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フィギュアに無知な僕が羽生結弦の単独公演を初めて観て思ったこと

卒業や結婚、夢が叶ったとき—。誰にでも「人生の節目」は訪れるもの。過去を振り返り、次へと向かうタイミングで、人はこれまで積み重ねたものを失う怖さや、新たに向かう先で得るであろう未来に馳せる思いだったりを抱くと思います。
世間一般に「一流」と呼ばれる人も同じ。今いる場所から離れることは、時に「怖いこと」でもあり「希望」でもあるのだと思います。

羽生結弦との出会い

2019年に買ったハードディスクレコーダーは、僕にとって「節目」でした。テレビで自分の写真活動を取り上げていただけることになり、録画用としてソニー製のレコーダーを買ったのでした。

「自分の活動がテレビで特集されるー」
1テラバイトのハードディスクを搭載したレコーダーはテレビで流れたほんの数分の特集だけが保存されたまま、その後使う機会を失っていました。しかしいつしか録画履歴は「羽生結弦」の文字で埋め尽くされていったのです。

羽生結弦さんが出演するテレビ番組を録音していたのは僕の家族。どうやら結構前から羽生さんファンだったようで、羽生さんが出場する大会を録画しては、夜な夜な見返していたようです。僕はそれに全く興味がなく、「羽生結弦」はハードディスクの残容量を奪っていくだけ。僕は内心「早くDVDに焼くか、消してくれないと困る」と思っていたのです。

12/2に青森県八戸市のスケートリンク「フラット八戸」で行われた羽生結弦さんの単独公演「プロローグ」は、運よく「スタンドS席」の前から2列目の席が当選。僕は興味本位で、家族の付き添いで行ったのでした。羽生さんを見たのは、2014年のプリンスアイスワールド八戸公演に次いで2回目。単独の公演は初めてでした。

会場「フラット八戸」5000人収容可能な青森県で最も新しいスケートリンク

初めて観た羽生結弦の「単独公演」

「プロローグ」と題した本公演は、現役選手から引退しプロとして歩み始めた羽生結弦さんの決意表明のような構成。アスリートとしての「羽生結弦」のこれまでを振り返り、プロとして歩み始める「羽生結弦」の覚悟が見える内容でした。羽生さんについて全く知識のない僕でも、「彼がどんな思いで今を迎えているのか」がよくわかる内容で、「演出」からも「仕草」からも、どこか親しみやすさや優しさに満ちたものを感じました。

フィギュアと出会った幼少期、フィギュアの大会にでた少年期・青年期、自らも被災した東日本大震災、記憶に新しい輝かしい活躍の姿などの映像上映と、羽生さんの迫力ある演技が交互に繰り返されます。ほとんどの人は「アスリート」としての羽生結弦を評価しますが、羽生さんにとっては「4歳の頃から今日まで」の全てが一直線に繋がっているんだなと思いました。そしてその最先端である公演「プロローグ」は、「これからも変わることなく、この活動を続けていきます」ということをファンに伝えるための、決意表明のような公演だったのだと思います。

リンクを打つ音・削る音

公演の冒頭、突如として会場に緊張感あるアナウンスが流れ「6分間練習」が始まりました。テレビで見たことのある、出場直前のウォーミングアップが、そのまま目の前で繰り広げられます。

「プロローグ」公演直前の会場

緊張感のある空気の中で羽生さんがリンクに現れ「6分間練習」が始まると、スケート靴でリンクを叩く「コンコン」という音や、「シュッ」と氷を削る音、そして羽生さんが不意に「よし」と呟く声などがリアルに聞こえてきます。大型ヴィジョンにはカウントダウンが映され、より一層緊張感を仰ぎます。時折「くまのプーさん」のティッシュ箱からティッシュを出して鼻を噛む仕草に妙な親近感を覚えます(僕は20年来のディズニーファンで、最も好きなアトラクションは「プーさんのハニーハント」なので)。

そしてその後の「SEIMEI」と題した演目は、「フィギュア選手羽生結弦」そのものを間近で見ているかのよう。テレビニュースで観た「フィギュア選手羽生結弦」がそのままの姿で、本番さながらに目の前に現れてきたのです。率直な感想は「やべぇ、本物の羽生結弦だ」です。

完璧な演技と、「フィギュアスケートの大会」を思わせる粋な演出、そしてリアルな音や息遣い、どんなサラウンドスピーカーでも再現できない「生の羽生結弦」の存在感に、初っ端から心を打たれたのでした。羽生さんは選手としてのこの姿を、より多くの人に届けたかったのだと思います。

来場客とのコミュニケーション

この公演は、トークもたくさん盛り込んでいる印象。27歳とはいえどこか可愛らしさの残る羽生さんは、笑顔を絶やさず、来場者のことを気遣います。「これまで応援してくれたファンにも、今日初めて自分を見た人にも楽しんでもらいたい」というような言葉に、「この人は気遣いの人だ」と感じさせられました。

音響さんのちょっとしたミスでBGMが流れなかった時は「え〜?」と笑いを誘う反応を見せたり、「良かったら寝てください」と冗談半分に謙虚な姿勢を見せたりといった仕草や言葉に、良い意味での「ゆるさ」を感じ、人間としての羽生結弦に親近感を覚えました。こういう人が友達や上司だったら楽しいだろうなと、ちょっと思いました。

公演中の「見せ場」では、覚悟を決めるように大きな声を出したり、マイクのスイッチがオフになっていても「ありがとうございました」と大きな声で伝えたり。「観られている」ということを意識しつつも、羽生結弦その人の本質が滲み出ているようでした。

八戸との縁

忘れもしない2011年3月11日。僕の住む青森県八戸市も被災しました。羽生さんが活動拠点としていた仙台市のリンクは大きく被災し、運営が難しい状況に。
羽生さんはフィギュアを続けて良いのかと迷ったこともあったようです。ウィキペディアによれば、被災したリンクからスケート靴のまま這い出て、難を逃れたとか。

その後は東北地方に元気を届けるために、兵庫県神戸市などでボランティア公演を行っていたそうです。同年4月からは、僕も幼い頃よく遊んでいた八戸市の「テクノルアイスパーク新井田(現テクノルアイスパーク八戸/新井田インドアリンク)」を仮拠点とし、活動を続けていたのだとか。12/2の公演の「投票」の場面で羽生さんは「悲愴」と題した演目は八戸との縁が深いものだということにも触れました。残念ながら投票では「悲愴」は次点に・・・でも、「オトナル」という演目が披露され、ファンの皆さんはとても喜んでいる様子でした。

「投票」は光ブレスレット「バングル」で行われました
これも羽生さんのアイディアなのだとか

八戸は昔から「氷都(ひょうと)」として知られ、スピードスケート、アイスホッケー、フィギュアスケートが盛んな土地柄。震災は多くのものを奪いましたが、「東北地方」と「羽生結弦」の縁をさらに深くしたようにも思えます。そしてその「縁」の中に、こうして「八戸」が大きな存在として含まれていることはとても感慨深く、市民の一人としてありがたくも感じました。八戸市の行政はこの縁をこれからも大切にしてもらいたいものです。

テクノルアイスパーク八戸に打ち上がる花火
2020年6月1日、新型コロナで疲弊する八戸を元気づけようと打ち上げられた
※羽生さんの公演と花火は無関係ですが、手元にあったので掲載しました

風の噂で聞いた話によれば、羽生さんは当時テクノルアイスパーク前で営業していた「新井田食堂」を利用したこともあったそうです。

羽生結弦が最も恐れたこと

公演中はツイッターに寄せられた質問に羽生さんが答える場面も。
「フィギュアを続けてこられたのは何故か」といった内容の質問に対する答えが印象的でした。

「僕は逃げるのが怖い」「メンタルは豆腐並み」
羽生さんはきっと「逃げること」で失うものの大きさを知っているのだと思います。常に次の目標に向かって歩み続けることは、時として精神や体力を大きく削ることを強いられることでもあると思います。
しかし人生は長いようで短い。「若さ」は永遠ではない。逃げれば楽になるけれど、そこから失ったり、崩れていってしまうものも大きい。羽生さんの「怖い」という発言にハッとさせられました。
そして、自分のメンタルについて羽生さんは「豆腐並み」と答えました。強い自分で居続けることはとても難しいこと。羽生さんは常に強くいるのではなく、「弱い自分」をしっかりと受け入れているのでしょう。
そして「弱い自分」も自分の一部だと認識しているからこそ、演技の一瞬一瞬を丁寧にこなし、終始周りの人を気遣うことができるのだと思います。

羽生さんの「メンタルは豆腐並み」の言葉に「それなら自分も頑張れそう。豆腐のままでいいんだ」と思え、「自分も頑張ろう」と思うことができました。

・・・これからも続く、アスリート羽生結弦

選手からプロへ。羽生さんは、その人生の向かう先を大きく変えたように思います。
しかし、八戸に姿を現した彼の心持ちは「アスリート」のままのように感じられました。

最高のものを人々に届けることを自分自身の使命とし、その目標に向かってさらに前に進んでいくー。今回の公演からはその覚悟を感じることができました。

僕はこれまで羽生さんをテレビニュースや中継のみで知っているだけでした。そんな僕にも羽生さんの心持ちが伝わってきたのですかから、ファンの皆さんにとって本公演はとても感慨深いものだったのだと思います。
そしてこれまではテレビの中の「スター」だった羽生結弦が、27歳の「人っこ※」の良い青年に感じられたのも、大きな印象として残りました。
※人っこ:青森・岩手などの東北の方言で「人柄」を指す意味

公演後、フラット八戸の壁面には感謝の言葉が表示された

この公演は「スター」としての羽生結弦ではなく、わたしたちと同じように日一日(ひ・いちにち)を着実に歩む「人」としての羽生結弦を見たようでした。

「きっとこの人、一緒に飲んだらおしゃべりが面白いだろうな」と思いながら、フラット八戸を後にしました。また八戸で公演があるなら、ぜひ伺いたいと思います。ひとりの細やかなファンとして、羽生さんの活動を応援していこうという気持ちになれた公演でした。

機会があれば、羽生さんの練習の姿や、本番中の姿も写真に納めてみたい・・・・そんなことも思ってしまいました。

これまでは全く興味を持つことのなかった、家族が録画したハードディスクレコーダーの中の「羽生結弦」の映像。これからは僕も、ひとつひとつ大切に観ていこうと思います。

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