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エッセイ ④せむし男



       

 寺院の前で醜い赤ん坊が拾われた。その男は成長しその寺院の鐘つきとなる。
 ビクトル・ユーゴの小説「ノートル・ダムのせむし男」の物語である。そのノートル・ダム大聖堂が大火災を起こし、その映像が世界中に映し出された。完成まで180年ほどかかったユネスコ世界文化遺産。大きなショックを受けた。
 寺院には3回訪ねている。最初は1984年。職場に絵の好きな先輩がいて、記念に絵を描きなさいと言われた。私が勤めていた職場は、その頃とてもサークル活動が盛んで、絵画の全国展などもあった。絵を描くのなんて小学校以来のこと。それがなんと東北管内展で新人賞をいただいた。その絵がノートル・ダム寺院だった。
 そんな思い入りのある寺院だったので、大惨事には特別の思いがある。年間1300万人ほどの観光客が訪れるノートル・ダム寺院。寺院のその脇に小さな公園がある。閑散としていて観光客はほとんど見ない。木陰の下に小屋風のトイレがあった。入ると伏せ目がちの中年の女性と、目が異様に輝いている小さな男の子がいた。親子だろう。入ろうとすると無言で手を差し出す。
 初めてのヨーロッパは見るもの聞くものみな全て珍しく、有料トイレなども初めてであった。ちょっぴり恐怖心を覚えた。気の小さい私は、他人に見つめられ用をたすことなどうも気疎ましい。ただその存在がどうも気になり、その親子がいつまでも私の脳裏から離れなかった。もしかしてノートル・ダム寺院のあのセムシ男と家族なんだろうかと考えたりもした。
 そんな空想にふけっていると添乗員さんの明る声が脳裏に割り込んで来た。
「このセーヌ河沿いのシテ島を少し北に登ると、岸恵子さんが住んでるサン・ルイ島が見えますよ」。弾むようなアコーディオンの音色に銀幕の岸恵子さんの笑顔が浮かんだ。同時にパリの麗しい街並みが車窓に広がった。
 ノートル・ダム寺院のセムシ男と、岸恵子さんとの不思議な組み合わせが、いまだパリの印象として刷り込まれている。
 2024年夏にはこのパリで、夏季オリンピックが開催される。しばらく訪ねてないパリの街並みがどう映されるか楽しみだ。
 

 
 

  

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