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【2人用声劇台本】砂浜は今日も凪いでいるか

この作品は、声劇用の台本として執筆したものです。
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文学オタクの女学生、白砂 由佳(しらすな ゆか)は、ひょんなことから人気作家、真並 凪(まなみ なぎ)に出会う。
凪に憧れ、惹かれていく由佳だったが、凪にはある秘密があり……。
これは、文学に救われた二人の物語。

【上演時間】
約40分

【配役】
・由佳(♀):白砂 由佳(しらすな ゆか)。文学オタク。凪の大ファン。
      ※性別変更不可(演者の性別不問)

・凪(♂):真並 凪(まなみ なぎ)。人気作家。まるで別人が書いたかのように、作品によって作風が違う。
     ※「コウ」「フウ」「カイ」と兼役
     ※性別変更不可

※スペシャルサンクス:是(kore)様 (表紙作成)


【読者と作者】


由佳:その人は、波のような人だった。
由佳:あるときは船が渡ったように荒く。
由佳:あるときは風が吹いたように軽やかに。
由佳:あるときは海が広がるようにうねり。
由佳:そしてあるときは、
由佳:凪(な)いだように静かだった。

凪:(タイトルコール)『砂浜は今日も凪(な)いでいるか。』



由佳:「はぁーっ…この本すっごく面白かったなあ。待ちきれずに公園で読み始めたけど、ついつい最後まで読んじゃった…。」
由佳:「それにしても、今日は風が強いな。…あっ!栞が……。」

(栞が風で飛ばされる。それを真並が拾う)

凪:「あの…これ。」

由佳:「ああ、ありがとうございます。すみません、風で栞が飛ばされちゃったみたいで…へ、へくしょんっ。」

凪:「ふふっ…読書に勤(いそ)しむのは結構ですが、寒気(かんき)が次第に厳しくなってくる季節です。お風邪を引かれないよう、ご留意ください。」

由佳:「そうですね。本も読み終えたので、今日はそろそろ帰ることにします。」

凪:「おや、その書物は…」

由佳:「あ、これですか?今話題の人気作家、真並凪(まなみ なぎ)先生の新作、『無機質な世界より、アイをこめて。』です。」
由佳:「私この先生の大ファンで、いつも新刊がでたらすぐに読んでいるんです。」

凪:「…それほどに興味深いのですか?その作家の書(しょ)は。」

由佳:「ええ。なんだか他の作家とは、作品の雰囲気が違うんですよ。」

凪:「どのように異なるのか、借問(しゃもん)してもよろしいですか?」

由佳:「例えるなら……そう、波のようだと思いました。」

凪:「波?」

由佳:「はい。作品によってガラッと雰囲気が変わるのはもちろん、出てくるキャラクターも個性豊かで、一人の人間で書いているとは思えないくらいです。」
由佳:「そんな変化の仕方が、姿かたちを変える波のようだと、そう思います。その波が、私には心地良く感じるんです。」

凪:「…なるほど、参考になります。ありがとうございます。」

由佳:「あ、良ければお貸ししましょうか?」

凪:「ですが、それはあなたにとって大事な品物なのでしょう?」

由佳:「私はもう読んでしまいましたし。それに、保存用と観賞用にもう二冊買っているので、問題ありません!」

凪:「ふふっ…お見逸(みそ)れいたしました。ご厚情(こうじょう)痛み入ります。ですが、それには及びませんよ。」

由佳:「どうして、ですか?」

凪:「それは私が……あの、どうされましたか?」

由佳:「いえ、ちょっと、頭がクラクラして、て……あっ…」

(由佳、ふらついて倒れる)

凪:「え、あの、大丈夫ですかっ。…っ!すごい熱だ……。」
凪:「…私がなんとかしますから、少し辛抱してくださいね。」


由佳:「う、うーん…。」

凪:「あ…気が付かれましたか。良かった…。」

由佳:「あの、ここは……?」

凪:「私の自宅です。粗末なアパートで恐縮ですが、あのまま放置しておくわけにもいかなかったもので…。」

由佳:「ああ、そうか。私、風邪を引いて倒れてしまったんですね。すみません、ご迷惑をおかけしてしまっ…へ、へくしょんっ。」

凪:「いえいえ。こちらこそ、こんな場所に連れ込んでしまって申し訳ありません。…あの、その。念のために申し上げておきますが…ふしだらな行為は何一つしていませんので。」

由佳:「ふしだらな行為…?…あっ…!」(顔を赤らめる)

凪:「いえ、あの、本当に、なんらやましいところはありませんから…。」

由佳:「わ、分かってますよ。…あなたはそのようなことをする方には見えませんから。」

凪:「信用していただけてよかったです。休んで体調が回復されたら、ご自宅までお送りしましょう。さすがに一晩ここで過ごすわけにはいかないでしょうから。」

由佳:「そうします。お気遣い、ありがとうございます。」


(ドアをノックする音)

凪:「はい…。あなたは、この間の…。」

由佳:「えーっと、こんにちは。以前助けていただいた、白砂由佳(しらすな ゆか)です。」

凪:「こんにちは。体調は、その後いかがですか?」

由佳:「お陰様で、もうすっかりよくなりました。そのお礼に、お菓子を持って来たんですけど…。」

凪:「そうでしたか。わざわざご足労(そくろう)いただき、ありがとうございます。立ち話もなんですから、ご一緒にお茶でもいかがですか?」

由佳:「え、いいんですか?では、おじゃまします。」

由佳:「……それにしても、随分たくさんの本がありますね。」

凪:「ええ、まあ…職業柄どうしても必要になりますから。」

由佳:「へえ、そうなんですか…。あっ!真並先生の本もたくさんありますね。」

凪:「…一応すべて保管するようにはしていますから。」

由佳:「もしかしてっ。あなたも真並先生のファンなんですか?」

凪:「いいえ。ファンではなく…本人です。」

由佳:「…え?」

凪:「申し遅れました。私、しがない作家をしております、真並凪と申します。」

由佳:「え、えええええぇぇぇ!?」

凪:「あの…近隣の方のご迷惑になりますので、もう少し声量を抑えていただけると…。」

由佳:「だって、あ、あなたがあの…真並凪先生だなんて…。…信じられない…こんなすぐ近くにいるなんてっ…。」

凪:「信用に値しないということであれば…これまでの作品の原稿を見ていただければ、信じていただけますか?」

由佳:「こ、これって、なななな、生原稿ですかっ!?」

凪:「はい、そうですが?」

由佳:「ひええええええーーーーーーっ!」

凪:「ですから、近隣の方のご迷惑になりますので…。」

由佳:「わざと言ってますか?憧れの先生を目の前にして、声を上げるなと言う方が無理な話ですよっ。」

凪:「あなたが私のことをそれほどまでに敬仰(けいぎょう)してくださっているとは思いもしなかったものですから。」

由佳:「はあ……なんだかすごく疲れました。」

凪:「お茶が入りましたから、どうぞ召し上がってください。」

由佳:「ありがとうございます…。(お茶を飲む)…はあ…本当に、夢みたいです。」
由佳:「あの、真並先生。」

凪:「はい。なんでしょうか。」

由佳:「また、遊びに来てもいいでしょうか。お仕事のじゃまにならないようにしますから。」

凪:「…このような陋居(ろうきょ)へいらっしゃっても、面白くもないでしょう。」

由佳:「構いません。私は先生を近くで見ていたいんです。」

凪:「私に構う必要はありません。それにあなたは女性です。私のような一人暮らしの醜男(ぶおとこ)のところへ来るのはやはり問題があります。」

由佳:「構いません。私、先生に会えるなら、何でもします。」

凪:「(ため息)……女子大生を主人公にしたラブストーリーを執筆しようと思っているところなのです。あなたさえよければ、リアルな女子大生の声をお聞かせいただけませんか。」

由佳:「え、それってつまり…」

凪:「また、ここへ来ていただけますか?」

由佳:「…はいっ!もちろんです、真並先生。…いえ、凪先生とお呼びしてもいいですか?なんだかそっちの方がしっくりきちゃって。」

凪:「…ご自由にどうぞ。白砂さん。」



凪:「…なるほど。では、このシーンは修正することにしましょう。」

由佳:「ええっと…こんなの、参考になりますか?ただ感想を言ってるだけなんですけど。」

凪:「大変参考になります。現役女子大生の声を反映することでキャラクターとストーリーにリアリティーが出ますし、読者の反応を知ることでどのような展開を所望しているのか把握できます。」

由佳:「そう言われると、なんか照れますね。…そういえば、先生は出来た原稿を見せるだけで、書く様子は見せようとしませんよね。なぜですか?」

凪:「執筆する様子を見られるのは気恥ずかしいのですよ。食事する様子を見られるのが恥ずかしい感覚に酷似(こくじ)しています。」

由佳:「あー、たしかに食べてるところって本能がむき出しになってる感じがして、見られるのは恥ずかしいですよね。」

凪:「ええ。…それより、お陰様で無事に作品は完成しそうです。」

由佳:「そっか、もう凪先生に会えないってことですよね。…寂しいです。」

凪:「そのようなことばをかけられたのは初めてかもしれません。社交辞令であったとしても、驚喜(きょうき)してしまいます。」

由佳:「私、先生が小説を考えているところを見て、ますます尊敬しました。先生のような素敵な作家にいつかなれたらなって、最近そればっかり考えてるんです。」

凪:「作家というのは、それしかやれることがなくて、それにすべてを賭けられる者だけがなれる職業です。」
凪:「…あなたはまだうら若い乙女だ。作家という珍しい職業に対して抱いた興味を、憧憬(しょうけい)と取り違えたのでしょう。」
凪:「もうここへはいらっしゃらいない方がいい。私はあなたに悪影響を与えてしまったようです。」

由佳:「そんなこと言わないでください。私は凪先生に救われているんです。たまにでもいいんですっ…また、来てはいけませんか?」

凪:「…いいでしょう。」

由佳:「本当ですかっ。」

凪:「ただし、条件があります。この作品を通読なさってください。」

由佳:「『留学』…遠藤周作ですか。」

凪:「はい。その書籍は差し上げます。この小説を読んでも来たければ、またお越しください。」

由佳:「分かりました!必ずまた来ますから。待っていてくださいね。」

凪:「はい…お待ちしています。」

(由佳が出ていく)

凪:「…白砂さん。あなたは私のことを四分の一…いや、四分の一すらも理解出来ていないのですよ。分かっていますか?」

【航(コウ)】


(ドアをノックする音)

コウ:「うっせーな…ん?テメーは…」

由佳:「凪先生、お久しぶりです。この本、読んできました!」

コウ:「…まさか本当にまた来るなんてな。テメーも物好きなヤツだな。」

由佳:「あの…凪先生、ですよね…?」

コウ:「あーあ、どうすんだ、コレ。ナギのヤツ、めんどくせーことばっか俺に押し付けやがって。」

由佳:「あの、凪先生。どうしたんですか?何かあったんですか?」

コウ:「…まあいーや。とりあえず、中に入れよ。」

由佳:「あ、はい。おじゃまします。」

コウ:「…で、なんでまた来た?」

由佳:「この本を読んでも、凪先生に会いたいと思ったからです。」

コウ:「そのナギ先生って呼び方はやめな。俺は「コウ」だ。」

由佳:「え、だって、どっからどう見ても、真並凪先生ですよね?」

コウ:「見た目はな。俺はお前が知ってるナギ先生とは同じようで違う。違うようで同じなんだ。」

由佳:「どういうことですか?回りくどくて意味がよく分かりません。」

コウ:「…多重人格なんだよ。俺たちは。」

由佳:「多重、人格。」

コウ:「ナギはな、ガキの頃から周りの目ばっか気にして生きてきた。親が離婚してたことが大きかったんだろう。そんで、周りの求められるキャラになりきるようになった。陽気に話しかけたり、静かに愛想よく話を聞いたり、無理に甘えたり、威厳を見せるためにイキったり…。」
コウ:「そういうことを繰り返しているうちに、ナギは自分以外に三つの人格を作った。その一つが俺ってわけ。小説も作品によって俺たちで割り振って書いてるんだぜ?」

由佳:「たしかに先生は作品ごとにガラッと雰囲気も変わりますけど…。」

コウ:「書いてるとたくさんの自分が溢れてくる。そんな自分と向き合いながら物語を書く辛さは、書かねえヤツには分からねえ。その本にも書いてあったろ?」

由佳:「作中に出てくる作家の台詞のことですね。」
由佳:「『創らない者に、創る者の哀しみや苦しさがわかるかと言うことだよ』」

コウ:「そのとーり。」
コウ:「お前に分かるか?一文を書くことにどれだけの意味を込めてるのか。」
コウ:「どれだけ、自分の感情を取り出して、ヤケドしてるのか。」
コウ:「どれだけ、いつか自分が自分ではない自分になってしまうんじゃねーかって不安にかられてるのか。」
コウ:「どれだけ、自分を理解出来ないことが恐いのか。」

由佳:「それは…」

コウ:「俺の気持ちを分かりて―と思うなら、まず小説一本でも書いて同じ土俵に立ってみろ。憧れの作家に会って舞い上がったのか知らねーけど、簡単に作家に憧れるなんていうな。すげー腹が立つ。」

由佳:「そのときの気まぐれで言ったわけじゃありません。私は、真剣に作家業に打ち込む先生を本当に尊敬しています。」

コウ:「あーもうめんどくせーな!何回も言わせんな。作家なんてのは、他に何も出来ることがないヤツがやるんだよ。」
コウ:「周りから「キャラが変わり過ぎて気持ち悪い」とか「八方美人気取ってんじゃねー」とか「お前には自分というものがないのか」とか、そういうこと言われたことあるか?」
コウ:「そんなこと言われるようなヤツが……小説の中にしか居場所のないヤツがやることなんだよ。」
コウ:「テメーにはまだいろんな道があるんだ。作家に憧れるなんてやめとけ。特に、俺みてーな小説家にはな。」

由佳:「……私は、そんな先生も素敵だと思います。」

コウ:「は?どこがだよ。気持ち悪いだけだろ。」

由佳:「それだけのたくさんの性格を表現できるって、相手のことを思ってどんなキャラにもなれるなんて、素敵じゃないですか。誰にでも出来ることじゃありません。」

コウ:「ふん、ものは言いようだな。」

由佳:「それに、それだけ悩んで書いているからこそ、心を動かすような作品になるんですね。納得しました。作家になるのはやっぱり私には無理そうです。」

コウ:「はあ…やっと気付いたか。おせーんだよ。」

由佳:「ですが、先生の側にいたいという気持ちは変わりません。また遊びにこさせてください。家事のお手伝いくらいはしますから。」

コウ:「いらねーよそんなの。お前なんかに頼らなくても、ちゃんと生活できてるっつーの。」

由佳:「前から気になってたんですよ。先生、ろくな食事をとっていませんよね。なんですか、流し台に溜まったカップ麺の山は!それに服もよれよれで、ちゃんとアイロンとかかけてないでしょう。掃除もテキトーですみっこにホコリが…」

コウ:「あーもう、分かった分かった!勝手にしろっ!」

由佳:「はい、勝手にします。そうと決まれば、買い出しに行ってきますね。」

コウ:「おう、行ってこい行ってこい。その方が騒がしくなくてすむ。」

由佳:「じゃあ、行ってきますね、コウさん。」

(由佳が出ていく)

コウ:「…はあ、俺には無理だわ。他のヤツに任せるとするか。」

【風(フウ)】


(ドアをノックする音)

フウ:「はーい、どなた…?あら、アナタは…。」

由佳:「先生、こんにちは。見てください。今日はお鍋の材料買ってきましたよ!」

フウ:「また来てくれたのね、由佳ちゃん。嬉しいわ。さ、あがってちょうだい。」

由佳:「はい、おじゃします。……あの、先生。もしかしてまた…」

フウ:「ええ、今はナギちゃんじゃないわ。ワタシはフウっていうの。」

由佳:「そうでしたか…。なんというかその、とても女性的ですね。」

フウ:「うふふ、まさか性別も変わったようになるなんて、思ってもみなかった?」

由佳:「正直、少し戸惑ってます。」

フウ:「んふっ、正直な子は嫌いじゃないわよ。よしよ~っし」(頭を撫でる)

由佳:「や、やめてくださいよ。子ども扱いしないでください。私はもう成人しているんですから。」

フウ:「あら、ワタシからすれば、アナタはまだまだおこちゃまよ。分からないことや知らないことがたくさあるでしょう?」

由佳:「それはもちろん、ないことはありませんが……言うのは恥ずかしいです。」

フウ:「どれどれ、お姉さんに言ってごらんなさい。これでも一応作家なの。少しは教えられることもあるかもしれないわ。」

由佳:「じゃあ…恋って、愛って、なんですか?」

フウ:「え?」

由佳:「私にはそもそも、感情がないんです。喜怒哀楽が分からないんです。」

フウ:「分からないって、いつも明るくて元気じゃない。ナギちゃんよりよっぽど感情豊かだわ。」

由佳:「こうしていられるのは、先生の前だけです。普段は何も感じないんです。無表情で、口を開くこともほとんどありません。」
由佳:「友達と笑うことも、ドキュメンタリー映画を見て泣くことも、後輩からのプレゼントに喜ぶことも、家族と喧嘩して怒ることもないんです。」
由佳:「…私のあだ名知ってます?アンドロイドですよ。」

フウ:「…ワタシの前では明るくいられる、というのは、どういうこと?」

由佳:「先生の作品に、救われたんです。何も楽しいことなんてなくて、周りが何に喜んでも悲しんでも、私はちっとも共感できなくて。ワクワクするなんてこと、ありませんでした。辛いだけした。」

由佳:「けど、先生の作品を読んで初めて、心が動かされたんです、感情が芽生えたんです。ワクワクして、楽しくて、悲しくて、驚いて…そんな当たり前のことを教えてくれたんです。」
由佳:「そして先生自身に対しても、この人は自然に私の心を動かしてくれると、そう思ったんです。それが、心地よく思いました。」

フウ:「作家としてそう言ってもらえるのは光栄なことだわ。」

由佳:「最近、考えることがあって。私が先生の作品や先生に感じているのは、恋とか愛とか、そういうものなんじゃないかって…。好きってこういうことなんじゃないかって。」

フウ:「きっといつか、アナタにも恋や愛を感じられる人が出来るわ。焦る必要はないわよ。」

由佳:「そうでしょうか。」

フウ:「ええ、きっとね。…けれど、それはワタシじゃない。」

由佳:「どうしてそんなことが分かるんですか?」

フウ:「アナタはただ、ワタシの作品やワタシ自身に依存することで、辛い現実を忘れたいだけ。」
フウ:「なんで作家って職業が成り立つほど、小説を読む人がいるのか、考えたことある?皆、辛い現実から逃げたいからよ。忘れたいからよ。その延長がネットやSNSになっているわけだけど…今はどうでもいいわ。」

フウ:「アナタはナギちゃんのファンだって言うけどね。それはナギちゃんが夢を見せてくれる都合のいい存在だから。お母さんに甘えてる小さなこどもと同じよ。」

由佳:「そんな…そうだとしたら、私、ただ自分勝手に甘えてるだけじゃないですか…。」

フウ:「あら、作家は夢を見せるのが仕事なのよ。どんな夢を見ようと、それを咎(とが)めるつもりはないわ。」

由佳:「…じゃあ、もう少しだけ、夢を見てもいいですか?」

フウ:「ええ。夢を見るといいわ。そして悩むといいわ。恋とは、愛とはなんなのかを、ね。それが分かったら、教えてちょうだい。」

由佳:「…ありがとうございます。やっぱり、先生と話していると落ち着きます。」

フウ:「ならよかったわ。」
フウ:「ところで…アナタ、漱石の『こころ』は読んだことあるかしら?」

由佳:「もちろんです。近代文学作品を挙げろと言われたら、真っ先に挙げられる名作です。」

フウ:「じゃあ、この台詞も知っているわよね。」
フウ:「『然(しか)し……然し君、恋は罪悪ですよ。解(わか)っていますか』」

由佳:「はい。有名な一文です。」

フウ:「アナタはこの一文を知識として学んではいても、本当の意味を理解できていない。」

由佳:「どういう、ことですか?」

フウ:「アナタはナギちゃんが好きかもしれないっていうけれど…好きというのはそう簡単に出していいことばじゃないのよ。」

由佳:「何が言いたいんですか?」

フウ:「ワタシなら、いつでも本当の恋を見せてあげられるってこと。罪悪になるほどの、ね。」

由佳:「ち、近いですよっ。からかうのはやめてください。」

フウ:「あら、残念。フラレちゃった。」

由佳:「もう…近くのコインランドリーで洗濯してきます。洗濯ものはこれだけですか?」

フウ:「ええ、いつもありがとう。」

由佳:「じゃあ行ってきます、フウさん。」

(由佳が出ていく)

フウ:「…ふう、いつまでごまかせるかしら。」
フウ:「アナタは知らないでしょうね。」
フウ:「自分自身のことすら知らない人間が、誰かから愛されることは。誰かを愛することは。」
フウ:「罪悪に他ならないのよ。」

【海(カイ)】


(ドアをノックする音)

カイ:「……はーい、どちら様―?」

由佳:「先生、こんにちは。…あれ、もしかして…」

カイ:「お、さすがに察しがついたね。僕もナギじゃないよ。カイって言うんだ。ま、上がんなよ。」

由佳:「やっぱりそうだったんですね…おじゃまします。」

カイ:「…僕が君に会うのは初めてだけど…よくもまあ飽きずに来るよね。根暗だし、色んな人格見せられるし、気持ち悪いでしょ。」

由佳:「そういうところも含めて、ワタシは先生を尊敬していますから。」

カイ:「ふーん、尊敬、ねえ…。」

由佳:「先生の波のような作品に救われて、それで、私は先生を理想としてきたんです。作品の世界観も、出てくるキャラクターも、作品の根底にある価値観も、後書きから感じる先生のマジメで柔らかい性格も。先生は、私の指針であり目標です。尊敬しています。」

カイ:「じゃあさ、僕のためなら、何でもしてくれる?」

由佳:「それはもちろん、私に出来ることであればなんでもやりますよ。」

カイ:「…そう……。」
カイ:「僕たちってね。書いてる作品によって入替わってるんだよ。」
カイ:「ナギは暗い純文学。」
カイ:「コウは戦記物とか歴史物とか。」
カイ:「フウはラブストーリー。」
カイ:「そんで俺はミステリーもの担当なのよ。…特に、凶悪な殺人鬼が出てくる、ね。」

由佳:「殺人鬼…?」

カイ:「作品を書くには、リアリティーって重要でしょ?けどさ、僕は人を殺したことなんてないから、やっぱり殺人犯の心情にはなりきれないわけ。」

由佳:「…やだ、ちょっと、こっちに来ないでください。」

カイ:「ひどいなあ、尊敬してるんでしょ?」
カイ:「だったら…僕のために、死んでくれるよね?」

由佳:「そのナイフ…どうするつもりですか?」

カイ:「んー?喉をかっ切って、それからありとあらゆる関節を少しずつ切っていくよ。」
カイ:「指の関節、手首、肩、足首、膝、太もも…みたいな感じでね。尊敬するナギ先生の資料になれるなんて、夢のようでしょう?」

由佳:「……」

カイ:「どうしたの?喜びのあまり、声も出ない?」

由佳:「……分かりました。」
由佳:「…先生のためになるのなら、死んでも構いません。」

カイ:「…へー、意外と度胸あるじゃん。」

由佳:「真並凪先生の作品を読むこと。それが、私の生きる意味なんです。」
由佳:「だから、先生の作品が死ぬ意味になるのなら、本望です。」
由佳:「そして、今気付きました、この気持ちは、きっとただの尊敬じゃない。」

カイ:「ハハハッ…僕たちもそうだけど、君もそうとう狂ってるね。君、きっとその気になればいい小説家になれるよ。来世で…ねっ!」(ナイフを振りかざす)

由佳:「…愛してます、先生っ……」

(間)

凪:(少し苦しそうに)「…はあ…はあ……手を、出さないで…いただけますか…。彼女は、私の熱狂的な…読者なのですから。」

由佳:「凪…先生。」

凪:「恐い目に遭(あ)わせてしまって、すみません。」
凪:「……分かったでしょう。私の側にいると危険が伴います。いつまたあなたに襲いかかるか分かりません。今のうちに、お逃げなさい。」
凪:「そして、もう…二度とここへ来ては、なりません。」

由佳:「…そんな、だって私は…先生のことが……」

凪:「それ以上…言っては、なりません。私は人を愛する…ことも、人から…愛されることも、許されぬ人間です。」

由佳:「ご自分を卑下するのはやめてください。私はどんな先生も受け入れて見せます。さっきの言動でそれを証明したはずです。」

凪:「きっとあなたはまだ、尊敬と恋慕(れんぼ)を履き違えているだけに過ぎないのです。」
凪:「私のことは忘れて、生きてください。きっと、私よりも素敵な人に恋をするでしょう。」

由佳:「忘れません…忘れられるわけがありません。もっとたくさん、凪先生と一緒にいたいです。先生の痛みも、苦しみも、すべて分かち合いたいです。」

凪:「……私に寄り添って苦しむあなたを、見たくはないのです。分かってください。」

由佳:「じゃあ、先生から見えないところで勝手に苦しみます。…作家として。」

凪:「作家として…とは?」

由佳:「コウさんが、前に言いましたよね?『俺の気持ちを分かりて―と思うなら、まず小説一本でも書いて同じ土俵に立ってみろ』って。」
由佳:「私、小説家になります。そして、今度は小説家として。凪先生にお会いしたいです。」

凪:「なぜ、あなたはそこまで……」

由佳:「先生のことが、好きだからです。」

凪:「念のために伺いますが…それは、作家として、ということですか?」

由佳:「いいえ、恋愛対象として、ということです。」
由佳:「お世辞だと言われても構いません。だけど、いじりとかからかいとかじゃないんです。心から、本心から、尊敬しています。先生。そして、大好きです。」

凪:「…いいでしょう。また小説家としてお会いできたら、そのときは交際を受け入れましょう。」

由佳:「本当ですかっ!嬉しいです!」

凪:「では、今日は祝福をしないといけませんね。新たな作家が生まれた日…誕生日なのですから。おめでとうございます、白砂さん。いえ、白砂先生。」

由佳:「はい、ありがとうございます。真並先生!」

【再会】


由佳:もしもあなたの心が荒波のように暴れだしたなら、私が砂浜になって受け止めましょう。

凪:もしもあなたの心が砂浜に溜まった砂のように踊らないなら、私が波と
なって、アナタの心を動かしてみせましょう。

由佳:大きくてゴツゴツした岩が、小さくて丸い石ころになってしまうまで、私は身を削る。

凪:砂浜が形を変えるまで、私は動き、吐き出す。

由佳:いつかあなたに届くと信じて。

凪:いつかまた、あなたに会えると信じて。



(ドアをノックする音)

凪:「…はい、どちら様ですか?」

由佳:「お久しぶりです…凪先生!」

凪:「ご無沙汰しております。白砂先生。」

由佳:「ちょっとやめてくださいよ。せっかくお付き合いできることになったんですから、下の名前で読んでくれてもいいんじゃないですか?敬語も禁止です。」

凪:「…そうですね。待ってたよ、由佳。愛してる


   《終》


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