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#17『教室マルトリートメント』 川上康則

「教室マルトリートメント」という言葉を聞いたことがあるだろうか?自分はこの本を読むまで何のことか全くわからなかった。
マルトリートメントとは、不適切なかかわりという意味だそうだ。そこに教室という言葉が付くので教室で起こる不適切なかかわりという意味になる。

今年度低学年を担任していて思ったことがある。それは、締め付け。特に、年配の先生ほど子どもたちを𠮟りつけて言うことを聞かす。(上手に動かす先生ももちろんおられるが・・・)この指導は、高学年を見てきた私にとって大きな衝撃であった。そして、「本当にこれでいいのだろうか。」と思うようになった。年配の先生方も叱りたくて叱っているわけではないが「1年生でしつけをしておかないと今後の学校生活で困るから。」とよく言われる。間違いなくそうではあると思うのだが。。。どこまでが「しつけ」なのか、子どもの心にとって本当に良いのか考える必要があると思ったので著書を購入し読んでみることにした。


教室マルトリートメント

児童虐待
①身体的虐待
②性的虐待
③ネグレクト
④心理的虐待
①②に関しては違法行為であることが分かっているが、③④に関してはグレーゾーンになっている。
③に関しては励まし・賞賛をしない、特定の子の指名を避ける、合理的配慮を行わない、必要な授業準備をしない、学級の課題を放置、支援の必要な子供を支援員に丸投げ、毒語
④に関しては威圧的・高圧的な指導、力で抑える指導、子どもの自信を無くす指導、人格を尊重しない指導、主体的な行為を妨げる指導

毒語・・・「勝手にしなさい。」「さようなら。」「何回同じことをするの。」「もうみんなとは○○させられない。」「お母さん・お父さんに言うよ。」「さっき約束したよね。」「1年生からやり直してください。」など


罪や脅しの副作用

①行動することそのものを止める
②1時的に効果はあるが持続しない
③罰的なかかわりはエスカレートしがちになる
④ネガティブな情緒反応を引き起こす
⑤力関係次第で他人に同じことをしてしまう
⑥結局のところ何も教えたことになっていない。

子どもの育ちは促成栽培ではない

「研究テーマに掲げたから子どもも変わる」と思うのは勝手な思い込み。子どもをコントロールできると思い込み、○○させる、○○をやらせるとするのはおかしい。「何かをさせる。」のではなく教師が「子ども理解を深めるために何ができるのか。」「既存の指導観を変えていくために何ができるのか。」を考えていく方が良い。教師の価値観に無理やり子どもたちを当てはめていくのではない。子どもを金平糖だとすると、悪い部分(とげ)を取っていくのではなく、良い面を見つけて余白・伸びしろを育てる発想が求められる。

学級の実態には幅がある

幅は精神年齢である。年齢×IQ=精神発達年齢となる。1年生でいうとIQ70の子どもとIQ130の子どもの発達年齢の差は4歳となる。年が上がるにつれてこの差は開いていく。ということは、クラスを「4歳から8歳までの年齢差がある集団」とみるべきなのである。こう考えると、そもそも足並みはそろはない。やはり、子ども一人一人ペースは違うと言える。

学習性無力感

何をやっても上手くいかない。できない。状態が続くとやる気がなくなってしまい、机に突っ伏したり行動を起こさなくなっていく。そんな時は、分かる・できるの状態を作るか、どうして上手くいかなかったのか考えなおしていく習慣を作っていくことが大事。
愛着障害の関係もあるかもしれない。学校・教室を安全基地にするために心がけることは、①目を合わせる②笑いかける③語りかける④触れ合う⑤感謝を伝える⑥前向きな言葉をかける⑦結果より過程を見る。
信頼関係をきづいていくために、①伝えたいことをキャッチする②伝えたかったことを言葉にする③言語化した「伝えたかったこと」を相手に返す。3つのステップが大切。子どもの内面を考えていく必要がある。

最後に

自分が印象に残ったところをまとめてみた。他にも職員室での教師同士の関係や「威圧的な教師」など、正直「なるほど。」と自分の経験からイメージできるようなことばかりだった。他にも教師のステージや指導スキル(ファシリテーションなど)も考えさせられるものだった。是非とも気になる方は読んでみて欲しい1冊である。

そして、今の自分の考えを改めて言語化してみたい。やはり、高圧的な指導は子どもにさほどメリットがないことが分かった。むしろ悪影響を及ぼしている可能性がある。子どもたちにかける言葉は、吟味していく必要がある。しかし、教師という仕事をしていて、子どもたちと勝負しなければいけないときもあるのではないだろうか。人としてそれはだめだと感じたとき、人を傷つけようとしたときなど伝えるべきことは伝えていかなければいけない。そうでないとその子にとって良くない。また、集団にとってもよくないのではないだろうか。今の学級において、なかなか指導が難しい状況にある。正直すこしきつめに言わないとまとまりがなくなると考えられる。さらに人数も多いことから一人一人を見ることは至難の業である。そこが教師の専門性の部分でもあり、授業改善によって変えていける部分でもあるのかもしれない。まだまだ、この職を続けている限り悩む問題だろうと思う。

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