【短編小説・1人用朗読台本】無機質な世界より、アイをこめて。 ①Money
この作品は、声劇用に執筆したものです。
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ある日、世界は私だけを残して、止まってしまった。
これは決して比喩ではない。文字通り、止まったのだ。
当たり前のように、目を覚ますと止まっていたのだ。
これは、そんな世界で生きた、一人の愚かな人間の手記である。
『あなたの夢は、なんですか?』
【上演時間】
約10分
【配役】
私(男):この手記の書き手。時間が泊まった世界に生きている。
※性別変更可
店員(女):スーパーの店員。貧しい学生。逆境にも負けない明るさと優しさを持っている。
※性別変更不可
※私と兼役
※このシナリオはシリーズ台本です。単体でもお楽しみいただけますが、シリーズを通してご覧いただいた方が、より楽しめるかと思います。
私:ある日、世界は私だけを残して、止まってしまった。
私:これは決して比喩ではない。文字通り、止まったのだ。
私:当たり前のように、目を覚ますと止まっていたのだ。
私:これは、そんな世界で生きた、一人の愚かな人間の手記である。
私:目が覚めると、私は自室らしき一室の壁に半身を預けたまま寝ていた。
私:なぜ「らしき」などという推定表現を使ったのかというと、私には自身
に関する一切の記憶がなかったからだ。いわゆる、記憶喪失と呼ばれる状態である。
私:視界が霞(かす)んでいる。頭がズキズキと痛む。
私:重い体を起こしてゆっくりと起き上がり、洗面所で顔を洗う。冷たい水で頭の中まで洗うような感覚。少しだけ気分がよくなった。
私:珍しく朝食をとろうとして冷蔵庫を開けると、ろくな物がない。
私:気が進まなかったが、くたびれた服のまま外出することにした。
私:扉を開ける。そこには、灰色にどんよりと曇った空。そして静寂。
私:おかしい。初めてそこで違和感を覚える。
私:静かすぎる。音が一つも聞こえない。なんだか薄気味悪い。
私:そして、おそるおそるあたりを見回して、その静けさの原因に気付いた。視界に映(うつ)る人々全員が、マネキンのように静止していたのだ。
私:時計を見る会社員。子どもを自転車に乗せて漕いでいる女性。ランニングをしている初老の男性。笑いながら通学している二人の女子学生。レコーダーの一時停止機能を使ったかのように、まばたき一つもせずに止まっている。
私:なにかの間違いだ。なにかの冗談だ。こんな異常なことが起こるわけがない。
私:時計を見る会社員に近付き、声をかける。
私:――あの…
私:緊張して、声がうわずった。ちゃんと届いただろうか。
私:男は微動だにしない。
私:――あの…!
私:もう一度声をかける。
私:やはり、男は微動だにしない。
私:焦る気持ちが強くなる。男の肩に触れて揺さぶる。
私:やはり男はされるがままで、自分の意志で動こうとはしない。
私:――誰か…誰か!誰かいませんか!聞こえているなら返事をしてください!
私:必死に声をあげて、走って、手当たりしだいに声をかける。体を揺さぶる。それでも、声は返ってこない。反応はない。
私:すぐに私は疲れきってしまい、惨めな気持ちでトボトボと歩き、帰宅した。
私:これはきっと夢だ。そうだ、悪い夢だ。私はきっと疲れているんだ。少し休めば、すべてもと通り。いつものように世界が回っているに違いない。そうだ、そうに違いない!
私:私は自分にそう言い聞かせると、布団を敷いて横になった。
私:目を閉じると、自然と落ち着いてきて、すぐに睡魔に襲われる。私はそれに逆らうこともせず、されるがままに、身を任せた。
私:目が覚める。直感で思う。
私:止まっている。やはり世界は止まっている。
私:カーテンを開け、窓から外を見ると、そこから見えるものは、淀んだ空と、止まった人々。
私:あれからどれだけ眠っていたのか判然としないが、状況はまったく変わっていなかった。
私:無力感。虚脱感。虚無感。それらすべてが私を支配する。力が抜け、床に座り込む。
私:これからどうすればよいというのだろう。こんな世界で一人、誰も動かない世界で。
私:そう、誰も動かない世界で。一人だけの世界。一人だけの。私、だけの……
私:――……ふふっ。ふふふふ…。ははははっ!
私:ああ、なんということだろう!こんな異常な状況だというのに、私の鼓動は、たしかに高鳴っていた!
私:誰も動かない。それは、誰にも干渉されないということではないか。こんな世界を私は望んでいたのではないか。何も悪いことではない。この世界で、私は好きに生きていけばよいのだ。ここが、私の生きるべき場所なのだ。
私:そこで急に空腹を覚える。ああ、こんな世界でも私はたしかに生きているのだな。こんな非常事態でも呑気にいつも通りに鳴る腹がなんだかおかしくて、また少し笑ってしまう。
私:そうか、何も食べていなかった。とりあえず何か買いにいかなければ。ぼんやりと考えながら、私は外へ出た。
私:歩き回って、スーパーを発見する。
私:店内の客も店員も、やはり止まっている。
私:陳列されている食料品には、肉や魚などの生鮮食品を含めて、異常はなさそうだった。とりあえず、当面の間の食料をカゴに詰め込んで確保する。
私:レジを通るとき、無意識に財布を出してしまい、ハッとする。貨幣など、ただの金属の塊に過ぎなくなってしまったのだ。
私:商品の価値を保証する者も自分の価値を保証する者ももういないと悟る。こんな不確かなモノで将来に対する不安を抱えるなんて、バカげている。
私:レジで止まっていた女性に目が止まる。そこで蘇る記憶。
私:そう、私はこの女性を知っている。内気な私にいつも声をかけてくれた優しい人。母子家庭で貧しい中バイトをしていると、他の店員が話しているのを聞いたことがある。
店員:――私、貧しいから、大学にはいけそうにないんです。
私:不意に彼女の声が聞こえる。
店員:――でも私は、本当は大学に行きたいんです。
私:どういう話の流れだったかは思い出せないが、ある日彼女がそんなことを言い出した。
私:――……なぜ?
私:あまりにも真面目な顔で言うものだから、話すのが好きではない私もついついそう聞いてしまった。
店員:――私、本当はお医者様になりたいんです。それで、少しでも多くの人を救いたい。それが私の夢なんです。
私:彼女はそう言うと、恥ずかしそうに少し笑った。
私:――夢、か……
私:その単語は、私にとっては眩しすぎるものだった。思わず目を細める。
店員:――あなたの夢は、なんですか?
私:――私には、そんなものはない。
私:少し苛立ちを覚えて吐き捨てるようにそう言うと、彼女は少し驚いた顔をした。
店員:――そうですか。…いつか見つかるといいですね。
私:そう言って、彼女は、寂しそうに少し笑った。
私:そこで記憶は止まってしまった。改めて、レジに立って笑顔で接客をする彼女を見やる。
私:彼女は動かない。おそらく、もう動くことはない。夢を叶えることも、これから先の時間を生きることも出来ない。ここで止まってしまった。終わってしまったのだ。
私:この笑顔の下には、どれだけの苦悩が隠れているのだろう。
私:私には、そんな顔で笑うことなんてできない。
私:金よりも大切なものは確かにある。だが、それらを手に入れるためには、金が必要とされる。結局、金がモノを言うのだ。そういう社会だった。
私:金のせいで夢を叶えられないくらいなら、そんな社会など、このまま凍結させておいたほうが良いのではないか。どうせその夢が叶えられないなら、終わらせてあげたほうが良いのではないか。
私:そう思うのは、私のエゴだろうか。
私:そう思うのは、逃げることになるのだろうか。
私:そう思うのは、負け犬の遠吠えに過ぎないのだろうか。
私:……彼女は、こんな世界を望んでいるのだろうか。
私:考えても考えても、答えは出ない。
私:私は書店から医学書を拝借し、財布とともに彼女の手元に置いた。
私:――あなたが頑張るというのであれば、私はそれを応援しましょう。これは、あなたへの敬意だと思って、受け取ってください。…ただ、あなたは十分に頑張った。いつでも休んで良いのですよ。
私:彼女の顔に、そっと手が触れる。
私:私の体温が移った彼女の顔は、心なしか安堵したように見えた。
《続く》
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