雍也第六

凡そ二十八章。篇内第十四章以前(十四章を含む)、大意前篇と同じ。
【雍也篇第一章】
子曰く「雍や南面せしむべし」と。
南面は、人君聴治の位。言ふこころは仲弓寛洪簡重(じゅう)にして、人君の度有り。

仲弓子桑伯子を問ふ。子曰く「可なり簡」と。

子桑伯子は、魯の人。胡氏以為へらく疑ふらくは即ち荘周称する所の子桑戸なる者是なり(注1)。仲弓夫子己に南面を許すを以て、故に伯子の如何を問ふ。可とは、僅かに可にして未だ尽くさざる所有るの辞。簡とは煩(はん)ならざるの謂。

仲弓曰く「敬に居(お)りて簡を行ひ、以て其の民に臨めば、亦た可ならずや。簡に居りて簡を行ふ。乃ち大簡なること無からんや」と。

大は、音泰(注2)
○言うこころは自ら処るに敬(注3)を以てすれば、則ち中(うち)(注4)に主有りて(注5)自ら治むること厳なり。是の如くにして簡を行ひ以て民に臨めば、則ち事煩ならず(注6)して民擾(みだ)れず。可と為す所以なり(注7)。若し先づ自ら処るに簡を以てすれば、則ち中に主無くして自ら治むること疎なり。而して行く所又た簡なれば、豈に之を太簡に失して法度の守るべき無からざらんや。家語に記す、伯子は衣冠せずして処り、夫子其の人道を牛馬に同じうせんと欲するを譏ると。然らば則ち伯子は蓋し太簡なる者にして、仲弓夫子の過ちて許すを疑ふか。

子曰く「雍の言や然り」と。

仲弓蓋し未だ夫子の可の字の意を喩らざるも、其の言ふ所の理、黙契(注8)有る者なり。故に夫子之を然りとす。
○程子曰く「子桑伯子の簡は、取るべしと雖も未だ善を尽くさず。故に夫子可と云ふなり。仲弓因りて言ふ「内に敬を主として而して簡なれば、則ち要直と為す。内に簡を存して而して簡なれば、則ち疎略と為す」と。其の旨を得たりと謂ふべし。又た曰く「敬に居れば則ち心中に物無し。故に行ふ所自(おのずか)ら簡なり。簡に居れば則ち先づ簡に心有りて、一簡字多し。故に太簡と曰ふ」と。

(注1) ~是なり=「~是也」までが胡氏の言葉である。
(注2) 大は、音泰=「大」を「たい」と読め、という意味。つまりこの場合は、「大」は「太」であるということを示す。
(注3)敬=朱子学における修養法の一つ。その都度その都度の対象に専一に集中すること。
(注4)中=心
(注5) 中に主有りて=心の中の理が主導権を握って、外物をコントロールする。
(注6)煩ならず=書き下す時、「煩わしからず」でも可。
(注7) 可と為す所以なり=書き下す時、「所以[ゆえに]に可と為す」でも可。
(注8) 黙契=黙とは、黙っていること、言葉ではないことを示す。契とは、割符のこと。つまり黙契とは、言葉でない所でぴったりと合うことを表す。

雍也第六2章

哀公問ふ、「弟子孰か学を好むと為す」と。孔子対へて曰く、「顔回なる者有りて、学を好む。怒を遷さず、過ちを弍びせず。不幸にして短命にして死す。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり」と。

好は、去声。亡は、無と同じ。○遷とは、移なり。弍とは、復なり。甲に怒る者、乙に移さず。前に過つ者、後に復びせず。顔子の己に克つの功、此の如きに至る。真に学を好むと謂ふ可し。短命とは、顔子三十二にして卒するなり。既に今や則ち亡しと云ひ、又た未だ学を好む者を聞かずと言ふ。蓋し深く之を惜しみ、又た以て真に学を好む者の得難きを見はすなり。○程子曰く、「顔子の怒、物に在りて己に在らず。故に遷さず。不善有れば、未だ嘗て知らずんばあらず。之を知れば、未だ嘗て復た行はず。過ちを弍びせざるなり」と。又た曰く、「喜怒は事に在れば、則ち理の当に喜怒すべき者なり。血気に在らざれば、則ち遷さず。舜の四凶を誅するが若し。怒る可きは彼に在り、己何ぞ与らん。鑑の物を照らすが如く、妍媸は彼に在りて、物に随ひて之に応ずるのみ。何の遷すことか之れ有らん」と。又曰く、「顔子の地位の如き、豈に不善有らんや。所謂不善は、只だ是れ微かに差失有るのみ。纔かに差失あれば、便ち能く之を知り、纔かに之を知れば、便ち更に萌し作さず」と。張子曰く、「己に慊する者、再びするを萌さしめず」と。或ひと曰く、「詩書六芸、七十子習ひて通ぜざるに非ざるなり。而して夫子独り顔子を称して学を好むと為す。顔子の好む所、果たして何の学なるか」と。程子曰く、「学ぶに聖人に至るの道を以てす」と。「学の道は奈何」と。曰く、「天地精を儲へ、五行の秀を得る者人と為る。其の本たるや、真にして静なり。其の未だ発せざるや、五性具はる。曰く、『仁、義、礼、智、信』」と。形既に生じ、外物其の形に触れて、中に動く。其の中動きて七情出づ。曰く『喜、怒、哀、懼、愛、悪、欲』」と。情既に熾んにして益々蕩き、其の性鑿たれり。故に学ぶ者其の情を約して、中に合せしめ、其の心を正し、其の性を養ふのみ。然らば必ず先づ諸を心に明らかにし、往く所を知り、然る後力行して以て至らんことを求む。顔子の礼に非ざれば視、聴、言、動すること勿く、怒を遷し過を弍びせざるが若きは、則ち其の好むことの篤くして、学ぶことの其の道を得るなり。然れども其の未だ聖人に至らざるは、之を守ればなり、之を化すに非ざればなり。之に仮すに年を以てすれば、則ち日ならずして化せん。今の人、乃ち謂へらく、聖は本より生まれながらにして知り、学の至る可きに非ず、と。而れども学を為す所以の者、記誦文辞の間に過ぎず。其れ亦た顔子の学に異なれり」と。

雍也第六 3章

子華斉に使ひす。冉子其の母の為に粟(ぞく)を請ふ。子曰く「これに釜を与えよ」と。益さんことを請ふ。曰く「之に庾(ゆ)を与えよ」と。冉子之に粟五秉を与ふ。

使・為は並びに去声。

子華は公西赤なり。使は孔子の為に使いをするなり。釜は六斗四升。庾は十六斗。秉は十六斛(こく)。

子曰く「赤の斉に適くや、肥馬に乗り、軽裘を衣る。吾は之を聞けり。君子は急を周(すく)ひ富めるに継がず」と。

衣は去声。

肥馬に乗り、輕裘(いい素材の上着)を衣るは、其の富めるを言うなり。急は窮迫(貧乏)なり。周は、不足を補ふなり。継は、余り有るに続ぐことなり。

原思之が宰と為る。之に粟九百を与ふ。辞す。

原思は孔子の弟子、名は憲。孔子魯の司冠(しこう)為りし時、思を以て宰(しこうの補佐)となす。粟は、宰の禄なり。九百其の量を言わず考ふ可からず。

子曰く「毋かれ。以て爾の隣里郷党に与えよ」と。

毋(ぶ)は禁止の辞。五家を隣と為し、二十五家(か)を里と為し、万(ばん)二千五百家を郷と為し、五百家を党と為す。言うこころは、常禄は当に辞すべからず。余り有あれば自ら之を推して以て貧乏を周(すく)ふ可し。蓋し隣、里、郷、党、相周ふの義有り。

○程子曰く「夫子の子華を使わし、子華の夫子の為に使いするは、義なり。而して冉子乃ち之が為に請う。聖人寛容にして、直ちに人を拒むことを欲せず。故に之に与ふること少なし。当に与うべからざるを示す所以(訳 こと)なり。益さんことを請ひて之に与ふること亦少なし。当に益すべからざるを示す所以なり。求未だ達せずして自ら之に与ふること多し、則ち已(はなはだ)過ぎたり。故に夫子之を非とす。蓋し赤苟しくも乏に至れば、則ち夫子必ず自ら之を周ひ、請ふを待たず。原思宰為るは、則ち常禄有り。思其の多きを辞す。故に又教ふるに諸を隣里の貧者に分かつことを以てす。蓋し亦義に非ざること莫し」と。

張子曰く「斯の二者において、聖人の財を用ふることを見る可し」と。

AをBとなす ~は~である

相周くするの義有り。施しをする理由がある
求 冉子 
乃ち そこで
未だ達せず 孔子の言うことが理解できていない

雍也第六 4章

子仲弓を言ひて曰く「犂牛の子騂(あか)くして且つ角あり。用ふること勿らんと欲すと雖も、山川其れ諸を舎(お)かんや」

犂は、利之の反。騂は、息営の反。舎は、上声。○犂は雑文(=まだら模様)なり。騂は赤色なり。周人赤を尚び、牲に騂を用ふ。角は角周正にして、犠牲に中るなり。用は、用ひて以て祭るなり。山川とは、山川の神なり。言ふこころは人用ひずと雖も、神必ず舎かざるなり。仲弓、父賤しくして行ひ悪し。故に夫子此れを以て之に譬ふ。言ふこころは父の悪、其の子の善を廃すること能はず。仲弓の賢の如き、自ら當に世に用ひらるべきなり。然れども此れ仲弓を論じて云ふのみ。仲弓と言ふに非ざるなり。○范氏曰く「瞽瞍を以て父と為して舜有り。鯀を以て父と為して禹有り。古の聖賢、世類に係せざること、尚(ひさ)し。子能く父の過を改め、悪を変じて以て美と為せば、則ち孝と言ふべし。」

雍也第六 五章
子曰く「回や、其の心三月仁に違はず。其の余は則ち日月に至るのみ」と。

三月とは、其の久しきを言ふ。仁とは、心の徳(注1)。心仁に違はずとは、私欲無くして其の徳有るなり。日月に至るとは、或いは日に一たび至り、或いは月に一たび至り、能く其の域に造(いた)るも久しくすること能はざるなり。
○程子曰く「三月とは、天道小変の節にして、其の久しきを言ふなり。此れ過ぐれば則ち聖人なり。仁に違はずとは、只だ是れ繊毫も私欲無し。少しも私欲有れば、便ち是れ不仁なり」と。
尹氏曰く「此れ顔子聖人に於いて未だ一間(いっかん)を達せざる者なり。聖人の若きは則ち渾然として間断無し」と。
張子曰く「始学の要は、当に『三月違はず(注3)』と『日月に至る(注4)』と内外賓主(注5)の弁を知るべし。心意(注6)をして勉勉循循(注7)として已むこと能はざらしむ。此れ過ぎれば幾(ほとん)ど我に在る者に非ず(注8)」と。

(注1)仁とは、心の徳=仁とは、愛という情に対応する理という意味でもある。
(注2)聖人の若きは則ち=文法:この「則ち」は判断を限定して強調している。また「若き」も「聖人」を強調している。意味:顔回と聖人を比べて、「聖人の方は」と強調している。
(注3)三月違はず=性が基本的に主体となっている状態
(注4)日月に至る=時々主体である性を取り戻す状態
(注5)内外賓主=内とは心、外とは外物、賓とは客体、主とは主体、をそれぞれ示す。
(注6)心意=心とはそのまま心のこと。意とはその心に方向性があること。総じて方向性がある心のことを示す。
(注7)勉勉循循として=一生懸命理に従うようにするという意味。
(注8)我に在る者に非ず=完全に理と一体であり、自分の心でないかのようにずっと仁であり続けるという意味。

雍也第六6章

季康子問ふ、「仲由政に従はしむ可きか」と。子曰く、「由や果なり。政に従ふことに於いてか何有らん」と。曰く、「賜や政に従はしむ可きか」と。曰く、「賜や達なり。政に従ふことに於いてか何有らん」と。曰く、「求や政に従はしむ可きか」と。曰く、「求や芸なり。政に従ふことに於いてか何有らん」と。

与は、平声。○従政とは、大夫と為るを謂ふ。果とは、決断有るなり。達とは、事理に通ずるなり。芸とは、才能多きなり。○程子曰く、「季康子、三子の才、以て政に従ふ可きかを問ふ。夫子答ふるに各々長ずる所有るを以てす。惟だに三子のみに非ず、人各々長ずる所有り。能く其の長を取れば、皆な用ふ可きなり」と。

雍也第六 7章

季子、閔子騫をして費の宰たらしめんとす。閔子騫曰く、「善く我が為に辞せよ。如し我に復(ふたたび)する者有れば、則ち吾は必ず汶(もん)の上(ほとり)に在らん。」と。

費は、音は秘。為は、去声。汶は、音は問。〇閔子騫は、孔子の弟子、名は損。費は、季子の邑。汶は、水(すい)の名、斉の南、魯の北の竟上(注1)に在り。閔子は季子の臣たるを欲せず、使者をして善く己の為に辞せしむ。言ふこころは、若し再来して我を召せば、則ち当に去りて斉に之くべし。〇程子曰く、「仲尼の門、能く大夫の家に仕へざる者は、閔子、曾子数人のみ。」と。謝氏曰く、「学者能く少(いささ)か内外の分を知れば(注2)、皆以て道を楽しみて人の勢を忘るべし。況や閔子、聖人を得て之に依帰するを為す。彼れ其の季子の不義の富貴を視ること、啻(ただ)に犬彘(注3)のみならず。又従ひて之に臣たるは、豈に其の心ならんや。聖人に在りては則ち然らざる者有り。蓋し乱邦に居り、悪人に見(まみ)ゆるは、聖人に在りては則ち可なり。聖人自り以下は、剛なれば則ち必ず禍を取り、柔なれば則ち必ず辱を取る。閔子、豈に早く見て予め之を待つこと能はざらんか。由や其の死を得ず、求や季氏の為に附益するが如きは、夫れ豈に其の本心ならんや。蓋し既に先見の知無く、又克乱の才無きが故なり。然れば則ち閔子は其れ賢ならんか。

注1 国境
注2 心こそが理(性)であり、外物に理はないことを理解すること
注3 けんてい。犬や豚。

雍也第六 8章

伯牛疾有り、子之を問ふ、牖(まど)より其の手を執りて、曰く「之亡からん(=こんな事があるか)、命なるかな。斯の人にして斯の疾有るや。斯の人にして斯の疾有るや。」

夫、音は扶。○伯牛は、孔子の弟子、姓は冉、名は耕。疾有りとは、先儒以為らく癩なりと。牖は、南牖なり。礼に、病者は北牖の下に居る。君之を視るときは、則ち南牖の下に遷り、君をして以て南面して己を視ることを得しむ。時に伯牛の家此の礼を以て孔子を尊ぶも、孔子敢へて当たらず。故に其の室に入らずして、牖より其の手を執る。蓋し之と永訣するなり。命は、天命を言ふ。言ふこころは此の人応(まさ)に此の疾有るべからず、而るに今乃ち之有り、是れ乃ち天の命ずる所なり。然らば則ち其の疾を謹む(=病気を防ぐ)こと能はずして以て之を致す(=病気を招いた)こと有るに非ざること、亦見るべし。○侯氏(注1)曰く「伯牛徳行を以て称さるること、顔、閔に亜(つ)ぐ。故に其の将に死せんとするや、孔子尤も痛く之を惜しむ。」と。

注1・候氏=侯仲良?

雍也第六_09_

子曰く、「賢なるかな、回や。一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人其の憂えに堪へず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな、回や」と。

食、音は嗣。楽、音は洛。

簞は竹器。食は飯なり。瓢は瓠(か)なり。顔子の貧此の如くにして、之に処(お)ること泰然として、以て其の楽しみを害せず。故に夫子再び「賢なるかな、回や」と言ひ、以て深く之を歎美す。

程子曰く、「顔子の楽しみは、簞瓢陋巷を楽しむに非ざるなり。貧窶(ひんる)を以て其の心を累(わずら)わして、其の楽しむ所を改めず。故に夫子其の賢を称す」と。
又曰く、「簞瓢陋巷は楽しむ可きに非ず。蓋し自(おのずか)ら其の楽しみ有るのみ。其(き)字当に玩味すべし。自ら深意有り」と。
又曰く、「昔学を周茂叔に受け、毎(つね)に仲尼、顔子の楽しむ処、楽しむ所何事なるかを尋ねしむ」と。

愚按ずるに、程子の言、引きて発せず。蓋し学者深く思ひて、自ら之を得んことを欲す。今亦敢えて妄(みだ)りに之が説を為さず。学者但(ただ)当に博文約礼の誨(おしえ)に従事し、以て罷めんと欲するも能くせずして其の才を竭(つ)くすに至るべくんば、則ち以て之を得ること有るに庶(ちか)からん。

食(し)食事
尋ね 探させた 考えさせた

引而不発 孟子 尽心上
人に教える時に、基本的な方法だけを教えて、その人が自ら理解するまで待つ方法。
弓の射方を教える時に、弓の引き絞る方法だけを教えて矢を放たないということから。
「引きて発せず」とも、「引きて発たず」とも読む
妄り 自分で
博文約礼 雍也二五

雍也第六 十章
冉求曰く「子の道を説ばざるにあらず。力足らざるなり」と。子曰く「力足らざる者は、中道にして廃す。今女(なんじ)は画(かぎ)れり」と。

説(えつ)、音は悦。女、音は汝。
○力足らざる者は、進まんと欲して能くせず(注1)。画れる者は、能く進むも欲せず。之れ(注2)を画と謂ふは、地を画(かぎ)るが如くして、以て自ら限ればなり。
○胡氏曰く「夫子顔回其の楽しみを改めざるを称す。冉求之を聞く。故に是の言有り。然れども求をして夫子の道を説ぶこと、誠に口の芻豢を説ぶが如くならしむれば、則ち必ず将に力を尽くして以て之れを求めん。何ぞ力の足らざるを患へんや。画りて進まざれば、則ち日に退くのみ。此れ冉求の芸に局せらるる所以なり」と。

(注1)能くせず=文法:下に目的語などがあれば「~能はず」。今回は無いので「能くせず」と書き下す。
(注2)之れ=前文「画れる者は、能く進むも欲せず」を指す。

雍也第六11章

子、子夏に謂ひて曰く、「女、君子の儒と為れ、小人の儒と為ること無かれ」と。

儒とは、学者の称。程子曰く、「君子の儒は己の為にし、小人の儒は人の為にす」と。○謝氏曰く、「君子小人の分は、義と利との間のみ。然れども所謂利なる者は、豈に必ずしも貨財を殖やすの謂ならんや。私を以て公を滅し、己に適ひて自ら便にし、凡そ以て天理を害すべき者は、皆な利なり。子夏の文学余り有りと雖も、然れども意ふに其の遠き者、大なる者或ひは昧し。故に夫子之に語るに此を以てす」と。

雍也第六 12章

子游武城の宰為り。子曰く、「女人を得たりや。」と。曰く、「澹台滅明といふ者有り。行くこと径に由らず。公事に非ざれば、未だ嘗て偃が室に至らず。」と。

女は、音は汝。澹は、徒甘の反。○武城は魯の下邑。澹台は姓、滅明は名、字は子羽。径は、路の小にして捷き者。公事は、飲射読法の類の如し。径に由らざれば、則ち動くに必ず正を以てして、小を見て速やかならんことを欲するの意無きこと知るべし。公事に非ざれば邑宰を見ざれば、則ち其の以て自ら守ること有りて、己を枉げて人に徇ふの私無きこと見るべし。○楊氏曰く、「政を為すは人才を以て先と為す。故に孔子人を得るを以て問と為す。滅明の如き者は、其の二事の小を観て、其の正大の情見るべし。後世径に由らざる者有らば、人必ず迂と為す。其の室に至らざれば、人必ず以て簡と為す。孔氏の徒に非ざれば、其れ孰か能く知りて之を取らん。」と。愚謂へらく、身を持するに滅明を以て法と為さば、則ち苟賤の羞無からん。人を取るに子游を以て法と為さば、則ち邪媚の惑無からん。

雍也第六 13章

子曰く「孟之反伐(ほこ)らず、奔りて殿たり。将に門に入らんとして、馬に策(むち)して曰く『敢へて後るるにあらず、馬進まざればなり。』」と。

殿は去声。○孟之反は、魯の大夫、名は側。胡氏の曰く「反は即ち荘周(注1)称する所の孟之反なる者是なり。」伐は、功を誇るなり。奔は、敗走なり。軍の後を殿と曰ふ。策は、鞭なり。戦敗して還るときに、後を以て功と為す。反奔りて殿たり、故に此の言を以て其の功を揜(おお)ふ。事哀公の十一年に在り。○謝氏の曰く「人能く人に上たらんと欲すること無きの心を操れば、則ち人欲日に消え、天理日に明らかなり、凡そ己を矜るを以て人に誇る者は、皆道(い)ふに足ること無し。然れども学を知らざる者人に上たらんと欲するの心時として忘るること無し、孟之反の若き、以て法と為すべきなり。」と。

注1:荘子

雍也第六 14章

子曰く「祝鮀(しゅくだ)の佞有らずして、宋朝の美有らば、難いかな今の世に免れんこと」と。

鮀は徒何の反。

祝は宗廟(そうびょう)の官。鮀は衛の大夫、字は子魚。口才有り。朝は宋公の子、美色有り。
言うこころは、衰世(すいせい)は諛(ゆ)を好み、色を悦ぶ。此に非ずんば免れ難し。蓋し之を傷むなり。

諛 おべっか

此に非ずんば免れ難し 衰えた世の中では諛、色じゃないと(口が上手い且つ美形でないとやってけない)

〇〇あらずして〇〇あらばという形であるが両方ないとやっていけないという意味

雍也第六 十五章
子曰く「誰か能く出づるに戸に由らざらん。何ぞ斯の道に由ること莫きや」と。

訳:孔子が言った。「誰でも出る時には戸口を経由するものである。どうして道の通りに行動しないのか。」

言ふこころは人出づるに戸に由らざること能はず。何の故にぞ乃ち此の道(注1)に由らざるや。怪しみて之れを歎ずるの辞。

訳:人は出かける時には戸口を通らない事は出来ない。それなのになぜこの道を通らないのか。訝しんでこれを嘆いた言葉。

○洪氏曰く「人出づるに必ず戸に由ることを知る。而れども行くに必ず道に由ることを知らず。道人に遠きに非ず、人自ら遠ざかるのみ(注2)」と。

訳:洪氏が言った。「人は出かける時に必ず戸口を通ることを知っている。しかし行動する時に必ず道を通る事を知らない。道が人から遠いのではない。人が自分から遠ざかっているのだ。」

(注1)此の道=儒の道のこと。代名詞を用いたのは、より一般性を持たせ、天地自然の道であるという事を表すため。仮に儒の道と言うと特定の思想の道となってしまう。その為、この場合の「此」の字は重い意味を持つので訳す場合は訳に反映させる。
(注2)爾=強い断定を表す。訳に反映させる。

雍也第六16章

子曰く、「質文に勝てば則ち野。文質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後君子たり」と。

野は、野人、鄙略を言ふなり。史は、文書を掌る。多く聞き事を習へども、誠或いは足らざるなり。彬彬は、猶ほ班班のごとし、物相ひ雑はりて適均するの貌。言ふこころは、学者当に余り有るを損じ、足らざるを補ふべし。成徳に至っては、則ち然るを期せずして然り。○楊氏曰く、「文質以て相ひ勝つ可からず。然れども質の文に勝つは、猶ほ甘は以て和を受く可く、白は以て采を受く可し。文勝ちて質を滅するに至れば、則ち其の本亡ぶ。文有りと雖も、将た安くにか施さんや。然らば則ち其の史たらんよりは、寧ろ野たれ」と。

雍也第六17章

子曰く、「人の生くるや直し。之を罔(なみ)して生くるや、幸にして免るるなり」と。

程子曰く、「生の理は本と直し。罔は、直からざるなり。而るに亦た生くる者、幸にして免るるのみ」と。

雍也第六 十八章
子曰く「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」と。
訳:孔子は言った。「道を知っている者は道を好む者に及ばない。道を好む者は道を楽しむ者に及ばない。」

好は、去声。楽は、音洛。
○尹氏曰く「之を知る者とは、此の道有るを知るなり。之を好む者とは、好みて未だ(注1)得ざるなり。之を楽しむ者とは、得る所有りて之を楽しむなり」と。
訳:好は去声で読む(注2)。楽の音は洛。
○尹氏が言った。「之を知る者とは、道が存在する事を知っている者である。之を好む者とは、道を好んでいるが体得してはいない者である。之を楽しむ者とは、道を体得した上で楽しんでいる者である。
○張敬夫曰く「之を五穀に譬ふるに、知る者は其の食らふべき(注3)を知る者なり。好む者は食らひて之を嗜む(注4)者なり。楽しむ者は之を嗜みて飽く者なり。知りて好むこと能はざるは、則ち是れ(注5)知の未だ至らざるなり。之を好みて未だ楽しむに及ばざれば、則ち是れ好の未だ至らざるなり。此れ古の学者自強して息まざる所以(注6)の者か」と。
訳:○張敬夫が言った。「このことを穀物に例えると、知る者というのは五穀が食べるに値するほど美味いことを知っている者である。好む者というのは実際に食べて常食しているものだ。楽しむ者というのは五穀を食べて常食して満腹になっている者である。知識として道を知って好むことが出来なければ、これは知が十分ではない。道を好んで楽しむ事及んでいないのは、これは好むことが十分ではないのである。この文章は古の学者が自ら努力して止めなかった(怠らなかった)やり方だろうか。」

(注1)未だ=婉曲の否定。訳す時は「~して[は]いない」という風に「は」を入れると良い。
(注2)好は、去声=この場合は「好」の字は動詞になるということ。
(注3)食らふべきを知る者なり=意味:食らうに値するほど美味いことが分かっている。
(注4)嗜む=常食する
(注5)則ち是れ=文法:「則ち」も「是れ」もどちらも上のことが主題である事を示す。その為、この場合の「則ち」がレバ則でないことが分かる。
(注6)所以=この場合は、手立てを表す。

雍也第六19章

子曰く、「中人以上は、以て上を語ぐべし。中人以下は、以て上を語ぐべからず」と。

以上の上は、上声。語は、去声。○語は告なり。言ふこころは、人を教ふる者、当に其の高下に随ひて之に告語せば、則ち其の言入り易くして等を躐ゆるの弊無し。○張敬夫曰く、「聖人の道、精粗二致無しと雖も、但だ其の教を施すは、則ち必ず其の材に因りて篤くす。蓋し中人以下の質、驟かにして之に太だ高きを語ぐれば、惟だに以て入ること能はざるにのみに非ず、且つ将に妄意に等を躐えて、身に切ならざるの弊有らんとす。亦た下に終はるのみ。故に其の及ぶ所に就きて之に語ぐ。是れ乃ち之をして切に問ひ近く思ひて、漸く高遠に進ましむる所以なり。

雍也第六 二十章
樊遅知を問ふ。子曰く「民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく。知と謂ふべし」と。仁を問ふ。曰く「仁者は難きを先にして獲ることを後にす。仁と謂うべし」と。

訳:樊遅は知について質問した。孔子は言った。「人がそうであるべき人道に励んで、鬼神を敬いつつも遠ざける。これが知と言える。」樊遅は仁について質問した。孔子は言った。「仁者は難しい事を第一として、効果を得る事は後にする。これが仁と言える。」

知、遠は皆去声。
○民も、亦た人なり。獲(かく)は、得(とく)を謂ふなり。専ら力を人道の宜しき所に用ひて、鬼神の知るべからざるに惑はざるは、知者の事なり。其の事の難き所を先にして、其の効の得る所を後(のち)にするは、仁者の心なり。此れ必ず樊遅の失に因りて之を告ぐ。

訳:知、遠は全て去声で読む。○民は、人のこと。獲は、得のことを言っている。ひたすらそうあるべき人道に力を入れる、わけのわからない鬼神に惑わない様は、知者のする事である。難しいことを第一にして、(その結果得る)効果を得ることを後にするのは、仁者の心である。本文はきっと樊遅の失敗によって、こういった事を告げた。

(解釈:目先の利益を後にするというのは、大局を見定めた結果の行動だとも取れる。その場合は、仁者が目先の利益を後にすることが後々多くの人々に恩恵を与えることにも繋がる。得ることを後にするとは、仁者だけの利益とは限らないと言える。)

○程子曰く「人多く鬼神を信ずるは、惑ひなり(注1)。而れども信ぜざる者も又た敬すること能はず。能く敬して能く遠ざくは、知と謂ふべし」と。又た曰く「難きを先にすとは、克己なり。難き所を以て先と為して獲る所を計らざるは、仁なり」と。

訳:程子が言った。「鬼神を信じる人は多いのは、惑っている状態である。けれども鬼神を信じない者はさらに敬う事も出来ない。敬う事が出来て遠ざけることも出来るのは知と言える。」さらに言った。「難きを先にす、というのは己に打ち克つことである。難しいことを先にして得るものを考えない(効果を考えない)のは、仁である。」

呂氏曰く「当に務むべきを急と為して、知り難き所を求めず。知る所を力行して(力め行ひて)、為し難き所を憚らず」と。

訳:呂氏が言った。「やらなくてはいけないことを早急に行って、理解する事が難しいことは求めない(注2)。理解している事を頑張って、難しいことを避けない。」

(解釈:呂氏の言葉はつまり「人間のやらなくてはいけないことを分かる範囲で頑張れ」という事。他の人物の言葉よりもわかりやすく、卑近に感じさせる言葉である)

(注1)人多く鬼神を信ずるは、惑ひなり=単純に信じる人の数が多いというだけでなく、人は多くの場面・場合で鬼神を信じているという意味。
(注2)知り難き所を求めず=知り難き所とは鬼神のこと。すなわち鬼神という人間では理解できない事は敢えて知ろうとはしなくてよい、深入りしないということ。

雍也第六21章

子曰く、「知者は水を楽(ねが)ふ。仁者は山を楽(ねが)ふ。知者は動く。仁者は静かなり。知者は楽しむ。仁者は寿し」と。

知は、去声。楽は、上の二字は並びに五教の反。下の一字は音洛。○楽とは、喜好なり。知者は事理に達して周流して滞り無きこと、水に似ること有り。故に水を楽ふ。仁者は義理に安んじて厚重にして遷らざること、山に似ること有り。故に山を楽ふ。動静とは体を以て言ひ、楽寿とは効を以て言ふなり。動きて括せず、故に楽しむ。静かにして常有り、故に寿し。○程子曰く、「仁知を体することの深き者に非ざれば、此の如く之を形容すること能はず」と。

雍也第六_22_

子曰く「斉一変すれば、魯に至る。魯一変すれば、道に至る」と。

孔子の時、斉の俗は功利に急にして、夸詐(こさ)を喜ぶ。乃ち覇政の余習なり。魯則ち礼敎を重んじ、信義を崇ぶ。猶先王の遺風有り。但人亡び政息(や)み、廃墜無きこと能わざるのみ。道とは則ち先王の道なり。言うこころは二国の政俗に美悪(びあく)有り。故に其変じて道を之くに難易有り。

○程子曰く「夫子の時、斉は強く魯は弱し。孰(たれ)か以て斉の魯に勝ると為さざらん。然れども魯は猶周公の法制存す。斉は桓公の覇に由りて、簡に従ひ功を尚ぶの治を為し、太公の遺法を変易(へんえき)し尽くす。故に一変すれば乃ち能く魯に至る。魯は則ち廃墜するを修め挙ぐるのみ。一変すれば則ち先王の道に至る」と。

愚謂えらく、二国の俗、惟夫子のみ能く之を変ずと為して試みる(登用される)ことを得ず。然れども其の言に因りて以て之を考ふれば、則ち其の施為緩急の序、亦略(ほぼ)見る可し。

夸詐 大げさなウソ
覇政 桓公
孰(たれ)か~反語表現
以て~為す 〇〇だと考える
簡 簡単な
太公の遺法 太公望が遺したやりかた
修め 修復
施為 実際のやり方 やること

雍也第六 二十三章
子曰く「觚、觚ならず。觚ならんや觚ならんや」と。

訳:孔子は言った。「觚は角があるものだが、角という本質を失った觚は觚であろうか。いや觚ではない。」

觚、音は孤。
○觚は、棱なり。或ひは曰く酒器と。或ひは曰く木簡と。皆器の棱有る者なり。觚ならずとは、蓋し当時其の制(注1)を失ひて棱為(つく)らず。觚ならんや觚ならんやとは、觚為ること得ざるを言ふ。

訳:觚の音は孤。

○觚は、尖った角があるものである。或る人は酒器であると言う。或る人は木簡であると言う。觚ならずというのは、やはり当時は觚の形式を失って、觚に本来あるべき棱を作らなかったのだろう。觚ならんや觚ならんやとは、觚を作ることができなくなったことを言ったものだ。

○程子曰く「觚にして其の形制を失へば、則ち觚に非ざるなり。一器を挙げて天下の物皆然らざるは莫し。君にして其の君の道を失へば、則ち君たらずと為す。臣にして其の臣の職を失へば、則ち虚位と為す」と。
范氏曰く「人にして仁ならざれば則ち人に非ず。国にして治まらざれば則ち国ならず」と。

訳:程子が言った。「觚であっても、觚としての形式を失ってしまえば、觚ではない。一つの器についての事を例に挙げているが、天下の物でそうでないものはない(全てのものは本質を失っている)。君主であっても君主の道を失ってしまえば、君主とは言えない。臣下であっても臣下の役目を失ってしまえば、名前だけの位となる。」

范氏が言った。「人であっても仁でなければ人ではない。国であっても治まっていなければ国ではない。」

(注1)其の制=意味:礼の制度で決められている制度、形式。

雍也第六24章

宰我問ひて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰ふと雖へども、其れ之に従はんや」と。子曰く、「何為すれぞ其れ然らん。君子は逝かしむべし。陷らしむべからざるなり。欺くべし。罔ふべからざるなり」と。

劉聘君曰く、「仁有りの仁は当に人に作るべし」と。今之に従ふ。従とは、之に井に随ひて之を救はしむるを謂ふなり。宰我道を信ずること篤からずして、仁を為すの害に陷るを憂ふ。故に此の問有り。逝とは、之をして往きて救はしむるを謂ふ。陷とは、之を井に陷るるを謂ふ。欺とは、之を誑くに理の有る所を以てするを謂ふ。罔とは、之を昧ますに理の無き所を以てするを謂ふ。蓋し身、井の上に在りて、乃ち以て井中の人を救ふべし。若し之に井に従へば、則ち復た之を救ふこと能はず。此の理甚だ明らかにして、人の曉り易き所なり。仁者は人を救ふに切にして、其の身を私せずと雖も、然れども此の如きの愚に応ぜざるなり」と。

雍也第六25章

子曰く「君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦畔かざるべし」

夫は、音は扶。○約は、要なり。畔は、背なり。君子は学ぶに其の博きを欲す。故に文に於いて考えざること無し。守るに其の要を欲す。故に其の動くに必ず礼を以てす。此の如ければ、則ち以て道に背かざるべし。○程子の曰く「博く文を学び之を約するに礼を以てせざれば、必ず汗漫に至る。博く学び、又能く礼を守りて規矩に由れば、則ち亦以て道に畔かざるべし。」と。


先生が仰った。「君子たる者は博く文明とそれにふさわしい生き方を学び、それを(実際に)純粋にしていくにあたって礼に則って簡約さ・簡潔さを以てすれば、道に背かずにできるだろう!」

夫は扶と発音する。○約とは要のこと。畔とは背のこと。君子は学問するにあたって博く学ぶことを欲するものである。だから文(文明・文明にふさわしい生き方や振る舞い)について必ず深く考えるものだ。(学んだ事を)守るにあたって簡約さ・簡潔さを欲するものである。だから行動するにあたっては必ず礼に基づいて行うものだ。このようであれば、道に背くこと無く居られるであろう。
○程子が言った。「博く学問をしても、それを純粋にしていくにあたって礼に則ってしなければ、必ずいいかげんで締まりの無いものになってしまう。きちんと礼を守って基準に依拠してすれば、道に背かずにできるだろう」と。

雍也第六_26_中村隆志

子南子に見(まみ)ゆ。子路説ばず。夫子之に矢(ちか)ひて曰く「予が否(ひ)とする所の者は、天之を厭てん。天之を厭てん。」と

説、音は悦。否、方九の反。

南子は衛霊公の夫人、淫行有り。孔子衛に至り、南子見えんことを請ふ。孔子辞謝するも、已むことを得ずして之に見ゆ。蓋し古は其国に仕へて、其小君に見ゆるの礼有り。而るに子路、夫子の此の淫乱の人に見ゆるを以て辱と為す。故に悦ばず。

矢(し)は誓ふなり。所(しょ)は誓辞なり。「崔、慶に与せざる所の者」の類を云うが如し。否は、礼に合わず、其の道に由らざるを謂ふ。

厭は棄絶なり。聖人の道大にして徳全(まった)く可も不可も無し。其の悪人に見ゆるは、固より謂へらく我に在りて見ゆ可き礼有らば、則ち彼の不善は、我に何ぞ与らんと。然れども此れ豈子路の能く測る所ならんや。故に重言して以て之に誓ふ。其の姑(しばらく)く此を信じて深く思ひ以て之を得んことを欲するなり。

淫乱 みだらな

誓いの言葉を述べるときに所の字を使う

斉の国 さい木予 慶封 主君を殺して宰相に天に誓うイベントで誓いの言葉

雍也第六 二十七章

子曰く「中庸の徳為るや、其れ至れるかな。民鮮きこと久し」と。
訳:孔子が言った。「中庸の徳は至上である。民衆にはこの徳が少なくなっており、その状態が今となっては長くなった。」

鮮は、上声。
○中は、過ぐること無く及ばざること無きの名なり。庸は、平常(注1)なり。至は、極なり。鮮は、少なり。言ふこころは民の此の徳少なきこと、今已に久し。
訳:鮮は上声で読む。
○中は過ぎることもなく及ばないこともない事の名称である。庸は平常のことである。至は極まっていることである。鮮は少ないことである。本文で言っている事は、民衆の中庸の徳が少なく、その状態が今となっては長くなったということである。
○程子曰く「偏らざるを之れ中と謂ひ、易(かは)らざるを之れ庸と謂ふ。中は天下の正道、庸は天下の定理(注2)。世教衰へてより、民行に興らず、此の徳有るは少なきこと久し」と。
訳:○程子が言った。「偏らない事を中と言い、変わらないことを庸と言う。中は天下の正しい道であり、庸は天下の不変の理である。世の教えが衰えてから、民は(中庸の徳に適った)行いに積極的でなくなり、中庸の徳が少なくなってその状態が長くなった。」

補足:中庸とは朱子学では境地(天と一体化した境地=誠、天の運行の規則正しさを人に当てはめたもの。すなわち求められたことを規則正しくこなすことこそ誠意)。感情の振れ幅が完全に適正。
この境地を目指す人が少なくなった。感情の振れ幅が大きいことを問題にしようともしなくなった。
中庸とは常に適正を求める。右と左の真ん中を取るという単純なことではない。

(注1)平常=どんな状態であっても変わらず通ずるという意味。
(注2)定理=定の字はがっちり固まっているというニュアンス。
(補足)中庸:中庸とは朱子学では天と一体化した境地である。天との一体化とは、天の運行が常に規則正しい様に自分自身も規則正しい事をするということである。また、これを一字で表すと「誠」ある。

雍也第六28章

子貢曰く、「如し博く民に施し、能く衆を済ふこと有れば、何如。仁と謂ふべきか」と。子曰く、「何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶ほ諸を病めり」と。

施は、去声。○博は、広なり。仁は理を以て言ひ、上下に通ず。聖は地を以て言ひ、則ち其の極に造るの名なり。乎は、疑ひて未だ定まらざるの辞。病とは、心に足らざる所有るなり。言ふこころは、此れ何ぞ仁に止まらん。必ずや聖人之を能くせんか。則ち堯舜の聖と雖も、其の心猶ほ此に足らざる所有るなり。是を以て仁を求むれば、愈々難くして愈々遠し。

夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立つ。己達せんと欲して人を達せしむ。

夫は、音扶。○己を以て人に及ぼすは、仁者の心なり。此に於いて之を観れば、以て天理の周流して間無きこと見るべし。仁の体を状すること、此より切なるは莫し。

能く近く譬へを取るは、仁の方と謂ふべきのみ」と。

譬は、喩なり。方は、術なり。近く諸を身に取り、己の欲する所を以て、之を他人に譬へ、其の欲する所も亦た猶ほ是のごとしと知り、然る後に其の欲する所を推し、以て人に及ぼす。則ち恕の事にして、仁の術なり。此に於いて勉むれば、則ち以て其の人欲の私に勝ちて、其の天理の公を全くすること有り。○程子曰く、「医書に手足の痿痺を以て、不仁と為す。此の言最も善く名状す。仁者は天地万物を以て一体と為し、己に非ざる莫し。己と為すを認得すれば、何ぞ至らざる所あらん。若し己に属せざれば、自ら己と相ひ干らず。手足の不仁の如きは、気已に貫かず、皆な己に属せず。故に博く施し衆を済ふは、乃ち聖人の功用なり。仁至つて言ひ難し。故に止だ曰く、『己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達せしむ。能く近く譬へを取るは、仁の方と謂ふべきのみ』と。是の如く仁を観て、以て仁の体を得べからしめんと欲す」と。又た曰く、「論語に、『堯舜も其れ猶ほ諸を病めり』と言ふ者二。夫れ博く施すは、豈に聖人の欲する所に非ざらんや。然れども必ず五十にして乃ち帛を衣、七十にして乃ち肉を食らふ。聖人の心、少き者も亦た帛を衣て肉を食らふを欲せざるに非ざるなり。其の養の贍らざる所有るを顧みるのみ。此れ其の施すことの博からざるを病むなり。衆を済ふは、豈に聖人の欲する所に非ざらんや。然れども治むること九州に過ぎず。聖人四海の外も、亦た兼ねて済ふを欲せずんば非ざるなり。其の治むること及ばざる所有るを顧みるのみ。此れ其の済ふことの衆からざるを病むなり。此を推して以て求むれば、己を修め以て百姓を安んずること、則ち病為ること知るべし。苟くも吾が治むることを以て已に足れりとすれば、則ち便ち是れ聖人ならず」と。呂氏曰く、「子貢仁に志すこと有るも、徒らに高遠を事とし、未だ其の方を知らず。孔子教ふるに己において之を取るを以てす。近くして入るべきに庶からん。是れ乃ち仁を為すの方、博く施して衆を済ふと雖も、亦た此に由りて進む」と。


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