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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[083]二つ、別の鉄がある

第4章 カケルの取引相手、匈奴
第2節 舟路を急ぐ
 
[083] ■3話 二つ、別の鉄がある
「このところ、お前と一緒にハンカ湖で取引してみて二つ別の鉄があるとわかった。刃物に使う鉄と、鍋やくさびくわの刃先などに使う鉄だ。刃物に使う鉄は、あまり多くはないようだがフヨで作っている。それは手に入れられるとお前から聞いた」
「ああ、手に入る。匈奴がボルドと呼ぶ鉄だ。刃に使う黒金くろがねだというので、れらフヨにいるヒダカ者の間でははがねと呼んでいる。
 ずいぶん前になるが、舟長のミツルの頼みでヨーゼフとクルトの仲間がフヨ中を回って、いい鋼を作る鍛冶場を見つけてくれた。このたびお前が戻ってくるまでの間に、吾れはクルトの案内でそのうちの二つを訪れて、入り江まで鋼を運んでおいた。西の鮮卑センピの方にもいい鋼があるそうだが、吾れはまだ行ったことがない」
「鮮卑にも鋼があるのか……?」
「ある。回った鍛冶場には、鮮卑の鋼はフヨのものとは違うと言う者がいた。クルトは、鮮卑が中国シーナエンと戦っても勝てるのはその鋼のおかげもあると言っていた」
「そうなのか……。二つの鉄のうち、吾れがいままでヒダカに持ち帰ったのはくさびに使う鉄の方だ。吾れの父のようなきこりが大きな木を倒そうとするとき、昔は、石斧と木のくさびを合わせて使っていた。ところがいまでは、鉄でできた大小の楔と斧の刃先なしでは仕事にならないとどの樵も言う。しかし、もし刃物に使うその鋼が手に入るのであれば、その方がなおいい」
「このたびお前がヒダカに持ち帰るフヨの鋼はヨーゼフの蔵に預けてある。この鋼をもっと多く手に入れようとなったら、ヨーゼフに頼んだ方が早いと思う」
「蔵にあるという鋼は、明日、匈奴に渡す鋼の板と同じものか?」
「ああ、同じだ。フヨの鍛冶場の工人たくみは、それを叩いて、磨いて、いでということをやっていた。そのうち、吾れらが見知っているのは研ぐところだけだ。ハンカ湖の会所の近くに小さな鍛冶場があるので、ヒダカに戻る前に一度見に行かないか?」
「それは楽しみだな。この取引の帰りに寄ってみよう。吾れは、舟を作るときに使うチョウナを、刃が石でできたものと鉄でできたものと、どちらも使ったことがある。そのうち、鉄のチョウナはおそらく鋼ではなく、楔に使う方の鉄でできていると思う。それでも、石のチョウナと比べればまるで別の道具だ。
 吾れはそれをヒダカに持ち帰って、いまは波除けの板を削るときに使っている。鉄の道具を研ぐというのはハヤテが言う通りだ。確かに、石でも、鉄でも、使う前に刃先を別の石に擦り付けて研ぐ。

 ヒダカの道具は、昔は、石や土や木、獣の角や骨で作っていた。それがいま、鉄の道具に変わろうとしている。ヒダカびとにもようやく、鉄の使いみちがわかってきたところだ。お前は大陸こちらが長いので近頃のヒダカを見ていないが、その変わりようには目をみはるぞ」
「それはよく聞かされる。だが、それほどなのか?」
「このあいだ、ヒダカに持ち帰った鉄の小板と引き換えに手にしたコメだわらの数に、れは心底驚いた。いまや、みなが鉄のすごさに気付いたのだ。この旅では、鉄をもう少し多めに持ち帰ろうと思う」
「ヒダカではそれほどいい取引ができたのだな?」
「ああ、うまくいった。野代のしろまで運んでから換えた方がいいと聞いてそうした。分け前はコメにして、お前の象潟の母のもとに送ってくれるようにと託してきた」
「いつも、すまんな。それでカケル、何かいい考えがあるのだろう?」
「ああ、なくはない……。鉄ではなく、人を運ぼうと思う。
 鉄にする材料はヒダカにもあると吾れは考えている。鉄の板をコメと交換しようといろいろ回ったとき、ヒダカには、昔、川の砂から黒金くろがねを作る鬼が住んでいたという話を何度か聞いた。お前が言っていたように、その黒金というのはたぶん鉄のことだ。赤ら顔の鬼が鉄を作っていたのだ……」
「……」

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