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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[138]メナヒムが匈奴騎馬隊に加わった事情

第6章 北の鉄窯を巡る旅
第4節 サカ人

[138] ■2話 メナヒムが匈奴騎馬隊に加わった事情
「この川は、もう少し下流に行くとオーログマレン川になる。伯父がまだ若い頃、その川のほとりにクマやイノシシなどの大きなけものが出ては、人々を襲った。危なくて砂金掘りどころではない。そこで匈奴の隊長は、時折り、狩人を募った。広すぎて、匈奴だけでは手が足りなかったのだ。
 はじめ勢子せことして駆り出された吾れの父親と伯父は、次第に、背中と腕の力が人に優れて強いことを認められて、射手いてになった。
 メナヒム伯父が、自らの弓射ゆみさいに気付いたのはこのときだという。手がぶれず、息が切れず、何よりも目が利く。死んだ吾れの父は伯父を上回るほどの射手だったという。そういう吾れも同じだ。血だな。馬と同じだ。
 仲間に比べて、ずいぶんと遅れて匈奴の部隊に加わった父と伯父は、しかし、すぐに頭角を現した。馬に乗っては人並みだが、よく弓を引き、人を配して使うのに優れていたそうだ。
 とくにメナヒム伯父は、伏兵を指揮して、深追いしてきた敵兵を弓矢で何度も討ち取ったという。その頃からずっと一緒に戦ってきたバトゥから聞いた話だ。匈奴の隊長は大いに喜んで、兄弟に五騎ずつ、合わせて十騎を任せた。匈奴の部隊に加わって七年目のことだ。吾れはまだ六つだった」
「お前のおじいさんがその北の原に移って来たのはいつ頃のことだ?」
「父が四つ、メナヒム伯父が六つのときだから、いまから四十年ほど前だ」
「そんなに前のことなのか……」

「じいさんたち一家は、もとはシーナの西の方に住んでいた。ニンシャというところだが、それがどの辺りか吾れはよく知らない。
 前に鳥狩とがりに出たときシーナの黄色い川の話をしただろう。その黄河がぐるっと回っているところだ。匈奴がもともといたところに近いそうだ。そこに漢の偉い将軍がやってきて、ニンシャの一族全員を南に移すと決めた」
 ――ニンシャというのは、確かヨーゼフがハミルで出会い、その後、一緒に旅した人々ではなかったか……?
「何千人もだぞ。じいさんは、自分の一族が大昔からそういう目に遭ってきたことをよく知っていた」
「そういう目というのは、奴隷どれいということか?」
「ああ、奴隷のようなものだ。だから将軍には従わず、十何年前に別れたきりの自分の兄を頼って、一家で北の果てに移ることにしたのだ。
 苦労して、しかし、きんが出る川まで無事に行き着いたじいさんたちは、どうにか兄を見つけ出した。ニンシャから来た人々は、みなで力を合わせてその長い旅を生き抜いたのだ。メナヒム伯父は、母さん、つまり吾れのばあさんだが、母さんをそばで見ていて、すっかり疲れ切っていたので着いたらすぐにも死ぬのではと心配だったそうだ」
「だが、生き延びた?」
「ああ。吾れのばあさんはトゥバに着いて十五年後に死んだ。それを追うようにして、じいさんも死んだ。吾れはどちらの顔も見たことがない。それどころか、母さんの顔も見たことがない」
「そうか。……」
「メナヒム伯父は吾れの父と語り合って、母親が死んだときに砂金掘りをめた。弓を使う方が向いていると考えたのだ。
 きんを集めに来る匈奴兵たちとは、長い間に顔見知りになっていた。狩りを通して父たちの弓の腕も知っている。どうだろうかと話すと、自分の隊長に掛け合ってくれて、結局、右賢王ウケンオウの配下の匈奴の部隊に加わった。メナヒム伯父も父もまだ二十歳前だった」
「お前はどうしたのだ?」
「母は吾れを生んだときに亡くなった。生まれたばかりの吾れは、父が迎えに来てくれるまでの間、じいさんの兄夫婦に預けられていた。だから、吾れが初めて口にした言葉はヘブライ語だ」
「そうか、ということは、エレグゼンは生まれてからこれまで、匈奴とヘブライとソグドと三つの言葉を使ってきたのか?」
「ヒダカ言葉で四つ目だ」
「ははっ、そうだな。四つ目だ。しかしメナヒムは、いくら弓矢が得意だったにしても、なぜ匈奴と一緒に戦う道を選んだのだろう……?」

「匈奴がトゥバを支配しはじめたのはそう昔のことではない。十二、三歳の頃に、メナヒム伯父は匈奴の一隊がトゥバに足を踏み入れたところを目の当たりにしたという。
 昨日まで、父たちニンシャ人や周りの胡人の奴隷を怒鳴りつけながら砂金集めをさせていたテュルク人の親方が、若い匈奴の放ったたった一本の矢で川の中に倒れた。他のテュルク人も目の前で次々に殺された。その後しばらく、伯父は夜眠れなくなった。そのときの光景を、伯父はいまでも思い出すそうだ。
 昨日までの支配者が、今日は奴隷仲間になった。その妻や娘は連れ去られて、二度と姿を見ることがなかったという。その若い射手が三十歳くらいの親方の妻をひょいと引っ張り上げ、馬に乗せて連れ去った。
 この話になると伯父は、決まって、『エレグゼン、戦さに負けるとはそういうことだ』と言う。実際にそうなのだ、ナオト。れらは、負ければ奴隷になる。だから、負けるわけにはいかない。なぜこれほど鉄にこだわるかがわかるだろう?」
「厳しいな……」
「厳しい、本当に……。そのときトゥバに現れた匈奴兵たちは、くらからきんをすべて奪い、テュルク人の財貨も、若い女や子供も、すべて運び去ったという。
 ただ、山合いを流れる小川で金を採る胡人には、男であれ女であれ全く手出ししなかった。いまの吾れにはよくわかるが、匈奴の隊長が鉄のおきてでそれをいましめたのだろう。金はそのまま掘り続けなければならないからな。そのためには、掘り方を知る者とそれを支える家族を失うわけにはいかない」
「それで、そのままの暮らしが続けられたのか?」
「伯父の目には、何も変わらなかったという。匈奴がテュルク人を一掃したすぐ後に、しばらく途絶えていたソグド商人の往来が戻った。着ているものが少し違うだけで、ソグド人の見掛けはニンシャびとと同じだ。ソグド商人の顔ぶれは以前と変わらず、なぜかニンシャの言葉が通じたそうだ。商人にイスラエル人が混じっていたのだろう」
「ニンシャの方はどうだ。混じっているイスラエル人は多いのか?」
「ナオト、ニンシャ人とはイスラエル人の集団だ。我らの同族は、いまではトゥバにも、シーナにも、フヨにも、秦韓カラにさえいる」
「……?」

「匈奴兵がやって来て、ニンシャ人がれいる相手はテュルク人から匈奴に変わった。そうはいっても、テュルク人と匈奴は住む家も暮らしぶりも同じだ。似た言葉も多い。
 ただ、それまではテュルク人にならってユルトと呼んでいた住いのことを、ニンシャ人の間では、いつの頃からか匈奴のようにゲルと呼ぶようになったという。いま吾れらが牧地で寝泊まりしているあれだ。メナヒム伯父は吾れに、それが子供心に不思議だったと話したことがある。ニンシャ人は匈奴になろうとしたのだろうか?
 それともう一つ。匈奴はよく狩りをする。砂金掘りにさわるからというのでクマを狩るのもそうだが、たとえそういうことがなくても、衛兵は鍛錬のためにシカ狩りをする。
 そうしたときに匈奴の兵は、射止めた鹿の肉を取りたいように取って口にし、少し切り取って持ち帰り、残りはそのままにしてその場を去ったという。兵たちは、冬に備えて獲物の肉をすべて蓄えておこうなどとは考えなかったのだろう。
 冬前であれば、シカやトナカイ、イノシシやキジなどはどこにでもいる。このソヨンの山中でも同じだ。欲しくなったらみなで出掛けて狩ればいい。
 狩った獲物の肉がそのままになっている。それは、ニンシャ人にとっては天の恵みのようだったろう。その頃、吾れの父はいつも腹をかせていたと思う。メナヒム伯父や、じいさん、ばあさんだってそうだったろう。おそらく、食卓はいつだって貧しかった。
 それが匈奴の支配に変わって、少なくとも夏の間は、父たちニンシャ人の食卓は以前に比べてはるかに潤うようになった。きっと、匈奴が食べ残す獲物えものをみなで分けたろうと思う。そして、冬に備えて、みなで作った大きなむろに蓄えた。
 れには、なぜ父やメナヒム伯父が戦士の道を選んだかがよくわかる」
「……」

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