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イカサマ #3

元壺振りとの対決

表通りから木戸をくぐり路地へ入る。
向かい合う棟割むねわり長屋の間を進み裏側へまわると、ただでさえ湿気ていた空気が淀み、足元はぬかるみ、これでは店子も苦労するだろうと顔を上げれば、そこは住居であることを放棄したような荒れっぷり。
男は立てかけられた板——これが引き戸であった——を横にずらして声をかけた。
ちゅうさん、久しぶり」
「……誰だあ?」
なかには白髪を肩まで伸ばした痩身の老人が、ひじをついて横になっていた。
「天才壺振り師に用があるんだが」
「助さんじゃないか。入れよ。酒は?」
「あとで必ず」
血走った目がぎょろりとふくを捉えた。
「客か?」
「はじめまして、ふくと申し……」
「『チョボイチ』は分かるか?」
「は、はい。ひとつの賽子を振って一から六の目を当てます」
「俺が振る。あんたが当てる。それだけでいい。これが壺だ。親父の形見の高麗茶碗だ」
居住まいを正した忠さんは、ひび割れた小汚い茶碗を得意げに見せたが、ふくにその価値は分からなかったし、小刻みに震えている手の方が気になった。
「入ります」
賽子を茶碗に投げ入れて畳に伏せる。
壺を素早く前後に動かし、ぴたりと静止した。
手だけでなく、まっすぐ伸びた背筋も、呼吸のたびに膨らむはずの胸も腹も一切が動きを止めた。
あまりの変わり様にふくは瞠目どうもくしたが、「五です」と落ち着いて答えた。
忠さんはほうっと息を吐き、ろくに確かめもせず、また賽子を茶碗に投げ入れた。
「五です」
「また、五です」
「五、ですね」
「五以外、出ないんでしょうか」
連続で同じ目が出て、ふくは揶揄からかわれているのかと訝しんだ。すると突然、忠さんが立ち上がり土間に茶碗を叩きつけた。
「帰れ!二度と来るな!」
ふくは驚きのあまり硬直した。
どうして怒鳴られているのか分からず、ころころと変貌する老人に困惑した。
砕け散った茶碗の欠片が土間の隅で成り行きを見ていた男の足に当たり、二人は追い立てられるように長屋を後にした。

「腕のいい壺振りというのは狙った目を出せるそうだ。忠さんはその点において天才だった。酒でしくじる前までは。今でもなぜか五だけは出せる。五しか出せない。おかしなもんだろ」
「あの賽子、細工が……」
「お、気づいたか?目方が均一じゃないのと角が少し削ってある。でも確実じゃない。というより、ほとんど影響してないんだが念には念をってやつだ」
「どうして怒ったんでしょうか」
「馬鹿にされたと思ったんだろ」
「お父上の形見を割ってしまうほど?」
「はっあんなもん形見でもなければ高麗茶碗でもねえ。屑屋くずやが扱いに困ってたから俺が引き取って忠さんにやったもんだ」
「ああ……」
「賭場には時々、常人には理解できない目や耳、勘の鋭さを持った奴がいるが、あんたもその一人のようだ。ふく、と言ったな。賭場へ行って何がしたい?金儲けか?」
「これが才ならば試してみたい、それだけです」
真意を探るような、それでいて得心がいく理由はこれ以上ないと思っているような、そんな眼差しが向けられた。
「俺は助蔵だ。さて、どこの賭場から攻めようか?」

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