被災した5日間……

みなさま明けましておめでとうございます
カイです

今回は私が能登地震を体験し過ごした5日間のことを記載していきます

12月31日 私と弟と父の3人、親戚7人、祖父母含む12人が集まりした
※祖父はめちゃくちゃボケが酷いです

1月1日 16時頃 
私と祖父母と親戚2人でババ抜きをして1人抜けたところ突然揺れ始めました。
私たちはすぐにクッションを手に取る、机の下に潜り込んで一旦やり過ごしました。揺れが治った後、すぐにコンセントを抜いて父の携帯と自分の携帯を取りに外に出ました。外に出てから数分後?にまた揺れ始めたので広いところに出て揺れが収まるのを待っていたら納屋が倒壊、地面は液状化現象が発生して父と親戚の車が埋まりました。とにかく逃げたことだけは覚えてます。 

17時頃
名前は伏せますが老人ホームに逃げ込みました。(海抜16〜8メートル?くらいのところ)
私は弟に祖父母を見てるように言って中から車椅子を幾つか出して歩けない、困難な高齢者達を運びました。その後、向こうの職員と一緒に避難者が座れるスペースを作りました。

18〜20時頃はあまり記憶にないです

21時頃
何かを食べた記憶はあるけど何を食べたか覚えてないです。水も全くなかったのでみんなで少しずつ飲んだ記憶があります。祖父は
「ここはどこや?」「飯食ったか?」等を2分に1回聞いてそれに何度も答えていました。まだこれくらいのボケだったら良かったんですけど数日後もっと酷くなることになるとは………

その日はイスやソファ、マットを使って寝たりしてその日を過ごしました(寝てる時も何回も余震はあった)

1月2日 2日目
ここら辺で携帯の充電を温存するため電源を落としていたので明確な時間はわからないけど9時過ぎくらいにパンが配られた。私は弟や祖父母に分け与えて水だけ飲みました。親戚が家に行き貴重品等を回収しに行くのと薬局に行って食料を取ってくる(持ってて可と言われた)と言って行った。
私は祖父母と親戚の子供達の面倒を見てました。

9時半頃?
食料を取りに行ってた親戚が「浜まで行ったら電話繋がるかも」と言ったので自分とその親戚と子供で行きました。

10時頃 
浜まで着いて何回か電話を掛けたら無事繋がり安否確認することができました。家に行った父と親戚達が戻ってきて上着とカバンを見つけにきてくれました。財布はもちろん、保険証や免許証などが入っていたので本当に有り難ったです。

11〜13時頃
持ってきてくれた食料を食べて待機してた?

14〜19時頃は横になってたかも?

20時頃
祖父のボケが昨日より酷くなりちょっと卑猥なことを言うようになり始めた。父の会社の知り合い?が色々物資を運んできてくれたからそれを運んだ。

21時以降はあまり記憶にないですが初日より人が少なくなったので伸び伸び寝れた気がします。

1月3日 3日目 
祖父のボケ具合が悪くなり卑猥なこと+怒り出すことが多くなりました。

9時頃
発電機が支給され携帯を充電できると言われたので即充電をしに行きました。

11時頃?
めちゃくちゃ迂回しながらになるけど金沢まで帰れるという話があったらしく父と親戚のお父さんが行くかどうか話し合ってた。

12時頃
父と親戚のお父さんと娘は車を祖母の従兄弟から借りて金沢に帰り、私たちを載せるため用の車を持ってくると言って出発した。

13〜19時頃は色々協力しながら祖父母(主に祖父)の面倒を見てた。

20時頃 
1月1日に銭湯に行った親戚とそこの店主がたまたま会ってどうやって助かったとか明治から続いている銭湯だったとかでちょっと盛り上がってるのを聞いた。

ここで話は変わりますが銭湯に行った3人がどうやって助かったのかの話をします。
まず1回目の地震(5弱?5強?)があった時3人は一旦風呂場から離れて揺れが収まった瞬間に服を着て出たら本震(震度7)がきたらしい。
2人はなんとかその場で持ち堪えたけど1人は掴むことができずとある酒屋に吸い込まれるようになったがギリギリ留まったらしい。その直後に、酒屋が倒れたらしく本当にスレスレだったらしい。(人1人分ズレてたら終わってた)

21時以降はなんとか横になってました。

1月4日 4日目 
父や親戚のお父さんが来るのを待ちながら浜まで行って連絡をしました。
しばらくしたら自衛隊の給水車がきてくれたのでありったけのタンクやボトルで水を汲みました。
このあたりから祖父のボケがもっと酷くなり口調も荒々しくなっていきました。

14〜15時頃
物資を持った父と親戚のお父さんが到着
みんなで帰ろうと思ったら弟が熱を出して急遽病院へ。過度のストレスとビタミン不足で熱を出したらしく弟の体が保つかどうかわからない状態で不安定な道を帰るのは危険と判断してもう一日泊まることにしました。

1月5日 
深夜1〜2時頃
事件は起こりました。

祖父はいつも通り祖母にボケたことを聞いていてそれに対して祖母はいつも通り答えていたらいきなりキレて暴れ始めました。最初は大人3人で抑えていたけど思ったより暴れるので私と父も加わりなんとか祖母から手を離すことに成功しました。
しかし、それでも一切治ることがなく相変わらず卑猥なことや叫んだり「助けてー!」「おらのこと〇せ」「俺の首、ロープで〇りあげろ」「警察呼んでお前ら〇刑にしてやる」と騒ぎ散らかしました。流石にやばいと思い救急外来に電話して半ば強引に連れていきました。私は周りと止めてくれた方に謝罪をして周りました。その後、私と弟は6時前まで横になりました。

6時頃
出発前によくしてもらった方にお礼と謝罪してその場を出発。あまりにも道が不安定な所は父に運転してもらいそれ以外のところは私が運転していきました。

8時頃
やっと知ってる道、景色が見えてきて電波も安定出来るところまで着いたので色んな人に連絡。母の兄と祖母も無事だと連絡がついた。

10時頃
家に到着


こんな感じになります

ひとまず身内全員が大した怪我なく生きていられた奇跡に感謝します。神様本当にありがとうございます。そして、今回の被災で亡くなられた方、心からお悔やみ申し上げます。

もし、この記事をここまで読んでくださった方にお願いがあります。
1円でもいいので募金活動に協力お願いします。
あなたの1円がチリも積もれば数万〜数十万になります。ご協力よろしくお願いします。
(無理はしないでください)

物資の提供や現地に行って手助けをしたいという思いを持っている方が多いと思いますが極力控えてください。ある程度道が舗装されたとはいえ危険な所が多く仮にそこで事故でも起こったら自衛隊や救急が通れなくなり迷惑がかかるのでお願いします。

急いで書いたので誤字、脱字等があり文章が拙いですがここまで読んでくださりありがとうございました。



追記
地震の約3時間前に撮った見附島(正面)の写真を載せておきます


私が現場で撮ってきた被災写真

https://x.com/kaimaru912697/status/1743112310917603454?s=46

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