BLに求めているもの

私は最近分からなくなっている。
何故これほどまでにBLを求めているのか。いったい何に萌えを感じているのか。そもそも「萌え」とはなんなのか。自分以外の腐女子との感覚のズレ。心の底から作品に没頭できなくなったのはいつからなのか。
つまり、拗らせてしまっている。
そこで、ひとまず自分が求めているものについて整理しようと言うのが今回の記事。


疑問1:そもそも「萌え」とは何か
オタクが使うこの「萌え」と言う言葉。死語になりつつあるのかどうかは分からないが、私はまだ使用している。今は取って代わって「エモい」が感覚として近いのだろうか。
個人的には言葉にならない感情の高まりを「萌え」だと思っている。場合によっては心臓が締め付けられて叫び出すなどの身体的な影響も発出される。感情という広い括りにしたのは、「萌え」には様々な活用があり、喜怒哀楽様々な萌えが存在するからだ。「萌え」を感じたその瞬間には脳内の快楽物質が大量分泌されているに違いない。ほぼシャブだなありゃ。
オタクの方々(男女共に)にもそれぞれの感じ方があるため決定的な定義ではないが、私は上記のような用法で「萌え」という言語を使っている。


疑問2:BLに何を求めているのか
前述の通り、どうやらシャブ(比喩)を求めているらしい。


疑問3:何に萌えを感じているのか
では、どうしたら私はシャブ(みんなもうわかてるよね?比喩って書かなくていいよね?)を手に入れられるのか。シャブい作品に共通しているものは何か考える。まず、BLにおいて最重要事項である「攻め」と「受け」について考えなければならない。ここでの共通認識として「攻め」は性行為においてブツを入れる側、「受け」はその逆で入れられる側のこととしておこう。(精神的な受け攻めも存在する為、話の複雑化回避で上記のようにしておく)

①キャラを単体で考える
受けのキャラと攻めのキャラ、それぞれの属性を単体で考える。
私のツボはかなり広い、所謂「雑食」である為、逆に地雷を出せるだけ出してみよう。(この地雷も軽度である為、食えと言われれば食える)

攻め:優しすぎる
受け:ものすごく女性的、突然のメス化

これ考えてたら新たに萌える属性を思いついてしまった…。オネエ口調の攻めって萌えるな…無理かと思ってた…。
さて、キャラを単体で考えるとかなり地雷を見つけることが困難であることがわかった。さらに、攻めの方の属性には全くと言っていいほどこだわりがなかった。受けのメス化と言うのは、これ!と言うものを提示するのが一番手っ取り早いのだが、手頃な例が見つからない。キャラ崩壊に近いものなのか、男性っぽさ(なんとも抽象的)が抜け落ちることには耐えられない。
誤解のないようにしたいのだが、ジェンダー(社会的性のあり様)のことを言っているのではない。私は「女性・男性はこうあるべき」と言う考え方が嫌いだ。これについては別の機会に考えたい。
おそらく、女性が男性を描く際に、女性側から男性への理想の押し付けを感じてしまうのが嫌なのだろう。何言ってんだ?そもそも、同性愛者ではないキャラクターを同性愛者にしてる時点で押し付け以外の何者でもないだろ。ごもっともである。しかし一寸待っていただきたい。そう言うことではないのだ。そうだけどそうじゃなくて〜。
ダメだ、これについても別の機会に考えをまとめよう。次の課題ができてよかったな。

②二人の関係性で考える(カップリング)
次に、二人の関係性で考える。
まだ未知の関係性が世界には溢れているため私の摩訶不思議アドベンチャーは終わりを迎えることはない。これが本当の幸い?そうなのパトラッシュ?
今まで辿り着いた関係性の中で一番萌えるのはズバリ、攻めが歳下で受けが歳上という昼間と夜で関係(ヒエラルキー)が逆転するカップリングである。私が最初に腐海に落ちた(BLの世界に迷い込んだ)作品は週刊少年ジャンプで連載されていた大人気漫画「黒子のバスケ」なのだが、男性キャラがたくさん登場する作品はBLを妄想し放題の言わば楽園。原作のストーリーとキャラ設定からキャラ同士の関係を読み取り、二人の漫画に描かれていない話やsexを妄想する二次創作物がネット上に溢れている。原作好きから二次創作に辿り着いてしまい、腐海の毒に侵された腐女子は大多数ではないだろうか。かく言う私もそうなのだ。
その「黒バス」の中でも私の最推しカップリングは、海常高校バスケ部キャプテン笠松幸男(3年)と、1年でありながら海常高校バスケ部のエースをつとめる黄瀬涼太のカップリングだ。このカップリングが私の原点であることを最近自覚した。雛鳥が最初に見たモノを母親だと思ってしまう刷り込みと同じく、最初に受けたあの衝撃を追い求めてしまうのかもしれない。以下、二人の「キャラ」についてまとめておこう。

黄瀬涼太(攻め)
高校1年生、金髪、モデルの仕事もしている、女子にモテモテ、顔がいい、バスケの能力は笠松よりも上?、チャラい、生意気、信頼した人にはワンコ、高身長、バカ、語尾が「〜っス」、どちらかというと綺麗な顔、中学で最強バスケ部のレギュラーだった

笠松幸男(受け)
高校3年生、黒髪短髪、男前、キャプテンとしてチームを引っ張る、眉毛が太い、周りと比べると低身長、女子が苦手、よく黄瀬を蹴っている、自分のせいでチームが負けた過去がある

※雑食である私だが、これだけはリバ(受け攻め逆転)不可である。絶対に。

実はこの二人、私が実際に体験したことと似ている部分がある。
中学で私立のそこそこ強豪校のソフトボール部に所属していた私は、高校は都立高校の弱小ソフト部に入部。そこで出会った同性の先輩は笠松幸男に似ていた。(漫画を読んだのは大学生の時なので時系列的には笠松幸男の方が後に出会っている)
私はその同性の先輩のことを好きになったのだが、結果は失恋に終わる。その後腐海で自分と先輩の関係性に似ているカップリングと出会ってしまったが故に、私という一人の腐女子が爆誕してしまったってワケ。
しかし、この関係性以外からもシャブを受け取れるため、ここが原点であり最強なことは間違いないのだが、ここで思考を停止してしまうことにはいささか抵抗がある。
①でキャラを単体で考えた際、決定的なこだわりが見つけられなかったことから、私はBL作品においてカップル二人の関係性に「萌え」を感じている可能性がある。そもそも人間の「キャラクター」なんてものは誰と向かい合うかで変化するものなのだから、その二人にしかない関係性に萌えるのは成り行きとしておかしくないのではないだろうか。私はBL作品にそういった関係性を求めているというのはかなりあり得る。


疑問4:二次創作BLに求めているものは何か
疑問3で出てきた、二次創作について書いておこう。
週刊少年マガジンで連載中の「東京卍リベンジャーズ」と言う漫画にどハマりしたのだが、以前までは自ら生み出せた二次創作が生み出せなくなっていた。まるで魔女の宅急便のキキが突然飛べなくなったかの如く。……ごめんよキキ。他の方が描いた二次創作は「美味い!」と言う感じで読み漁るのだが、なぜか自分では描けない。先日同人誌を販売している店に行って驚いたのだが、「東リベ」の同人誌は、ジャンプ漫画の二次創作に比べて総数が少なかった。みんな私と同じ!?などとは言わないのだが、どうやら二次創作しやすい作品とそうでない作品があるようだ

①自分で創作する場合
そもそも二次創作をする理由はなんなのか。コミックマーケット通称「コミケ」の存在は世界に広まるほど有名であると思うのだが、そのオタクたちの祭典で売られる二次創作物「薄い本」の総数がとんでもないことになっていることから、オタクにとっての二次創作はとても重要なことだと捉えて良いだろう。私にとっても重要なことであり、魔女宅の例えを出したのは、それほどまでに焦りを感じたからだ。
二次創作は言わば所有の行為だと捉えている。キャラを解釈し、自分のものにする。漫画ではなくイラストにとどまる場合も、描くことでキャラを所有するのだ。これが今のところ二次創作をする理由の最有力候補なのだが、まだまだ考える余地はありそうだ。
「東リベ」の場合、この所有がうまくいかないのかもしれない。自分にとってかけ離れた存在のヤンキーがどう言う行動を取るのか、どういった性質を持っているのかがイマイチ掴めない。人間の性質なんて掴めなくて当たり前なので、「東リベ」の登場人物たちはリアルの人間に近いのかもしれないと思ったのだが、これも少し違う気がする。
歯切れが悪くなってきたのでこの辺でまとめると、自分で二次創作する際に求めているものは、キャラを所有・獲得する快感のようだ。そしてそれらは、「描く」と言う行為によってもたらされる。

②誰かの二次創作物を見る場合
とにかく原作からはあり得ないようなキャラ崩壊だけは避けたい。よりキャラ解釈がマッチする二次創作物を求めている。
原作から遠く離れてしまっては、そのキャラは皮を被った化け物でしかない。頼むから無闇にビジュアルが同じだけで中身が全く違う人間を生み出さないでくれ。人間が多面的であるのは重々承知していて、置かれた場所や状況によって行動も態度も変わるから、原作から離れたキャラなんて存在しないかもしれないし、そもそもBLにしてる時点でおかしな話になってくるのだけれども…!
つまり、他者の二次創作物を見る際には、より忠実なキャラ解釈を求める。


疑問5:商業BLに求めているものは何か
二次創作は話の複雑化をもたらすようだ。商業BL作品(出てくるキャラもストーリーもオリジナルの漫画)であれば、純粋にBLに求めることがわかりそうだ。
最近オリジナルのBL漫画を描き始めたため、ここでも自ら生み出す場合と、作家さんたちの作品とで分けて考える。

①自ら描く場合
私が描いているBL漫画は、実在する人物をモデルにしている。先日ナンパしてきた男と少し話をしたのだが、ずっと引きこもりをしていて三日前に宮城から上京して来ただの、曽祖母に腕相撲で負けただの、とにかく面白い人物だったため、「ふーん、おもろいから自分とこいつでBLしよ♪」と言うことで描き始めた。
オリジナルのBL漫画を描き始めたことにより、疑問3で出た「関係性萌え」と疑問4で出た「所有欲求」を同時に獲得できる最高のシャブであると言うことが分かった。自分で書いてる創作BLが一番萌えるのよ。当たり前といえば当たり前か。
BLにしたことにより、攻めと受けの関係が自ら選択できるようになった。どうしても男女のカップリングであれば人体の構造的に役割が決まってしまう。(おもちゃとか使えば逆もできるにはできるけどね)それは関係性のコントロールであり所有だと考える。また、実在する人物を登場させることにより、その人物を所有したかのような快感を覚えた。え?変態?
現実での恋愛が全くうまくいかない私にとってここは楽園。まずい方向に向かっているかもしれないが、行き着くところまで行き着いてみよう。とにかく、自らオリジナルBL漫画を生み出す際にも、「関係性」と「所有」を求めているようだ。

②プロ作家さんたちのBL
先日「BL進化論」と言う本を読み、BLが辿ってきた歴史や世の中に及ぼした多大な影響について知った。始まりは女性の快楽装置でしかなかったB Lが、実際の同性愛者たちのことを考え、想像力を持って、周りの人間がどのような人たちだったら良いのかを描くものへと進化していったと言う(簡単にまとめると)ことが書いてあった。私もBLに出会う前は、同性愛を嫌悪していたし、普通じゃないと思っていた。自らが同性を好きになってしまったことにもとてつもなく悩んだ。しかしBL作品に出会えたことによって、とても救われた。まだまだ差別や偏見が世の中に存在していると思うが、BL作品によってそれらが解消された例もたくさんあるのではないだろうか。さて、前置きが長くなってしまったが、そんな社会への影響も少しだけ商業BL作品に期待している。
純粋な私個人の欲望としては、すんなり男同士が付き合うことには疑問を持ってしまう。最終的には二人が幸せになって欲しいのだが、紆余曲折あればあるほど良い。これはどの創作物においても言えることだろう。
同性愛者への差別や偏見は必ずなくなってほしいが、全ての人間が同性愛者になって欲しいわけじゃない。同性同士だとしても、男女の恋愛と等しく地獄なんじゃ。これは持論だが、恋愛はある意味殺し合いだと思う。己の持てる全てを使って裸で殴り合うイメージ。そんなことないんだろうけど、そういう恋愛っていいよね。お気づきだろうか?そう、自分でも何言ってんのかわかんなくなるほど疲れてきたの、パトラッシュ。
つまり、商業BL作品には自らの世界(三次元)により近い虚構を求めている。そして同性愛嫌悪がなくなるような作品を求めているの。


【まとめ】
・「萌え」とは脳内から快楽物質が分泌された際に私が発する鳴き声、シャブ
・二次元キャラ単体へのこだわりはない
・関係性によって多くの「萌え」を得られる
・現実の人間を所有できないが為に二次元キャラを所有しようとしている
・描く行為が所有をもたらす
・最初に出会ったカップリングの関係性は母親
・BLならなんでもいいってわけじゃない

どうやら途中から、自らがBLに求めているものを考えると言うレールを踏み外してしまったようだ。ついでに人生のレールも踏み外してるけどそれはそのまま走り続ける所存。
何度も書いているかもしれないが、これはあくまで私個人の性質であるため、腐女子がみんなこうであることはあり得ない。だからみんな怒らないでほしい。


【新たに出てきた考えたいこと】
・二次創作におけるジャンプとマガジンの違いはなんなのか
・二次創作しやすい作品の特徴
・女性が男性キャラを描くときに感じてしまう「メス」の正体はなんなのか
・BLというジャンルがこの先どこへ向かうのか
・エロ本としてのBL


それでは、今回はここまで。ご意見ご感想いただければ大変嬉しいです。
ありがとうございました。




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