち民己を敬す。親に孝にして、衆に慈なれば、則ち民己に忠なり。善者は之を挙げて、不能者は之を教ふれば、則ち民勧む所有りて、善を為すを楽しむ。〇張敬夫曰く、「此れ皆我の当に為すべき所に在り。民をして敬忠にして以て勧めしめんと欲するが為にして、之を為すに非ざるなり。然れども能く是の如くなれば、則ち其の応、蓋し然るを期せずして然る者有り」と。
[中村祐]

■為政第二 21章
或ひと孔子に謂ひて曰く、「子奚ぞ政を為さざる」と。

定公の初年、孔子仕へず。故に或ひと其の政を為さざるを疑ふ。

子曰く、「書に云ふ、『孝なるかな惟れ孝、兄弟に友に、有政に施す』と。是も亦た政を為すなり、奚ぞ其れ政を為すことを為さん」と。

書は周書君陳の篇。書に云ふ孝なるかなとは、言ふこころは書の孝を言ふこと此くの如し。兄弟と善きを曰ふ。書に言ふ、君陳は能く親に孝に、兄弟に友にして、又能く此の心を推し広めて、以て一家の政を為す。孔子之を引きて言ふ、「此くの如ければ、則ち是れ亦た政を為すなり。何ぞ必ずしも位に居るを乃ち政を為すと為さんや」と。蓋し孔子の仕へざるは、以て或ひとに語り難き者有り。故に此に託して以て之に告ぐ。之を要するに至理も亦た是に外ならず。
[米村]

■為政第二 22章

後日掲載

■為政第二 23章
子張問ふ、「十世知る可きか」と。

陸氏曰く、「也は、一に乎に作る」と。〇王者姓を易へ命を受くるを一世と為す。子張問ふ、「此れ自り以後、十世の事、前知す可きか」と。

子曰く、「殷は夏の礼に因り、損益する所、知る可きなり。周は殷の礼に因り、損益する所、知る可きなり。其れ或ひは周を継ぐ者は、百世と雖も知る可きなり」と。

馬氏曰く、「因る所とは、三綱五常を謂ひ、損益する所とは、文質三統を謂ふ」と。愚按ずるに、三綱は、君は臣の綱為り、父は子の綱為り、夫は妻の綱為るを謂ふ。五常は、仁義礼智信を謂ふ。文質は、夏の忠を尚び、商の質を尚び、周の文を尚ぶを謂ふ。三統は、夏の正の寅を建すを人統と為し、商の正の丑を建すを地統と為し、周の正の子を建すを天統と為すを謂ふ。三綱五常は、礼の大体、三代相ひ継ぎ、皆之に因りて変ずること能はず。其の損益する所は、文章制度の小しく過不及あるの間に過ぎずして、其の已に然るの迹、今皆見る可し。則ち今自り以往、或ひは周を継ぎて王たる者有れば、百世の遠しと雖も、因る所革むる所、亦た此に過ぎず。豈に但だ十世のみならんや。聖人来を知る所以の者は蓋し此の如し。後世の讖緯術数の学の若きに非ざるなり。〇胡氏曰く、「子張の問ひは、蓋し来を知らんと欲して、聖人の言は其の既に往く者以て之を明らかにするなり。夫れ身を修むる自り以て天下を為むるに至るまで、一日として礼無かる可からず。天敍天秩は、人の共に由る所にして、礼の本なり。商は夏を改むること能はず、周は商を改むること能はず。所謂天地の常経なり。若し乃ち制度文為、或ひは太だ過ぐれば、則ち当に損すべし。或ひは足らざれば、則ち当に益すべし。之を益し之を損し、時と与に之に宜しくして、因る所の者壊れざるは、是れ古今の通義なり。往に因りて来を推せば、百世の遠しと雖も、此の如きに過ぎざるのみ」と。
[中村祐]

■為政第二 24章

後日掲載

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?