コメントに触発されて・石丸元市長とコミュニケーション

miyaさんがコメントしました。

「コミュニケーションが苦手というより、政治的なコミュニケーションを廃して、ビジネスライクなコミュニケーションを取ろうとして、安芸高田市市議会の多くはそれに難色を示した、という理解だったんですが、違うのでしょうか。今までの根回しとかが必要な政治的コミュニケーション力に乏しいということなら、それは乏しくてよいのでは、と感じます」

miyaさんという方から、コメントをいただきました。大事だと思うので、感じることを書いてみます。

石丸元市長とコミュニケーション

4年間を見ていて

私は、石丸元市長と友だちでも同僚でもないので、あくまでも市長としての4年間を見てきての感想です。
石丸元市長は、まちの人たちと、笑いながら、相手の話に頷きながら、それはいいですねと言いながら、こうしたらもっといいですよと言いながら、話を進めていくことができません。だから、まちに出ずに、役所内で職員を叱り倒し、執務室でネットばかり見ていたのでしょう。

教わることが苦手ですね

ときどき、自分は「知らない」と言えない人がいます。自分が知っていることは一面でしかないのに、不思議です。人から話を聞き、別の視点で意見が出れば、自分の意見がどんどん分厚くなるのに、もったいないことですね。
石丸元市長は、人から教わることが苦手だというのが、コミュニケーションが苦手な原因のひとつではないでしょうか。

性格もあるけど若者のときの学びが少ないのだと思っています

これは前に書きましたが、地域や社会は若者を大人にする揺籃機能があります。大人の条件は、①自己形成的自立、②経済的自立、③社会的自立ですが、石丸元市長①と③が著しく欠如していると感じています。①と③は、子どものときの地域や社会とかかわりが大きく作用するとされています。
石丸元市長が、東京都知事になったら、石丸元市長の①と③に関する本格的な研究が行われるでしょう。

要するに民主主義の基礎の理解の問題ですね

私たち社会には、さまざまな人がいます。高齢者、障がい者、子どもさまざまです。事情はそれぞれですが、大事なのは、それぞれに価値があるということです。
勉強ができる人も価値ですが、勉強はできないけれどもやさしいというのも価値です。そういう価値の多様性を認め、価値の相対性を尊重するのが、私たちの民主主義です。この基本の部分が、理解できていないのだと思います。

まちの人と話すことに価値を感じていないのだろう

その石丸元市長でも、有名人やマスコミと話すときは、それなりのコミュニケーションがとれています。おそらくは、相手がコミュニケーションをとる価値があると考えているから、努力しているのではないでしょうか。
他方、まちの高齢者、障がい者、子どもとのコミュニケーションが取れませんが、おそらくは、その相手が、努力して、コミュニケーションをとる価値があるとは考えていないからではないでしょうか。
弱者に寄り添うことができて、はじめて政治家と言えますが、その資質がないことは、ご本人が一番自覚しているのではないかと思います。

政治的コミュニケーション力について

根回しがネガティブなイメージであること

そう思うのは、理解できます。ドラマなどでよくありますし、実際の政治でも根回しのネガティブな面が、政治を歪めているのかもしれません。だから「ビジネスライクなコミュニケーションを取ろうとした」というのが、miyaさんのご意見です。

根回しなしでビジネスができますか

miyaさんが、どんな商売をされているか分かりませんが、では根回しなしでビジネスができているのですか。
普通、物事を進めるにあたっては、事前に相手側の意向や事情を調べます。事前に話をするかしないかで、話の進み具合は違います。
いきなり、上司に提案しててうまくいきますか。もしあなたが上司だったら、いきなり話を持ってきたら、よし分かったと言えますか。
一方的に提案して話がまとまるビジネスはあるかもしれませんが、おそらくそれはビジネスとは言わないように思います。

政治も同じです

特に政治では、議員は、一人ひとりが市民の代表です。それぞれの議員が市民の意見や思いを反映して選ばれています。
自分の意見とは違うかもしれないが、一人ひとりの議員は、一定の市民の意見を反映していることを認め、尊重することから始めるのが、民主政治の出発点です。
民主主義を標榜するならば、民主政治の基本である、議員の意見を聞くことが大事だと思います。

意見を聴いて説得する

議員一人ひとりが、市民の思いを反映していると考えると、その意見を尊重したうえで、自分の考えや意見を説明し、説得し、自分が大事だと思うことを理解してもらうという作業が不可欠になります。骨が折れますが、それが基本ルールです。

止揚する

相手の意見を聴き、自分の意見を理解してもらい、賛同してもらう。それが根回しの意味だと思います(根回しという言葉が怪しいなら、事前調整かな)。
議会でいきなり丁々発止するのは、見ていて面白いかもしれませんが、お互い言いっぱなしで、具体的には何も進みません(安芸高田市の議員改革は何一つ進んでいません)。

迂遠だし手間もかかるが

相手の話を聞かず、自分の価値を押し付けるというやり方は、中国やロシアのやり方です。こういう強権的なやり方にシンパシーを感じる人が案外多いに驚きます。
でも、私たちの国は、民主主義の国です。つまり、価値の多様性や価値の相対性を基本とする国です。
いろいろな人たちが持っているそれぞれの価値を引き出し、発展させ、結合し、止揚することのなかから、新しい発見や発明を見つけて、産業や社会を発展させてきました。価値の多様性から出発するから、たくさんのノーベル賞がとれたのです。私たちの国はそういう国です。

友人の市長の話

つい親しいからと言って、失敗したことがあります。
ある友人の市長に、どう見ても反対のための反対のような意見に対して、「むかつくことはありませんか」と聞いたことがあります。
そしたら、「いや、それもひとつの市民の意見だから、尊重するところから出発しなければ政治とは言えない」と言われてしまいました。
とても恥ずかしかったことがあります。大なり小なり、多くの市長は、こうした心がけで政治をしています。
石丸元市長の未熟さを感じざるを得ません。なによりも、それに共感する人の多さに、社会の行く末の恐ろしさを感じています。

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