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【短編小説】体内時計

この作品は、以下のお題『時計』に合わせて書いた短編小説です。

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 時計が壊れた。

 幾年もの歳月をともにした時計だったから、寿命だったのだろう。

 今の時代、体内時計が壊れることなんて電球が切れるくらいにありふれたことだ。人は誰しも体内に時計を内包している。そのような時代では。
 とにかく時計屋に行かなければ。すぐに検索をかけて、近所の時計屋を探す。思ったよりも距離がある。どうやら時計屋というのは私が想像していた以上にめっきり見ない職業になってしまったようだ。面倒くさいなと軽く舌打ちをして身支度を始める。
 
時計屋は時代から大きく取り残されたなりをしており、今にも崩れそうな瓦屋根の建物だった。「古賀時計店」と書かれた木製の大きな看板を掲げている。店先を覗くと、無用心にも中には誰もいやしない。

「すみませーん」
 
奥に向かって叫ぶと、ややあって一人の老人がヨタヨタと出てきた。この店の店主なのだろう。目はしょぼくれていて、足取りはおぼつかない。

「はいはい、おまたせしましたね。どうされました?」

「実は、体内時計が壊れてしまったようでして……」

「ほう……」
 
 店主は私を頭のてっぺんから足の爪先までゆっくりと品定めをするように見つめると、眉をひそめた。

「いいでしょう。治してさしあげましょう。では、さっそく体内時計を出しますよ」

 そう言うと老人は私に向かって血管の浮き出た小さな手を伸ばしてきた。私は少し体を強ばらせながら胸を開けて時計を取り出した。人工物と生身の肉体が混じりあった身体が何だか急に恥ずかしくなった。

 老人は体内時計を受けとると、今度は時計をしげしげと眺めだした。

「ふーむ、見事に止まってますなあ」

「はあ……」

「随分と年季の入った時計のようですが、誰かからの貰い物ですか?」

「ええ、まあ……」

「そうですか、よほど大切にされていたんでしょうなあ」

「分かりますか?」

「ええ。これでも時計屋ですから。時計の状態くらいは分かります」

 時計屋は「しばらく預かりますよ」と言って奥の作業台へと向かった。手持ち無沙汰に改めて店内を見ると、ところ狭しと時計が並べられている。小さな腕時計から大きな台のついた時計まで形は様々だ。ただひとつ共通していることといえば、どれもが針で時間を示すアナログ時計ということだろうか。今時アナログ時計なんて、珍しい。私も自分の体内時計以外でアナログ時計を見たことはほとんどない。

「今は時計といえばデジタル時計でしょう。アナログ時計なんて流行らない」

 時計屋は顔を上げてこちらを見た。なんと返したらよいのか分からず当惑していると、時計屋はゆっくりと続けた。

「アナログ時計は繊細で壊れやすいし、寸分のズレも許されない精巧な歯車が必要になります。そのような精巧な歯車を作るには、歯車を調整するには、何年も技術を磨いた職人が必要になるんです。要はコスパが悪いんですよ」
 
 なるほど。たしかにそうかもしれない。

「一方でデジタル時計は機械にプログラムさせればまず狂うこともないし、もし調子が悪くなっても電波を受信すればすぐに直ります。だから、一般的に体内時計にはデジタル時計が使われる」

 デジタル時計の方が信用できるイメージがあるのはそのためだろう。私もたまたまアナログ時計を使っているというだけで、どちらかというとデジタル時計の方が馴染みがある。

「今の時代、アナログ時計も、職人という職業も、ほとんど必要とされていません。今後もっと必要とされることは減っていくでしょう」

「何だか、悲しいですね」

 とってつけたような返事になってしまったが、そのような模範解答のような当たり障りのない回答しか、私は持ち合わせていなかった。

「昔はよかった、なんて老いぼれの戯言だと言われるのは分かっています。でもね、やっぱり寂しいですよ。人の手に触れる機会がどんどん減ってしまっているようで……」

 時計屋は手を止めることなくそう言った。目を細めたのは、時計の細かい部品を凝視しているからなのか、それとも人間の温かさを忘れていくこの世を憂いているのか。私には分からなかった。

「昔は今と違って全身生身の人間が大半だったし、人の手によって作られたものが溢れていたし、人と人の距離も近かった。命と命の距離が、近かったんだ」

 命と命の距離。たしかに、近かった。近すぎたともいえる。胸が空っぽになったような空虚感。これはきっと体内時計を取り出したせいではないだろう。

「……差し支えなければ聞いておきたいのですが、この体内時計、いつどこで……いや、誰から譲り受けたのか、お聞きしてもよろしいですかな?」

 普通ならば、こんな嫌悪感を抱く問いに答える気になどならない。けれども、この老人の声にはそんな自分の都合などどうでもいいと思えるほどの切実さが滲み出ていた。

「戦場です」

「……」

「戦場で、ともに戦った仲間から譲り受けました」

「……戦った、と過去形なのは、つまり。そういうこと……なのですね」

「…………はい」

 今から十数年前。世界大戦が起こった。人類史上、最低最悪の、醜い戦争だった。そんなとき、兵士として戦場へ向かう最中で出会ったひとりの若い男がいた。彼はいつも明るく、仲間思いの優しい男だった。

--おい、これを見てくれよ。
 彼はいつも自分の体内時計を見せびらかしては自慢していた。

--なんだよ。今どきアナログの体内時計なんて、古臭いな。
--そんなことねえよ。ほら、この針なんて細かく動いててカッコいいだろ? 生きてるって感じするだろ?
--よくわからん
 私は彼の自慢話を真面目に聞くことはなかった。もう、聞くことができないと分かっていれば、ちゃんと聞いていただろうか。

--これさ、親父が作ったんだ。
--へえ。
--俺、将来は親父みたいな時計職人になるんだ!
--呑気なヤツだな。死ぬかもしれないってのに、そんな先のこと考えてるのか。
 冗談でそう言ったつもりだったのに、彼は真面目な顔で言った。

--死ぬかもしれないからこそだよ。未来に希望を持たないと、生きていけないだろう?

 その直後私たちは出撃命令に従って戦場へ出た。私たちが送り込まれたのは激戦区で、私は片腕を失った。そして彼は、命を失った。
 遺留品として唯一見つかったのは、彼が自慢していたあの体内時計だった。親族の連絡先も分からないとのことだったので、私はその体内時計を譲り受けたのだ。


「ありがとう」

 黙って話を聞いていた時計屋は、黙って一言そういった。

「別に、あなたに謝られる筋合いはありませんよ」

「いや、ありますよ」

「どういうことです?」

「この時計の製作者が、私だからですよ」

 時計を撫でながら時計屋は呟いた。

「え、それってつまり……」

「ええ。その彼の父親が、私なんです」

「そんな、まさか……」

「ほら、見てください。ここにイニシャルが彫ってあるでしょう。S.K……古賀進一って」

 時計屋は体内時計を裏返して見せると、たしかにそこにはイニシャルが彫られていた。

「こんな古臭い家なんてって口では言ってましたが、本当は、継ごうと思っていたんですね、息子は……」

「はい。口うるさいけど、自分の仕事に誇りを持っている、カッコいい親父だって言ってましたよ」

「そうか、そうか……」

 時計に涙が落ちる。まるで時計が泣いているようだった。

「戦争が終わって、たくさんの人の体内時計を見てきました。時間が止まった人、狂っている人、針が壊れている人、様々でした。時計を見るだけで、その辛さが伝わってきました」 

 身体や心の一部を機械化することが当たり前になったのは戦後のことだった。私も今では機械と人間の割合が分からないほどに機械化してしまっている。

「私も同じだったんです。私も、あのときから進めずにいるのです。それを、あなたが動かしてくれた。……本当に、ありがとう」

 時計屋は愛情を持った眼差しで時計のネジを巻いてくれた。

「さあ、直りましたよ。中へ戻しましょう」

「でも、それは息子さんの形見でしょう? だったらあなたが持っていた方が……」

「いえ、私はもう大丈夫です。この時計は、あなたに持っているべきだ。息子も、その方が喜ぶ気がするんです」

「でも……」

「お願いします。息子を生きさせてあげてください」

 老人はペコリと頭をゆっくり下げた。

「分かりました。ではまた、来ますね」

「はい、いつでも、お待ちしておりますよ」

 そう言って優しい笑顔で老人は見送ってくれた。彼も優しい笑顔をしていたなと思ったら、体内時計がドクンと高鳴った。


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