加藤智大の母親との修羅場

宮崎駿のアニメ映画「千と千尋の神隠し」という
作品をみなさんはご存じですか?

あの映画の中で、個人的に特に印象に残っているシーンがあります。

湯婆婆から
「お前の名前はなんというんだい?」
ときかれた主人公の千尋は

「千尋」

と、応えます。

即座に湯婆婆は
「千尋?」
「あんたにはもったいない名前だねぇ」
「今日から、お前の名前は千だよ!セン!」

そういうと、契約書の名前から
千尋という名前のうち
尋、の文字の部分がぺりぺりと剥がれ落ちていく有名なシーンがあります。

一方で
千尋が知り合った謎の少年、ハクは
「千尋は自分の名前を忘れてはいけない」と伝えます。

その一方でハクは自分自身の名前を忘れてしまっています。
最終的には千尋に名前を思い出させてもらって
アイデンティー復活!となるわけですが。

あのシーンは極めて示唆に富んでいると私は考えています。

「名前を奪われる」
「名前を忘れる」

というのはどういうことでしょうか?

あれは一つの比喩です。

「お前には無理だ」
と言われ続けると、
それが、あまりにしつこく言われつづけると
特に子どもの場合、本当にそうだと
思って、あきらめてしまうことが多々あります。

否定され続けてしまうと
本当に「自分はダメなんだ」「無理なんだ」
と、特に若い年齢の子たちは
信じ込んでしまいます。

そこで
それに屈してしまうと
あとはひたすら相手の奴隷として隷従するしかないわけです。

というか隷従させるために
ひたすら、しつこく、そういう言葉を
浴びせていることのほうが多いわけですが。

加藤智大の家庭は典型的なそういう家庭の子でした。

学力的には青森高校に十分合格できる子なのに

とにかく自己肯定感が低い子というか
親がひたすら我が子を否定しつづけて罵倒している家庭の子というか。
それで親本人は
「教育熱心なアテクシって素晴らしい」
って自分自身に酔ってて
タチが悪いというか。

勉強を教えているぶんには問題なかったのですが
若輩ながら
どうしてもそこら辺のことで合点がいかず
衝突することになりました。

加藤智大の母親は、そこで
いかに我が子のことをおもっているか
いかに我が子の将来を案じているか
自分こそが我が子の最大の
理解者であるか

を延々と語り始めるわけです。

そこまでは、よくある教育ママの風景なのかもしれません。

ついつい私はストレートな質問をぶつけました。

「あなた、自分が我が子の最大の理解者だっていいましたよね?」

「では、ききます」

「この子の好きな色はなんですか?」
「この子の好きな映画はなんですか?」
「この子の好きな食べ物はなんですか?」
「この子の好きなアイドルは誰ですか?」

加藤智大の母親は何一つ、こたえられませんでした。
表情は険しくなる一方です。

かまわず私は質問を続けます

「この子はラーメン、みそ、しお、しょうゆ、どれが好きかしってますか?」
「この子が、あこがれてる有名人って知ってますか?」
「この子が将来、なんの職業になりたいか知ってますか?」

そこで加藤智大の母親はブチギレます。

「そんなことはどうでもいいの!
あなたはウチの子を青森高校に合格さえさせればいいの!」

この人は自分の子が
何を考えていて
何を望んでいて
何をめざしているのか

そんなことには全く興味がないのだな、とそのとき確信しました。

この人はただ、ひたすら
自分の子を
自分の欲望を実現するための手段として
利用しているだけに
すぎないのだな、と。

そこらへんのことを指摘して
加藤智大の母親に
「あなた、それで我が子のことを思ってるとか言ってて
恥ずかしくないですか?」

と、どストレートに意見したら
ものすごい剣幕で逆ギレされました。

ほどなく
私はクビを宣告させるわけですが

苦い経験ではあるとともに

なぜかわが身のことと重なる部分もあるな、と
当時思いました。

もう20年前以上前の話です。

それからしばらくして私は弘前大学を中退しました。

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