一神教的世界観①

昨今一神教、特にイスラームに対する不理解からか、「唯一神も八百万の神の一部」や「アッラーは日本まで見ていない」といったような言説をたびたび目撃する。このような言説は大抵の場合は一神教に比べ、多神教や日本人の信仰が優れているする、多神教優位論やナショナリズムの文脈で語られが、このような言説は一神教的な世界観の不理解と不勉強に基づいており、一神教全般に対する侮辱にも成りえてしまうものである。そこで今回は一神教徒である私が一神教的な「神」や一神教的な世界観について解説しようと思う。

唯一の神とは?

まず唯一とは何であるのかを記そうと思う。唯一とは絶対的に一つであり、数多の神における一つではなく、また集合としての一つでもない。唯一とは存在として一つであり、また、崇拝対象として一つなのである。また、行為において一つである。
古代ギリシャの哲学者プロティノスの論考を借りれば「万有を生むものとしての、一者自然の本性は、それら万有のうちの何ものでもないわけである。したがって、(中略)たましいでもない。それは動いているものでもなければ、また静止しているものでもない。場所のうちになく、時間のうちにないものである。」
一者とは、世界の根源となる無限の存在者であり、後のキリスト神学やイスラーム神学において唯一神と同一視された。
つまり、唯一神は時間的、もしくは空間的なものでなく、万物のなにものにも類似せず、何者と同一でもなく、この宇宙のいかなる場所にも”いない”唯一無二の存在なのである。

・数多の神における一つではないというのは、神の他に超越者が存在しないということである。多神教においては〇〇の神のように複数の超越者が存在するが、一神教においては唯一神のみが超越者であり、神に匹敵する存在は何一つとしてない。これは神が行為において唯一である、というものにも関連する。多神教の創世神話においては複数の神が協力して世界を創造するが、一神教においては世界の創造を行ったのは唯一神のみであり、唯一神は世界の創造に際して、いかなる存在の協力も不要である。

言え『かれはアッラー、唯一なる御方
アッラーは自存し、
生むこともなければ、生まれたわけでもない。
かれに匹敵するものは一つない。』
クルーアン112章より

そして、集合としての一つではないというのは、神が何らかの存在が集まって成立するものではなく、どこを限定しても、別の存在になることもない、不可分な存在であるとうことである。
崇拝対象として一つというのは、神ではないものを崇拝することなく、神にだけ何かを求めて服従することである。

「私たちあなたにのみ仕え、あなたにのみ助けを乞う」クルアーン1章5節

神ではないものを崇拝し、服従するのは偶像崇拝と呼ばれ、一神教全般では強く忌避されている。また、イスラームでは神ではないものを神と並べて崇拝するのは「シルク」という罪に分類される。「シルク」という言葉の原義は「結びつける」という意味であり、神ではない偶像などを神と結びつけて崇拝する行為を指している。これ豚肉を食すという行為よりも重い、禁忌の罪とされている。そのため、「アッラーも八百万の神々の一部」という唯一神を下級な存在と同じ範疇に分類するのはイスラームにおいては最大の罪であり、慎むべきであろう。
旧約聖書の出エジプト記においても唯一神ヤハウェはモーセに対して「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」(出エジプト記 20章3節)と宣告している。

また新約聖書のコリント信徒への手紙に
「世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことをわたしたちは知っています。現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。」(コリント信徒への手紙8章4節)
とあるように、八百万の神々と称される霊的なもの、人間を凌駕したものが存在したとしても、真の神は唯一なる神のみなのである。

一神教的な世界観

神とは、神道的な世界観においては”世の常ならざるもの”であり、山や川などの自然物、そして人すらも神になりえるが、一神教においてはいかなるものも神にはなりえず、神とすることを赦さない。これについてはイスラーム学者ハサン中田考氏の著書から引用させてもらう。
「時空の中に存在するいかなる被造物をも神とすることを決して許さない。これこそがイスラームの根本教義である。」中田考『イスラームの論理』p157(2016)
時空の中に存在するいかなる被造物、つまり物質的世界にある神の力によって創造されたものである。そのようなものを絶対に崇拝対象することを一神教、特にイスラームでは禁忌とする。これは前述したプロティノスの考えと類似している。



神というのはどのような存在なのか

一神教における神とは永遠 絶対 全知 全能、無限 強大 権威 遍在 超越の存在であり、万物の上位存在にして、人間の主なるものである。
神学者アンセルムス曰く、神とは「それ以上に大きいものがなにもない存在」であり、汎神論の提唱者スピノザ曰く「「神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体」(エチカ第1部 神について 定義六6より)と定義される。また神学大全の著者であるトマス・アクイナスによって「『神』という名のもとに理解されるのは、何か無限に善なるものである。」(神学大全 山田訳 第2問第3項より)とも定義される。
神は森羅万象を包摂する無限の存在であり、善なる者である。そのため、何らかに包摂される存在や有限なる者、悪なる者は神たりえない。このような存在である神と人間の間にはデンマークの哲学者の言葉を借りるのならば”無限の質的差異”がある。
それから、神とは”成立させるものが何もない”存在であるとも考えられる。
人間が人間として成立するには栄養や空気、水などが必要となる。また空気が成立するには草木などが不可欠であるが、神には何も成立させるものはない。

➁に続く







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