大岡昇平の考え

大岡昇平が65歳で芸術院会員に選ばれた時、自分は太平洋戦争中に米軍捕虜になった。捕虜になるような人間は芸術院会員に相応しくないとして辞退した。このコメントは、しかし大岡の本心や言いたかったことの一部しか表していないのではないかと思う。大岡は昭和19年、35歳の中年兵士として召集されてフィリッピンに送られた。日本を悲惨な状況に追い込んだ軍部を憎んではいたけれど、自らその軍部の動きを阻止するような直接的行動に出たわけではない。そうこうするうちに自分が徴兵され、こうなっては最後まで祖国と運命を共にすると覚悟を決める。大岡は、この戦況下でフィリッピンに送られるのは潔く戦場で死ぬことだ、それが祖国と運命を共にすることだ、と考えた。しかし、敵兵に銃弾の1つも撃つことなく、手榴弾による自殺もままならず、マラリア禍の中で米軍に捕まる。そして収容所生活を経て日本に帰還する。この気後れ、戸惑い、恥ずかしさ、目的を果たせなかったことの失望、そして、それらと同時に、自分の愛する人々と再会できることの喜び、そうした諸々の感情が小説家大岡の心の中に常に渦巻いて存在していたのではないか。時に、国家の次元のものごとと個人の次元のものごとを同じような視点で考えることの違和感や恥ずかしさを抱きながら。

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