公冶長第五
此の篇、皆な古今の人物の賢否得失を論ず。蓋し格物窮理の一端なり。凡そ二十七章。胡氏以為へらく、疑ふらくは子貢の徒記す所多しと云ふ。
公冶長第五1章
子、公冶長を謂ふ、「妻あはす可きなり。縲絏の中に在りと雖も、其の罪に非ざるなり」と。其の子を以て之に妻あはす。
妻は、去声。下同じ。縲は、力追の反。絏は、息列の反。○公冶長は、孔子の弟子。妻は、之が妻と為すなり。縲は、黒索なり。絏は、攣なり。古者、獄中に黒索を以て罪人を拘攣す。長の人と為り、考ふる所無し。而して夫子其の妻あわす可きを称するは、其れ必ず以て之を取ること有らん。又た、「其の人嘗て縲絏の中に陥ると雖も、而れども其の罪に非ざれば、則ち固より妻あわす可きに害無きなり」と言ふ。夫れ罪有ると罪無きとは、我に在るのみ。豈に外自り至る者を以て、栄辱と為さんや。
子、南容を謂ふ、「邦に道有れば廃せられず。邦に道無ければ刑戮を免る」と。其の兄の子を以て之に妻あはす。
南容は、孔子の弟子、南宮に居る。名は縚、又の名は适、字は子容、敬叔と諡す。孟懿子の兄なり。廃せられずとは、必ず用ひらるるを言ふなり。其の言行を謹しむを以て、故に能く治朝に用ひられ、禍を乱世に免るるなり。事は又た第十一篇に見ゆ。○或ひと日く、公冶長の賢、南容に及ばず。故に聖人其の子を以て長に妻あわせて、兄の子を以て容に妻あわす。蓋し兄に厚くして、己に薄きなり。程子曰く、「此れ己の私心を以て聖人を窺ふなり。凡そ人の嫌を避くるは、皆な内足らざるなり。聖人自ら至公にして、何の嫌を避くることか之れ有らん。況んや女を嫁するには必ず其の才を量りて配を求む。尤も当に避くる所有るべからざるなり。孔子の事の若きは、則ち其の年の長幼、時の先後、皆な知る可からず。惟だ以て嫌を避くると為すは、則ち大いに可ならず。嫌を避くるの事、賢者すら且つ為さず。況んや聖人をや」と。
公冶長第五 二章
子子賤を言ふ「君子なるかな若(かくのごとき)人!魯に君子者無くんば、斯れ焉んぞ斯れを取らん?」
焉は於虔の反。○子賤は孔子の弟子。姓は宓(ふく)、名は不齊。上の斯は斯ち此の人、下の斯は斯ち此の徳。子賤は蓋し能く賢を尊び友を取りて以て其の徳を成す者なり。故に夫子既に其の賢を歎じ、又言ふ若し魯に君子無くんば、則ち此の人何の取る所ありて以て此の徳を成さんや?因りて以て魯の賢多きを見(あらわ)すなり。○蘇氏の曰く「人の善を称するに、必ず其の父兄師友を本とす、厚の至りなり。」と。
公冶長第五 三章
子貢問ひて曰く「賜や何如。」子曰く「女は器なり。」曰く「何の器ぞや。」曰く「瑚璉なり。」
女、音(おん)は汝。瑚、音は胡。璉は力展の反。
○器は、有用の成材(注1)。夏には瑚と曰ひ、商には璉と曰ひ、周には簠簋(ほき)(注2)と曰ふ。皆宗廟黍稷(しょしょく)を盛るの器にして飾るに玉を以てす(注3)。器の貴重にして華美なる者なり。子貢孔子君子を以て子賤に許すを見る。故に己を以て問を為す。而して孔子之(注4)に告ぐるに此(注5)を以てす(注6)。然らば(注7)則ち子貢未だ器ならざるに至らずと(注8)雖も、其れ亦た(注9)器の貴き者か。
(注1)有用の成材=意味:役に立つ完成した材料、つまり道具のこと
(注2)簠簋=意味:ともに食物を入れる容器。外側の形が方形で用途としては主に稲・アワを入れるのを「簠」、外側の形が円形で主にキビ・コーリャンを入れるのを「簋」という。
漢辞海 第四版より
(注3)飾以玉=飾るに玉を以てす
文法:【動詞】(【目的語】)以【名詞】=(【目的語】を)【動詞】するに【名詞】を以てす
(注4)之=意味:告げた相手、ここでは子貢のことを指す。
(注5)此=意味:本文の孔子の言葉「瑚璉なり。」を指す。
(注6)孔子告之以此=孔子之に告ぐるに此を以てす
文法:注3と同じ文法構造
(注7)然らば=書き下す時、「然らば」「然れば」どちらでも良い。
(注8)器ならざるに至らずと=「と」の上は終止形
「に」の上は連体形
(注9)其れ亦た=語調を整える語句
公冶長第五 04章
或るひと曰く、「雍也仁なれども佞ならず」と。
雍は、孔子の弟子、姓は冉、字は仲弓。佞は、口才なり。仲弓の人と為りや重厚簡黙。而して時人佞を以て賢と為す。故に其の徳に優るるを美めて、其の才に短きを病ふとするなり。
子曰く、「焉くんぞ佞を用ひん?人に禦たるに口給を以てすれば、屢しば人に憎まる。其の仁を知らず。焉くんぞ佞を用ひん?」
焉は、於虔の反。〇禦は、当なり。猶ほ応答のごとし。給は、弁なり。憎は、悪なり。言ふこころは何ぞ佞を用ひんや?佞人の人に応答する所以(やり方)の者は、但だ口を以て弁を取りて情実無し。徒に多く人の憎悪する所と為る(昔は、人の為に憎悪せらる、と読んだ)のみ。我未だ(まだ〇〇ではない、ではなく、婉曲的な否定。ここでは、よく知らない、ぐらい)仲弓の仁を知らずと雖も、然れども其の佞ならざるは乃ち賢為る所以(こと)にして、以て病ひと為すに足らざる(~~に足りない、と訳すより、~~できないと訳す方がスッキリする場合が多い)なり。再び焉くんぞ佞を用ひんと言ふは、深く之を暁す所以(やり方)なり。〇或るひと疑ふ、仲弓の賢にして夫子其の仁を許さざるは、何ぞや、と。曰く、仁道は至大。全く体して体(=本体、つまり天理)を全ふ(発揮し尽く)して息まざる(一時も発揮しない時間がない、つまり永久に発揮し続ける)者に非ざれずんば、以て之に当たるに足らず。顔子の亜聖の如きも、猶ほ三月(みつき)の後に(仁に)違ふこと無きこと能はず(偏言の仁=慈愛という一つの徳目を表す、「道」の一つの表れ方、専言の仁=仁義礼智を統括する)。況や仲弓賢なりと雖も、未だ顔子に及ばず、聖人固より(無論)得て軽(かろ)がろるしく之を許さざるなり、と。
所以=①理由、②手だて、③こと
公冶長第五 05章
子、漆雕開をして仕へしむ。対へて曰く、「吾斯れを之れ未だ信ずること能はず」と。子説ぶ。
説は、音は悦。〇漆雕開は、孔子の弟子。字は、子若。斯は、此の理を指して言ふ。信は、真に其の此くの如きを知りて、毫髪の疑ひ無きを謂ふなり。開自ら言ふ、未だ此くの如きこと能はず、未だ以て人を治むべからず、と。故に夫子其の篤く志すを説ぶ。〇程子曰く、「漆雕開已に大意を見る。故に夫子之を説ぶ」と。又曰く、「古人道を見ること分明なり。故に其の言此くの如し」と。謝氏曰く、「開の学は考ふべき無し。然れども聖人之をして仕へしめば、必ず其の材以て仕ふべし。心術の微に至りては、則ち一毫も自得せざれば、其の未だ信ぜずと為すを害はず。此れ聖人の知ること能はざる所にして、開自ら之を知る。其の材は以て仕ふべくして、其の器は小成に安んぜず。他日就(な)る所、其れ量るべけんや?夫子之を説ぶ所以なり」と。
公冶長第五 06 中村隆志
子曰く、「道行はれず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従ふ者は、其れ由か」と。
子路之を聞いて喜ぶ。
子曰く、「由や勇を好むこと我に過ぎたり。取りて材する所無し」と。
桴(ふ)、音は孚(ふ)。従(しょう)、好、並びに去声。(動詞で読む)与は、平声。(疑問詞で読む)材は裁と同じ、古字借用す。
○桴は筏(ばつ)なり。
程子曰、「海に浮かばんの嘆きは、天下の賢君無きを傷む。子路は義に勇あり、故に其の能く己に従ふを謂ふ。皆仮に設くるの言のみ。子路以て実に然りと為し、而して夫子の己と与(とも)にするを喜ぶ。故に夫子其の勇を美めて、其の事理を裁(はか)り度(はか)りて以て義に適うこと能わざるを譏るなり」と。
注釈
所取材 取り上げて判断する
傷天下之無賢の「之」名詞節を作る。主語と述語の間にある場合全て名詞節になる。
勇 (正しいことに対して)積極的である。
仮に設之言 たとえ話
裁度 同じ意味のことばをつなげることで「裁」の字が「度」の意味であることを説明している。
事理 ことの本質
公冶長第五7章
孟武伯問ふ、「子路は仁なるか」と。子曰く、「知らざるなり」と。
子路の仁における、蓋し日月焉に至る者なり。或いは在り或いは亡く、其の有無を必すること能はず。故に知らずを以て之に告ぐ。
又た問ふ。子曰く、「由や千乗の国、其の賦を治めしむべし。其の仁を知らざるなり」と。
乗は、去声。○賦は、兵なり。古者田賦を以て兵を出だす。故に兵を謂ひて賦と為す。春秋伝に所謂「悉く敝賦を索く」は、是なり。言ふこころは、子路の才、見るべき者此の如し。仁は則ち知ること能はざるなり。
「求や何如」と。子曰く、「求や千室の邑、百乗の家、之が宰為らしむべし。其の仁を知らざるなり」と。
千室は、大邑。百乗は、卿大夫の家。宰は、邑長家臣の通号。
「赤や何如」と。子曰く、「赤や束帯して朝に立ち、賓客と言はしむべし。其の仁を知らざるなり」と。
朝は、音潮。○赤は、孔子の弟子、姓は公西、字は子華。
公冶長第五 八章
子子貢に謂ひて曰く「女(なんじ)と回と孰(いず)れか愈(まさ)れる?」
女は、音は汝、下も同じ。○愈は、勝なり
対へて曰く「賜何ぞ敢へて回を望まん。回は一を聞いて以て十を知り、賜は一を聞いて以て二を知る。」
一は、数の始め。十は、数の終わり。二は、一の対なり。顔子は明叡の照らす所、始に即きて終を見る。子貢は推測して知る。此れに因りて彼を識る。「悦ばざる所無し、往を告げて来を知る」とは、是れ其の験!
子曰く「如かざるなり!吾女の如からざるを與(ゆる)す。」
與は、許なり。○胡氏曰く「子貢人を方(くら)ぶ、夫子既に語るに暇あらざるを以て、又其の回と孰れか愈れるかを問ひ、以て其の自らを知るの如何を観る。一を聞いて十を知るは、上知の資、生知の亜なり。一を聞いて二を知るは、中人以上の資、学びて之を知るの才なり。子貢は平日己を以て回と方べ、其の企の及ぶべからざるを見る、故に之を喩(さと)ること此の如し。夫子其の自ら知るの明、又自ら屈するの難からざるを以て、故に既に之を然りとし、又重ねて之を許す。此れ其の終に性と天道とを聞き、特(ひとり)一を聞いて二を知るのみにあらざる所以なり。」と。
公冶長第五 九章
宰予昼に寝ぬ。子曰く「朽木は雕(え)るべからざるなり。糞土(注1)の牆は杇(ぬ)るべからざるなり。予に於いてか何ぞ誅(せ)めんや」と。
朽は、許久の反。杇、音は汙。与は、平声、下同じ。
○昼に寝ぬとは、昼に当たりて寐(い)ぬるを謂ふ。朽は、腐なり。雕は刻画なり。杇は、鏝なり。言うこころは其の志気昏く惰(おこた)り(注2)、教えの施す所無きなり。与は、語辞(注3)。誅は、責なり。責むるに足らずと言ふは、乃ち深く之を責むる所以(注4)なり。
子曰く「始め吾人に於けるや、其の言を聴きて、其の行を信ず。今吾人に於けるや、其の言を聴きて、其の行を観る。予に於いてか是を改む」と。
行は、去声。
○宰予能く言ひて行ひ逮ばず。故に孔子自(みずか)ら予の事に於いて此の失を改む(注5)と言ふ。亦た(注6)以て重ねて之を警むるなり。
胡氏曰く「『子曰』疑ふらくは衍文ならん。然らざれば則ち一日の言に非ざるなり」と。
○范氏曰く「君子の学に於けるや、惟だ日に孜孜(しし)として、斃れて後已む。惟だ其の及ばざるを恐るるなり(注7)。宰予昼に寝ぬるは、自(みづか)ら棄つること孰れか焉より甚だしからん。故に夫子之を責む」と。
胡氏曰く「宰予志を以て気に帥(ひき)ゐること(注8)能わず。居然(注9)として倦む。是れ宴安の気勝り、儆戒の志惰るなり。古の聖賢未だ嘗て懈怠荒寧を以て懼れと為し、勤励不息自強せずんばあらず。此れ孔子深く宰予を責むる所以(注10)なり。言を聴きて行を観るは、聖人是(注11)を待ちて後能くせず。亦た此れに縁りて尽く学者を疑ふに非ず。特だ此れに因って教えを立て、以て群弟子を警め、言に謹みて行に敏ならしむるのみ」と。
(注1)糞土=質の悪い土
(注2)昏く惰り=書き下した時、「昏惰(こんだ)」も可
(注3)語辞=助字
(注4)所以=この場合は、手段
(注5)此の失を改む=本文の「是を改む」を指す
(注6)亦た=前の本文「誅めんや」と並列しているという意味
(注7)惟だ其の及ばざるを恐るるなり=及ばない(足りない)ことだけを恐れる。「惟だ」と限定していることから、過ぎる(やりすぎる)ことは恐れない。
(注8)志を以て気に帥ゐること=以志帥気
出典:孟子 第03巻 公孫丑上 「夫志、気之帥也」
(注9)居然=意味:安穏、やすらか
(大漢和辞典【居然】〔集傳〕「猶徒然也」より)
(注10)所以=この場合は、理由
(注11)是=宰予の昼寝している様のこと
公冶長第五_10_中村隆志
子曰く、「吾、未だ剛なる者を見ず」と。或ひと対えて曰く、「申棖あり」と。子曰く、「棖や欲あり。焉んぞ剛なることを得ん」と。
焉は於虔(おけん)の反。
○剛は、堅強不屈の意。最も人が能くし難き所の者なり。故に夫子は其を未だ見ざることを歎ず。申棖は、弟子の姓名。欲は、嗜欲多きなり。嗜欲多ければ、則ち剛と為すを得ず。
○程子曰く、「人、欲有れば則ち剛たること無し。剛たれば則ち欲に屈せず」と。
謝氏曰く、「剛と欲とは正に相反す。能く物に勝つを之剛と謂う。故に常に万物の上(かみ)に伸ぶ。物の為に揜(おお)わるを之欲と謂う。故に常に万物の下(しも)に屈す。古より志有る者少なく、志無き者多し。宜しく夫子の未だ見ざるべし。棖の欲は知る可からず。其の為人は悻悻として自ら好む者に非ざるを得んや。故に或者疑いて以て剛とす。然れども此れ其の欲為る所以を知らざるのみ」と。
注
最人所難能者 もっとも人が為し難いもの。
未見 まだ見ていない(普通はまだ~ないは×)
伸ぶ 抜きんでる
得非悻悻自好者乎
自ら好む者に非ざるを得んや 自分を好きじゃない状態にできないだろうか
公冶長第五11章
子貢曰く、「我人の諸を我に加ふるを欲せざるや、吾も亦た諸を人に加ふること無からんと欲す」と。子曰く、「賜や爾の及ぶ所に非ざるなり」と。
子貢言へらく、「我、人の我に加ふるを欲せざる所の事、我も亦た此を以て之を人に加ふるを欲せず」、と。此れ仁者の事、勉強を待たず。故に夫子以て子貢の及ぶ所に非ずと為す。○程子曰く、「我、人の諸を我に加ふるを欲せざるは、吾も亦た諸を人に加ふること無からんと欲す、仁なり。諸を己に施して願はざるは、亦た人に施すこと勿かれ、恕なり。恕は則ち子貢或いは能く之を勉む。仁は則ち及ぶ所に非ず」と。愚謂へらく、無は、自然にして然り。勿は、禁止の謂。此れ仁恕の別を為す所以なり。
公冶長第五 十二章
子貢曰く「夫子の文章は、得て聞くべきなり。夫子の性と天道とを言ふは、得て聞くべからざるなり」と。
文章とは、徳の外に見(あらは)るるもの、威儀文辞皆是れなり。性は、人の受くる所の天理。天道は、天理自然の本体、其の実一理なり。言ふこころは夫子の文章、日々外に見る、固より学者の共に聞く所なり。性と天道とに至りては、則ち夫子罕(まれ)に之を言ふ。而して学者得て聞かざる者有り。蓋し聖門の教えは等を躐(こ)えず。子貢是に至りて始めて得て之を聞き、其の美を歎ずるなり。○程子の曰く「此れ子貢夫子の至論を聞きて歎美するの言なり。」と。
公冶長第五 十三章
子路聞くこと有りて、未だ之れを行ふこと能わずんば、唯だ聞くこと有るを恐る。
前(さき)に聞く所は既に(注1)未だ行ふに及ばず。故に復た聞く所有りて之れ(注2)を行ふこと給らざるを恐るるなり。
○范氏(注3)曰く「子路善を聞きては、必ず行ふに勇あり。門人(注4)自(みずか)ら以為へらく及ばざるなり(注5)。故に之を著す。子路の若きは、能く其の勇を用ふと謂ふべし」と。
(注1)既に=意味:完了を示す。
訳:~ですら
(注2)之=この字自体にあまり意味がない。主な役割は、上の字が他動詞であることを示す。あえて訳すならば、善行。
(注3)范氏=范祖禹
(注4)門人=子路の門人
(注5)以為へらく及ばざるなり=師である子路に門人が及ばないと思った、という意味。書き下す時、「以て及ばずと為す」でも可。
公冶長第五_14_中村隆志
子貢問いて曰く、「孔文子は何を以て之を文と謂うか」と。子曰く、「敏にして学を好み、下問を恥じず。是を以て之を文と謂ふ」。と
好は去声。(動詞)
孔文子は衛の大夫、名は圉(ぎょ)。凡そ人の性敏なる者は、多く学を好まず。位高き者は、多く下問を恥ず。故に諡法(しほう)に「学を勤め問ふを好む」を以て文と為す者有り。蓋し亦人の難しとする所なり。孔圉諡文と為すを得るは、此を以てのみ。
蘇氏曰く、「孔文子、太叔疾をして其妻を出さしめて之に妻す。疾、初妻の娣に通ず。文子怒りて、将に之を攻めんとし、仲尼を訪ふ。仲尼対へず。駕に命じて行く。疾、宋に奔る。文子、疾の弟遺をして孔姞を室とせしむ。其の為人は此の如くにして諡をして文と曰ふ。此れ子貢の疑ひて問ふ所以なり。孔子其善を没せず。言へらく、能く此の如くんば、亦以て文と為すに足る。天を経し地を緯するの文に非ざるなり」と。
注釈
1 好は去声。(動詞) 好むという意味になる
2 凡 一般的に 凡の下は一般論になる
3 敏なるもの 要領のいいひと
4「学を勤め問ふを好む」これも「凡」の下にあるので一般論
出典 逸周書 諡法解 「学勤問好曰文」「学に勤め問ふを好むは文」
5 蘇氏曰の内容 出典 春秋左氏伝 哀公 伝十一.六
6 「能く此の如くんば、亦以て文と為すに足る。天を経し地を緯するの文に非ざるなり」
学問好きという意味だけで世界全てを表しつくすの「文」ではない
公冶長第五 15章
子、子産を謂ふ、「君子の道四有り。其の己を行ふや恭、其の上に事ふるや敬、其の民を養ふや恵、其の民を使ふや義。」と。
子産は、鄭の大夫、公孫僑。恭は、謙遜なり。敬は謹恪なり。恵は、愛利(注1)なり。民を使ふや義とは、都鄙(とひ)に章有り、上下に服有り、田に封洫(きょく)(注2)有り、盧井(ろせい)に伍(注3)有るの類ひの如し。〇呉氏曰く、「其の事を数へて之を責むるは、其の善き所の者多し。臧文仲、不仁なる者三、不知なる者三は是なり。其の事を数へて之を称ふるは、猶ほ未だ至らざる所有り。子産、君子の道四有るは是なり。今或ひは一言を以て一人を蓋(おお)ひ、一事もて(注4)一時を蓋ふは、皆非なり。」と。
注1 慈愛を以て接し、福利を整える。
注2 境界や溝。田畑の境界のこと。
注3 井戸を中心に五戸ごとの住民組織をつくり、課税など単位とする制度。
注4 「以」は重複するので省略された。
公冶長第五 十六章
子曰く「晏平仲善く人と交わる、久しくして之を敬す。」と。
晏平仲は、斉の大夫、名は嬰。程子の曰く「人交わりて久しければ則ち敬衰ふ、久しくして能く敬するは、善と為す所以。」と。
公冶長第五 十七章
子曰く「臧文仲蔡を居むるに、節を山にし梲を藻にす。何如ぞ其れ知ならんや」と。
梲は、章悦の反。知は、去声(注1)。
○臧文仲は、魯の大夫臧孫氏、名は辰。居は、猶ほ蔵のごときなり。蔡は、大亀なり。節は、柱頭斗栱なり。藻は水草の名。梲は梁上の短き柱なり。蓋し亀を蔵むるの室を為りて、山を節に刻み、藻を梲に画くなり。当時文仲を以て知と為す。孔子其の(注2)民の義を務めずして、鬼神を諂瀆(てんとく)すること此の如きを言ふ。安くんぞ知と為すを得んや。春秋伝に所謂る虚器を作る(注3)とは、即ち此の事なり。
○張子(注4)曰く「節を山にし梲を藻にして亀を蔵むるの室を為ると、爰居(注5)を祀るの義と、同じく不知に帰す。宜なるかな」と。
(注1)去声=声調を表す。現代中国語の第四声に当たる。この場合は、「『知』の字を第四声で読め」という意味。『知』の字を第四声で読むと『知恵』という意味になる。
(注2)其の=臧文仲
(注3)虚器を作る=出典:『春秋左伝 文公 伝二年』
(注4)張子=張載
(注5) 爰居=爰居という海の鳥を神としたもの
出典:『春秋左伝 文公 伝二年』『国語』
公冶長第五18章
子張問ひて曰く、「令尹の子文、三たび仕へて令尹と為り、喜色無し。三たび之を已められて、慍色無し。旧令尹の政、必ず以て新令尹に告ぐ。何如」と。子曰く、「忠なり」と。曰く、「仁なるか」と。曰く、「未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん」と。
知は、字の如し。焉は、於虔の反。○令尹とは、官の名、楚の上卿、執政者なり。子文は、姓は闘、名は穀於莬。其の人と為りや、喜怒形はさず。物我の間無し。其の国有るを知りて、其の身有るを知らず。其の忠盛んなり。故に子張其の仁を疑ふ。然れども其の三たび仕へて三たび已められて新令尹に告ぐる所以の者、未だ其の皆な天理より出でて、人欲の私無きを知らざるなり。是を以て夫子但だ其の忠を許して、未だ其の仁を許さざるなり。
「崔子、斉君を弑す。陳文子、馬十乗有りて、棄てて之を違る。他邦に至りて、則ち曰く、『猶ほ吾が大夫崔子のごときなり』と。之を違る。一邦に之きて、則ち又た曰く、『猶ほ吾が大夫崔子のごときなり』と。之を違る。何如」と。子曰く、「清なり」と。曰く、「仁なるか」と。曰く、「未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん」と。
乗は、去声。○崔子は、斉の大夫、名は杼。斉君は、荘公、名は光。陳文子も亦た斉の大夫、名は須無。十乗とは、四十匹なり。違とは、去なり。文子、身を潔くして乱を去る。清と謂ふ可し。然れども未だ其の心果たして義理の当然を見て、能く脱然として累ふ所無きか、抑々利害の私を已むを得ずして、猶ほ未だ怨悔を免れざるかを知らざるなり。故に夫子特だ其の清を許して、其の仁を許さず。○愚之を師に聞く。曰く、「理に当たりて私心無きは、則ち仁なり」と。今是を以てして二子の事を観れば、其の制行の高きこと、及ぶ可からざるが若しと雖も、然れども皆な未だ以て其の必ず理に当たりて、真に私心無きを見ること有らず。子張未だ仁の体を識らずして、苟難を悦び、遂に小なる者を以て其の大なる者と信ず。夫子の許さざるや宜なるかな。読者此に於いて、更に上章の「其の仁を知らず」、後篇の「仁は則ち吾知らず」の語と、三仁、夷斉の事とを以て幷せて之を観れば、則ち彼此交々尽くして、仁の義為ること識る可し。今他書を以て之を考ふるに、子文の楚に相として謀る所の者、僭王猾夏の事に非ざる無し。文子の斉に仕ふるや、既に君を正し賊を討つの義を失ひ、又た数歳ならずして、復た斉に反る。則ち其の不仁も亦た見る可し。
公冶長第五 19章
季文子は三たび思ひて而る後行ふ。子之を聞きて、曰く「再びすれば斯れ可なり。」と。
三は去声。○季文子は、魯の大夫、名は行父(こうほ)。事毎に必ず三たび思ひて而る後行ふ。晋に使して遭喪の礼を求めて以て行くが若きは、亦其の一事なり。斯は語辭(注1)。程子の曰く「悪を為すの人、未だ嘗て思ふこと有るを知らず。思ふこと有れば則ち善を為す。然れども再びするに至れば則ち已に審らかなり、三たびすれば則ち私意起こりて反つて惑ふ。故に夫子之を譏る。」と。○愚按ずるに、季文子事を慮ること此の如し。詳審にして、宜しく過挙無かるべしと言うべし。而れども宣公簒立し、文子乃ち(=そのような時にあって)討つこと能はずして、反つて之が為に斉に使いして賂を納む(注2)。豈に程子の所謂私意起こりて反つて惑うの験に非ずや。是(ここ)を以て(=であるから)君子は窮理に務めて果断を貴び、徒に多く思ふを之尚しと為さず、と。
注1:語調を整える字。意味は無い。
注2:国として認めてもらうために賄賂を贈った。
公冶長第五 二十章
子曰く「甯武子邦に道有れば則ち知、邦に道無ければ則ち愚。其の知は及ぶべきなり。其の愚は及ぶべからざるなり」と。
知は去声。
○甯武子は、衛の大夫、名は兪。春秋伝(注1)を按ずるに、武子衛に仕ふるは、文公、成公の時に当たる。文公道有りて、武子事の見るべき無し。此れ其の知の及ぶべきなり。成公道無く、国を失ふに至りて、武子其の間に周旋し、心を尽くし力を竭くし、艱険を避けず。凡そ其の処る所、皆智巧の士の深く避けて肯へて為さざる所の者にして、能く卒に其の身を保ちて以て其の君を済ふ。此れ其の愚の及ぶべからざるなり。
○程子曰く「邦に道無ければ能く沈晦して以て患を免る。故に及ぶべからざるなりと曰ふ。亦た当に愚なるべからざる者有り、比干は是なり」と。
(注1)春秋伝=『春秋左氏伝 僖公 二十八年』
公冶長第五21章
子陳に在りて曰く、「帰らんか、帰らんか。吾が党の小子は狂簡にして、斐然として章を成し、之を裁する所以を知らず」と。
与は、平声。斐は、音匪。○此れ孔子四方に周流し、道行はれずして帰らんと思ふの歎なり。吾が党の小子とは、門人の魯に在る者を指す。狂簡とは、志大にして事に略なるなり。斐は、文ある貌。章を成すとは、其の文理成就し、観る可き者有るを言ふ。裁は、割くこと正しきなり。夫子の初心、其の道を天下に行はんと欲し、是に至りて其の終に用ひられざるを知るなり。是に於いて始めて後学を成就し、以て道を来世に伝へんと欲す。又た中行の士を得ずして、其の次を思ひ、以為へらく、狂士は志意高遠にして、猶ほ或ひは与に道に進む可し。但だ其の中を過ぎ正を失ひて、或ひは異端に陥らんことを恐るるのみ。故に帰りて之を裁せんと欲するなり。
公冶長第五22章
子曰く、「伯夷、叔齊、旧悪(きゅうあく)を念わず。怨み、是を用て(もって)希なり」と。
伯夷、叔齊は孤竹君の二子。孟子其の「悪人の朝に立たず、悪人と言わず。郷人と立つに、其の冠正しからざれば、望望然として之を去ること、将に浼(けが)されんとするが若」きを称す。其の介此の如し。宜しく容るる所無きが若くなるべし。然れども其の悪む所の人、能く改むれば即ち止む。故に人も亦甚だしくは之を怨みず。
程子曰く「旧悪を念わざるは、此れ清者の量」と。又曰く「二子の心、夫子に非ざれば孰れ(たれ誰)か能く之を知らん」と。
注
用 以と同じ用法
悪人の王朝にいない、悪人と話さない。
称す と言っている
介 狷介
公冶長第五 二十三章
子曰く「孰か微生高を直なりと言ふや。或る人醯(けい=酢)を乞ふ、諸を其の隣に乞ひて之を与ふ。」と。
醯は呼西の反。○微生は姓、高は名、魯の人。素より直の名有る者なり。醯は醋なり。人来りて乞ふ時、其の家に有ること無し、故に諸を隣家に乞ひて以て之を与ふ。夫子此れを言ひて、其の意(=真っ直ぐな心)を曲げ物に殉(したが)ひて、美を掠め恩を市(う)るは、直と為すを得ざるを譏るなり。○程子の曰く「微生高枉ぐる所小なりと雖も、直を害すること大なりと為す。」と。范氏の曰く「是を是と曰ひ、非を非と曰ひ、有を有と言ひ、無を無と言ふを、直と曰ふ。聖人人を其の一介の取予に観て、千駟万鐘従ひて知るべし。故に微事を以て之を断ずるは、人に謹まざるべからざるを教ふる所以なり。」と。
公冶長第五 二十四章
子曰く「巧言、令色、足恭、左丘明之を恥づ。丘も亦た之を恥づ。怨みを匿して其の人を友とす、左丘明之を恥づ。丘も亦た之を恥づ」と。
足(注1)は、将樹の反。
○足は、過なり。程子曰く「左丘明は、古の聞人なり」と。謝氏曰く「二者(注2)の恥づべき(広い意味で可能:値する)ことは、穿窬(せんゆ)より甚だしきこと有るなり。左丘明之を恥づるは、其の養う所知るべし(可能:できる)。夫子自ら『丘も亦之を恥づ』と言ふは、蓋し窃かに老彭に比ぶる(注3)の意。又た以て深く学者を戒め、此に察して心を立つるに直を以てせしむるなり」と。
(注1)足=「足す、満たす」などの意味であれば「そく」と読む。「程度を超える」という意味であれば「すう」と読む。
(注2)二者=本文の「巧言、令色、足恭」が二者の内の一つ。もう一つは、本文の「怨みを匿して其の人を友とす」である。
(注3)窃かに老彭に比ぶ=『述而第七 一章』を参照。
動詞を修飾する副詞は先に読む
公冶長第五25章
顔淵、季路侍る。子曰く、「盍ぞ各々爾の志を言はざる」と。
盍は、音合。○盍は、何不なり。
子路曰く、「願はくは車馬、衣る軽裘、朋友と共にし、之を敝るも憾み無からん」と。
衣は、去声。○衣とは、之を服するなり。裘は、皮服。敝とは、壊なり。憾とは、恨なり。
顔淵曰く、「願はくは善を伐ること無く、労を施すこと無からん」と。
伐とは、誇なり。善とは、能有るを謂ふ。施とは、亦た張大の意。労とは、功有るを謂ふ。易に曰ふ、「労ありて伐らず」とは、是なり。或ひと曰く、「労は、労事なり。労事は己の欲する所に非ず。故に亦た之を人に施すを欲せず」と。亦た通ず。
子路曰く、「願はくは子の志を聞かん」と。子曰く、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん」と。
老者は之を養ふに安を以てし、朋友は之に与するに信を以てし、小者は之を懐くるに恩を以てす。一説に、之に安んずるは、我に安んずるなり。之を信ずるは、我を信ずるなり。之に懐くは、我に懐くなり、と。亦た通ず。○程子曰く、「夫子は仁に安んじ、顔淵は仁に違はず、子路は仁を求む」と。又た曰く、「子路、顔淵、孔子の志、皆な物と共にする者なり。但だ小大の差有るのみ」と。又た曰く、「子路は義に勇なる者なり。其の志を観るに、豈に勢利を以て之を拘す可けんや。沂に浴するに亜ぐ者なり。顔子は、自ら己を私せず。故に善を伐ること無し。人に同じきを知る。故に労を施すこと無し。其の志大なりと謂ふ可し。然れども未だ意有るに出づるを免れず。夫子に至れば、則ち天地の化工の如し、万物に付与して、己労せず。此れ聖人の為す所なり。今夫れ覊靮は以て馬を御するも、以て牛を制せず。人皆な覊靮の作、人に在るを知りて、覊靮の生、馬に由るを知らず。聖人の化も、亦た猶ほ是のごとし。先づ二子の言を観て、後に聖人の言を観れば、分明に天地の気象なり。凡そ論語を看るに、但だに文字を理会せんと欲するのみに非ず。須要らく聖賢の気象を識得すべし」と。
公冶長第五 26章
後日掲載
公冶長第五 27章
子曰く「十室の邑、必ず忠信丘の如き者有り、丘の学を好むに如かざるなり。」
焉は、字の如し、上句に属す。好は去声。○十室(じっしつ)は、小邑なり。忠信聖人の如きは、生質の美なる者なり。夫子生知にして未だ嘗て学を好まずんばあらず、故に此れを言ひて以て人を勉めしむ。言ふこころは美質は得易く、至道は聞き難し、学の至りは則ち以て聖人と為るべし、学ばざれば則ち郷人と為るを免れざるのみ。勉めざるべけんや?
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