見出し画像

現代版産婆を目指す私。『三段階の選択を経て』

赤ちゃんのお世話が苦手で
血液で失神した看護学生でした。本当に看護師⁉️になれるの?と 云われそうなナースの卵でした。

「私、ナースです」と名乗る事もできず二回お産を経験しました。
学生時代の仲間は「血を見て倒れた貴女が助産師⁉️」とビックリ。
でもね『出産で血は流れない❣️』真実を知ったから‼️ 助産師を選択したの。『あの選択をしたから』私は、三段跳びの選択したのよ。

その私は、現在に至る40年以上
『赤ちゃんを取り上げる』(助産)を生業にして生きてきました。

私の助産師人生は、正に
『あの時あの選択をしたから‼️』
現在があるのです。
初めて本気で、開業助産師になると決めた瞬間がありました。   あの時、あの場に、居合わせて、あの瞬間(生命の誕生する瞬間)に立ち会うチャンスがあったから。                  

しかも、『開業助産師』の選択を決意したのは、あの夏のあの日に
『生命誕生に重ねて立ち会う事』ができたからなのです‼️

                    今更、『自然な出産』といっても、多くの方たちには、そんなのなぁに?と云われてしまいそうですが。
『あの選択をしたから❗️』と云う経験は、私の人生の決定的な方向付けをしてくれました。それは『天職』との出会いでした。

🌼はじめに:
40年以上前に初めて見た「赤ちゃん誕生」のホンモノの現場に立ち会った経験を説明する所から始めたいと思います。

今も昔も一切変わる事のない『自然なお産』とは‼️助産師による『自然出産』は、専門用語では「分娩介助」と言い、助産師の主な業務の一つです。
 (現在の『自然出産』には、様々な解釈が、あります。ここで云う自然出産とは、正常な妊娠経過を経て、正常な出産経過に至ったお産です。助産師がその専門職制の中で、任されている範疇で、判断できるお産です。正常な経過を辿る出産に於いてその全過程の対処が法的にも任され、対応可能な出産のことを言います。)


🌼三段跳びの選択とは

二児の母でありながらなんとも危なっかしい助産師学生の私が、ドロップアウト直前に、最後のチャンスと、担当教官に勧められ東京へ自己研修と銘打ってでかけました。四十三年も前のことです。
⚫︎(東京へ出かけると云う選択をした夏休み)

そこで、目の当たりにしたニ例の自然出産。そこで、出会った『開業助産師の技』に魅せられ、コレしかないと確信しました。
 ホンモノの『自然出産』に出会ったと云う体験が、私の人生を大きく変えました。
⚫︎(自然な出産に立ち会えるかもしれないと云う機会を得ようと行動した選択が、自分の助産師人生を変えた事)

自分が、最も苦手では⁉️と思っていた弱味が、実は、生涯かけて余りある職業を選択するチャンスを与えられ、世間の常識と思われている事(出産には出血が有る)を覆す『開業助産師の技』による自然出産の真相を知った事で、現代版産婆を目指す事にしたのです。
 自然出産に於いて「産まれたての新生児は、泣き続けない‼️」。更に「自然出産に於いては、血は流れない‼️」と云う真実を目の当たりにする体験を得たのです。
⚫︎(ホンモノを見たと云う現実を自分の目標にすると決めて自分の進路を選択した事によって『現代版産婆を目指す』と云う具体的な目標が出来た事)

その目標は、現在も進行中。。。です。    

後押しをしてくださった教官に感謝、夏休みに同行してくれた当時学生だった助産師仲間に感謝、そして『開業助産師職』と云う専門職を生業に出来た事に感謝。そして、最後になりましたが、それら、全てを支えてくれた母をはじめ、私の家族全員に感謝します。


①選択の瞬間
立川市の助産院にて;
自然出産の現場では、時がとても穏やかに流れ、事もなげに赤ちゃんが、この世に登場します。産まれたての赤ちゃんは、産ぶ声を一声「フャッ!」発して、挨拶を済ませるとひと時、休みます。
次には、
母をよじ登るように移動して「オッパイ」にたどり着き、おっぱいを頬張ると時を忘れた様に、いつまでも本能のままに、おっぱいにくっつき続けます。「ヤット本物のおっぱいを見つけたよ❗️」と、言わんばかりに。

これが、自然出産では、極、普通の現場なのでした。夫、兄弟姉妹や家族、産婆たちが、見届け見守る中「この世」とも「現世」とも云う『晴れやかな舞台』に現れます。
しかも、清々しげに『羊水と云う原初の水』のシャワーを浴びてきた事を強調するかの様に『一条の血筋』をも纏う事なく艶やかに、その瑞々しい身体から「原初の海のわずかに甘い香り」を漂わせて産まれてくるのです。

そうやって『この世に生まれるということを果たした赤ちゃんの姿』を目の当たりにした瞬間。然も、一度だけでは無く二回も‼️
 同じ助産院で、その日は、同じく生まれるルールに則って。更に、もう一人、別の女性から産まれ出た『赤ちゃんの誕生』をも確認させていただけたのです。
その選択は、私の人生に於いて正解でした。
そして、これは、正に、確信‼️でした。

②確信を得て;
 引続きその出産現場では『生理現象に寄る出来事、物事』コト『お産』には、キチンとルールと順番があって、順序をたがえる事はないと云う事を証明してくれたのでした。
こうして、二人の赤ちゃんが、同じ助産院で同じ誕生の日を迎えた助産院の一日が終わりました。(誕生日とは「母、受難の日」とも云いますが、、、)

選択の正しさは、回を二度重ねる事によってより確かな手応えとなり、私は、その選択に感謝しました。

③新生児までの姿(進化の姿);エビデンスを確かめる為に
赤ちゃんは、この世に登場すると間もなく、「呼吸を切り替える時の息(発声)をします。
『産まれてこれたヨ❣️』コレを発する事で立ち会っている人達には『産ぶ声』を挙げた❣️と届くのです。

思い返せば、、。
『トツキトオカ』(人の妊娠期間=280日)、お世話になった母の胎内(=子宮)から、外界に出て行こうと決めた日から、どれだけの時間が経過したのかは、定かではないと考えられています。どうやら『この世に産まれようと決める』のは、胎児が主導らしいのです。そして、その『お産開始ボタン』のスイッチを押すのも胎児なのだと云われています。

エビデンスを求める理由
私が、『産婆』を目指した訳は、あくまでも『生理学』に基づく出産を『自然な出産』『自然出産』と規定しています。その根拠としてエビデンスを付けて説明し尽くせるまで深く突き詰めて「話せる助産師」を目指さなければならないと思ってきました。

それには、エビデンスの整った『自然出産』について知ってもらわなくてはなりません。 
 事前に女性とパートナーには、充分に理解してもらわなくてはなりません。
『その中身を整える』のに故三木成夫先生の記された何冊かの著書に出会った時、私の『現代版産婆への想い』は、より確かなものになりました。

 三木成夫先生からの学びは、大変貴重だと思います。先生は『ヒトの命、生命の発生』の全容を解剖学から追求しようとされ、講演などでも力説されていた『ヒトの生命の始まり方、その姿』については、目を見張るものがありました。実際の標本を緻密に観察し(点描写で写し取られ)解剖学の視点から紐解かれていました。他の生物、動物の事例では無く『ヒトの命』を直に観察すると云う方法は、とても難しいことです。『ヒトの命』については、実験する事や試す事が、出来ない為です。膨大な時間と限りなく丁寧な観察が必要だったのです。その結果、まとめられた研究の結果は、今も重要さ、正確さ、真実性に於いては不変です。
🌼ですから
『その中身を紹介せずにはいられず』
ここに書き記したいと思っているのです。
🌼もう一点(先生の描写されたスケッチから)
『人類は皆、兄弟❣️』と云う言葉を文字通り、そのまま受け取れば良いと伝えたい根拠を示したいのです。

 真相を知ってしまったから
ヒトの誕生の秘密の多くは、女性にとって、妊娠より遥か以前の日常生活に端を発しています。健康な身体。健康な生活。健康な精神が元になります。ヒトとして、この世に『生』を受けて以来、発育成長し、女性としての生活を目指す中に既に形成されているのです。
ヒトの生命とは、妊娠(=受精)とほぼ同時に始まり、女性自身が自分の中で「命を授かり、身体が命を育んでいる」のだと自覚できる様になる前に『大半の最重要ポイント』を通過しまっているのです。女性にとっては『命、生命とは⁈ 』と云う命題は、人生の始まりからの必須課題なのだと思います。
そして、私にとって、「生涯現役で伝え続けていきたい」と自負している『命の学び』でのテーマなのです。

1️⃣
子宮内では、目に見えないぐらいの大きさの卵(受精卵)のときから、根下ろす場所、即ち(胎盤の位置)、居場所を決めてきたのです。

未だ、生命として、生き続けられるかどうかすらわからない初めの初めの頃に。
 受胎0か月の卵。胚、胎芽になる前

2️⃣
名前をもらう(卵→胚、胎芽→胎児)
2️⃣-1 (故三木成夫博士の著書を参考にして)
『胚(胎芽)』の頃の試練は、なんといっても「一億年の進化をたった十日間で成し遂げて成長」しなければならない事です。

受精卵は、受胎後日数(妊娠の瞬間からの日にちの数え方)受胎一カ月を過ぎる頃になるとその『猛烈なスピードで経過する試練』に耐える事を強いられます。

(*ここから先は、三木成夫先生の考え方、或いは『進化論』を我流で解釈しています)

まず、2️⃣-2
受精卵が、脊椎動物の卵としてどう進化してきたのかと云う疑問です。それは、子宮内での『羊水呼吸』の不思議から始まります。
母胎内での生活は、全て、『羊水内』で完結しています。羊水中で生きるその不思議は、古生代、中生代、新生代と進化する過程の中で、如何にして、地球上で命の源が発生した『太古の海(海水)』を『いのちの水』として、母胎内(子宮)に『羊水』として取り込むことができたのか?と云う事に尽きます。
⚫︎この部分については、私には未だ、
  これ以上の理解は、出来ていません。

そして、1か月後。2️⃣-3
🌼先生の精密画のスケッチの寄る胎芽の姿
受胎32日目の姿は、アズキ粒ほどの大きさで、まるで『古代デボン紀の魚🐟の頭部』を見るようです。両側に目になるはずの部分が存在している姿は、サメに似た顔貌。又、将来、もみじに例えられる手なるはずの突起は、まるで鰭(ヒレ)の形なのです。

それが、
二日後の受胎34日になると、魚から両生類の面影を持つ姿になります。口が分かれ、鼻と目になるはずの膨らみには二つの穴が確認できます。もう、臍の緒がか細いながら確認できます。未だ、ヒトとは思えない様な進化途中です。

そして、
更に、二日後。受胎36日には、表情らしき顔になり、未然形ながら魚から両生類の時代を経てきた姿に見えてきます。レンズが確認できる二つな目(瞳)が、顔面に並ぶと顔らし差が増してきます。指への進化兆しが認められる手が見えています。

そして、更に、
二日が経過した、受胎38日になると更に進化が進み、二日前の爬虫類🦎の姿から比べてみれば明らかに、哺乳類の顔らしさがみられる。手は、未だ独立はしていないが五本の指を確認できるのです。

この進化は、二日間隔での精密スケッチは、今、この世に居る人びと、全てが通過してくる個体進化(どの人も通過する進化の過程)の一週間の起こる事なのです。誰もが間違いなくこの姿形の時間を過ごすのです。男女のみならず、人種を超え、美人もそれなりの人も体格の良し悪しにも関わらず、、。兎に角全ての人が通過する。
要は、文字通り進化の過程で確認した「同じ姿、同じ造り、同じ形』の時間を過ごすのです。そう云う意味からも『人類、皆、兄弟』ソノモノなのだと思います。

如何ですか?

2️⃣-4
そんな時を過ごした後『個々の個性』が出現してくるのです。

2️⃣-5
誕生までの残りの期間は、その後、胎児としての個性、胎内(子宮内)での生活での感覚による活動、動きの活発さ、ゆったりした児、など、それぞれの個性が、妊娠中にも有ると考えられます。

『胎教』などもその一つで、妊娠中を穏やかに過ごす事が良いとされています。母胎内に居てもストレスは、伝わるとされています。

両親の遺伝子は、色々な現れ方をします。
頭囲の大小。身体の大小(出生時体重)、人種による皮膚色の違い。又、母の潜在的な疾患から来る影響(高血圧による児の成長障害、糖尿病に寄る過成長児)、その他五感の疾患などとの関連性なども出現します。
いわゆる「遺伝する」と云われる事なども
考えられます。

3️⃣産まれる(生きて産まれる)

この後、妊娠中の時間が経過し、いよいよ
出産の時を迎えます。
⚫︎妊娠三か月、四か月、五か月と。
赤ちゃんの動きが分かると、
女性たちには少しづつ自覚が湧いてきます。
胎動は、この頃から「自己主張」を
始めてくれるのです。
性別もかなりの確率でわかってきます。
⚫︎妊娠六か月、七か月、
お腹の大きさから妊婦さんと云われる子宮内に居る胎児から『居ますよ、元気ですよ』と合図を送られ妊娠中で有ることを心身ともに考え感じかれる様になります。
⚫︎妊娠八か月、九ヶ月自分の身体なのに
こんなに重い、息苦しく感じることもあり、胎児の動きを感じるとその存在を意識でき、うれしくも不安感も湧く時期です。
⚫︎妊娠十か月(=臨月)
出産の準備、身体と心のバランスも様々に変化します。急に不安になったり、喜びに満ち溢れたり。

でも実際のところ、
多くの妊婦は不安でたまらないのです。
自分の身体から、自分の子宮の中に居る(このお腹にいる?)らしい胎児が、
どうやって出てくるのだろうか?と
心配でたまらないはずなのです。

だから、知識が必要なのです。
胎児の持つ適応能力と、自身の持つ適応能力を協働させて、何とかして、この世に、赤ちゃん(=新生児)として、無事に産みださなければならないのです。

⚫︎適応能力ってなんでしょう?
一体どれぐらいの時間をかけて、このお腹の中の胎児を産み出せば良いのでしょう?
私の身体が分解してしまわないかしら?
赤ちゃんとして、産まれてきた子は、ちゃんの泣いてくれるかしら?
かてま生み出せばれてくる

⚫︎胎児は、自分の力だけで、母の助けを借りながら、産まれ出るタイミングを図って、やっとの思いでこの世に登場してくるのです。

課題;
出産とは、どう考えると良いのでしょうか?自然な出産のほかに、無痛分娩(痛み止め、麻酔を使用してお産をする)、計画無痛分娩(日時をして指定、無痛分娩を計画的に実践する)痛みの無い、楽なお産を望みたいと思い、実践に移せるのは母親側だけの医療行為の進歩によって可能になって来たのです。

⚫︎自然出産では、母になる為の女性の試練、赤ちゃんとしてこの世に登場してくるための胎児の試練。どちらもが一定の時間を掛けて、耐えることで、適応能力をつけることができるのです。

今では、死語になってしまったかもしれないこの言葉『一生懸命』『死に物狂い』で‼️が、正に、正論なのだと思います。
そうなんです。
自然出産を体験する事とは、母も子も、断崖絶壁のスレスレを必死になって、渡ってくることなのです。

一方で今の主流は?
 現代医学の進歩は、女性が母になるための試練を優しくしてくれました。計画分娩という方法で、痛みを和らげ、日にちを設定して、お産に臨める様になってきています。

⚫︎帝王切開での出産は、より計画的で安全性が保証されている様に思われるかもしれませんが、実は、胎児にとっては、試練の過程(産道)を通ることなくこの世に登場する事で、より注意深く観察して確認しなければならないのです。
 空気呼吸が獲得できるか?又、突然、羊水に護られていた環境から引き出され、空気の世界に適応できるかどうか?は、一晩かけて保育器に入って、確認してもらわなくてはならないのです。

 又、
⚫︎母をお産の痛みから解放する為に考えられ普及してきた『無痛分娩』『計画分娩』などでは、痛みを和らげる事(=胎児を生み出す為の怒責(いきむ)事などの効果が上手く発揮できないことも多い)。痛みからの解放とは、母親になされる医療行為としては有効なのですが、生まれ出ようとする胎児にはなんの利点も無いのです。

 胎児にとって、母のお腹の中(子宮と云う常に安定した最上の環境を提供してくれた母胎内)で大事に育てられたはずの最後の時点で、この世に登場する為の試練を楽にする術は、無いのです。胎児にとっては麻酔も痛み止めも効果をあげることは出来ないのです。

⚫︎無痛分娩の場合、
胎児にとっては、無痛分娩の為の痛み止め(お産の経過途中から、母に麻酔をかける)の副反応として、陣痛の子宮を収縮させる力が、上手く効かせられなければ、吸引分娩といって、胎児の頭部を吸引器と云うカップ状の医療機器で「引き出す操作」を受けなければ生まれてこられない状況になることもあるのです。

胎児は、今だに、現代医学の恩恵を受ける事はできないのです。今も昔も、産まれることは、胎児にとって、100%試練なのです。

🌼最後に
「あの選択をしたから」振り返ってみると、実に、何回もの選択をしてきたものです。

私は、
多くの助産師仲間が、勤務助産師(病院施設で仕事をする)としての選択をする中、敢えて、開業助産師として、24時間365日体制の仕事の仕方を選択してきました。その中で、更に『現代版産婆』と云う開業助産師の道を生きてきました。途中から現代版産婆を目指にした理由である『産婆の技』を磨き、プラス、現代助産師の『知識、情報』を携えて、目標をぶれさせない様にこれから先は、ゆっくりと自称『現代版産婆』として生きたいと思っています。

#あの選択をしたから
#自然出産
#現代版産婆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?