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そうだ、自転車で、京都行こう。4 横川〜軽井沢宿


〜上州の東端から日光例幣使道、中山道、東海道を辿り、京を目指す〜

令和5年(2023)8月20日(日)

1 坂本宿へ向かう

 碓氷峠は、自転車ではとうてい越えることができない。今回は、徒歩で江戸時代の中山道がそのまま残る旧道で碓氷峠を越えて、軽井沢宿まで行き、帰路はバスで横川まで戻って来る行程となる。そこで横川駅周辺で駐車場を探したところ、横川駅前の市営駐車場が無料できることを知った。
https://maps.app.goo.gl/pZH4WkHDbpM6D34K9

 10:30横川駅前駐車場到着。日焼け止めを塗ったり、ルートを確認したりして、11:00出発。
 横川郵便局の前を通り、中山道を左に曲がる。坂本宿までは前回通っているので、前回見逃したところを中心に道案内は省略して進む。

碓氷関所跡東門付近
出梁造りの建物が残る

 関所を無事に通過して、霧積川を渡り、国道18号線が大きく左にカーブする三叉路の真ん中の上り坂、中山道の旧道を進む。

「薬師坂」の石碑のある
中山道旧道を上って行く

 薬師坂は、その名前のとおり、坂を登り始めた正面に斜面に掛かるように高床式の薬師堂がある。

川久保薬師如来
薬師堂の説明板

 薬師堂の少し先にの左側に「薬師の湧水」がある。残念ながらこの時は水は沸いていないようだった。水神様の祠が祀られ、江戸時代には旅人のありがたい給水場だったのだろう。

薬師の湧水

 11:15、薬師坂を上り切り、中山道は、碓氷峠に向かって一直線に伸びている。群馬県内の中山道安中宿から郷原(松井田宿の手前)の間とこの区間は中山道が直線で伸びている。地形が平坦なこともあるが、古代の官道・東山道を踏襲しているからなのかもしれない。

碓氷峠に向かって直線に伸びる中山道
角には白鬚神社の説明板
白鬚神社説明板
出梁造りの民家の前に立つ中山道案内道標

 この日は、よく晴れて気温も高く、地面からの照り返しもきつく、自転車と比べて、歩きはしんどい。案内道標には坂本宿まで0.5kmの表示、もうこの辺りでバテてしまい、碓氷峠を越えられるのかと思ってしまう。

原村を潤した水神様
水神様の説明板

 上信越自動車道の高い高い高架下の右側に「みんなのトイレ」の標識があり、古民家風の新しい公衆トイレがある。この先トイレはないので、5分ほどトイレ休憩と給水タイム。

https://maps.app.goo.gl/JmV1vT4K427FBUWVA

 高架下で日陰になっていて、しばし休憩して、暑さを冷まし、気力を取り戻して、再び歩き始める。

2 坂本宿(下木戸跡11:25)

 坂本宿は、道幅8間1尺幅(14.8m)で、中央に4尺幅の水路が流れていたという。下木戸跡付近には左側に移設された水路が一部復元されている。

街道の中央を流れていた水路が
一部復元されている
金井本陣跡(下の本陣)
現在は普通の住宅になっている
金井本陣跡説明板
芭蕉句碑
熊野神社
国道18号線からの分岐
手作り案内標識があり、水道施設の横を通る

 水道施設の横を通って行くと、獣害対策用の電気柵が張らたところに到着。何も書いていないので、前回来た時は、恐る恐る潜り抜けたが、取手を持って、外すことがわかり、今回は外して、また元に戻して、通った。ここからいよいよ山道に入る。

獣害対策用の電気柵

3 碓氷峠
①碓氷峠越え対策

 中山道歩きのブログ等では、碓氷峠はヒルが多く肌の露出は避けるべきと皆さんが言っておられるので、今後のことを考え、Amazonで、パーカー、長袖シャツ、半袖シャツ、ハーフパンツ、タイツの5点セットのランニングウェアのセットを購入。今回、パーカー以外のウェア、麦わら帽子風の帽子、キャラバンジュース、熊除けのベルを装備して臨んだ。
 獣害対策用の電気柵を通過し、山道を登って行くと再び国道18号線が現れ、横切った向こう側には、「碓氷小屋」という表札のついた大型の四阿があるが、ここは通過(11:49)。

「碓氷小屋」と中山道旧道の入口

 ここからは尾根や山裾を切り開いた山道で傾斜もきつく息があがる。

尾根筋を切り開いた山道が続く

②堂峰番所跡(11:55)

 堂峰番所跡に到着。関所破りを防ぐために設けられていた関門と番所。通うのも大変だが、定附同心は、こんな山奥に住まわされていたのかと思うと不憫だ。

堂峰番所跡
関門跡はこの手前の狭いところらしい、
とても戻って写真を撮る気にはなれない
堂峰番所跡説明板
石垣や礎石は、埋れて見当たらなかった
定附同心住宅跡(道の左右の平場)
北側の斜面の街道を進んで行く
北側の斜面はかなり急峻だ
斜面を少しづつ登りながら道は続く
簡単な柵があるだけでも安心感がある

③刎石坂(はねいしざか、12:23)

 刎石坂は、碓氷峠最大の難所と言われる。 
碓氷小屋からずっと上り坂なので、確かにそうかもしれない。この辺りまで来ると涼しさが感じられるようになってきた。

刎石溶岩の柱状節理
手前の石積がすごい

 刎石坂石仏群には、「南無阿弥陀仏」の碑、「大日尊」の碑、「馬頭観世音」の碑が並ぶ。現在、上木戸跡にある芭蕉句碑もここにあったものという。

刎石坂石仏群
刎石坂説明板
かなり急斜面に道がある
石垣がある
上り地蔵下り地蔵の説明板
お地蔵様の写真は撮り忘れてた

 ここまでひたすら上り坂で、北側斜面を歩いていたが、「上り地蔵下り地蔵」説明板あたりから傾斜も緩くなり、中山道は南側に向かうようになる。 

④覗(のぞき、12:30)

 小林一茶が「坂本や 袂の下の ゆうひばり」と詠んだ場所。坂本宿が一望できる。江戸時代も今も変わらぬ景色が見られる。ここまで登ってきた実感がある。

坂本宿が一望できることは
江戸時代と変わらない
覗説明板
木が繁り過ぎて坂本宿が隠れてしまう

 覗から中山道は、南側斜面を進むようになる。

馬頭観世音
風穴(ふうけつ)
冷たい風が吹いてくる。天然クーラー
風穴説明板
分岐
左は「中山道」、右は「近道」
左に進む

 「分岐」で、左側「中山道」を進んで行くと、案内標識のない分岐が現れる。後でgooge mapで調べたら前の「分岐」を右側「近道」を進むとこの分岐の右側につながることがわかった。ガイドブックの「弘法の井戸」がないと思ったらこの近道のルート沿いにあることがわかった。

何の案内もない分岐
左に進む(右に進むと戻ってしまう)

⑤刎石茶屋(12:50)

 刎石山の山頂付近にあり、かつて4軒の茶屋があったという。現在も石垣など宅地の形が残っている。

刎石茶屋跡
刎石茶屋跡
石垣が残る
碓氷坂の関所跡
昌泰2年(899)に設けられた関所跡という。
東山道時代の関所跡か。
刎石山の山頂付近にある碓氷坂の関所跡
その傍らには、四阿が立っている
四阿の入口にある案内板
「峠の小屋」の標識のついた四阿
四阿にはノートが置いてある
残念ながら雨水が入り込んで。
書ける状態ではなかった。

 ここで一息ついて、また旅時に戻る。
 ここから先は、緩い下り坂になる。

緩やかな下り坂
この辺りまで来ると木陰で、
標高も高くなり、暑さがやわらぐ
斜面を開削した中山道
尾根を切り開いた中山道
神が宿るような古木

⑥堀切(ほりきり、13:12)

 天正18年(1590)小田原合戦の際に前田利家、上杉景勝、真田昌幸ら北陸・信州勢の進軍をはばむために、松井田城主大道寺政繁は碓氷峠に堀切を築いて防戦したが、突破されてしまった。土橋状の道の両側が大きく削り取られている。堀切は、土橋を残さず木橋等をかけることが多いので、土橋状の道は、中山道で整備されたものか。

土橋状の道
説明板
大きく削り取られた尾根筋(南側)
西側の土塁の痕跡
大きく削り取られた尾根筋(北側)

⑦南向馬頭観音・北向馬頭観音

 堀切を過ぎて、左側の岩の上に南側を見守るように南向馬頭観音が祀られている。
13:15着

南向馬頭観音と説明板
岩の裏から旅人を見守っているかのよう
穏やかな表情の南向馬頭観音

 南向馬頭観音の切通しを過ぎて進むと小山の上に北側を見守るように祀られている。

北向馬頭観音
北向馬頭観音説明板
岩の上に台座を据えて
その上に馬頭観音がある
穏やかに旅人を見守る馬頭観音

⑧刎石の一里塚(13:20)

 説明板の内容では、どこにあるのかわからない。目の前の小山なのかもしれない。
江戸日本橋より二十五里目。

刎石の一里塚説明板

⑨座頭ころがし(13:23)

 一里塚を過ぎると坂も急になり、「座頭ころがし」の名前のとおり、石がゴロゴロして、登りづらく、最大の難所が「刎石坂?」と思ってしまう。台風7号の影響で、折れた枝が流木のように落ちていて、路肩が崩れているところもある。

枝が路面にたくさん落ちている
路肩が崩落
座頭ころがしという名前のとおりの坂
最後の上りはぬかるみ状態
座頭ころがし(釜場)の説明板
座頭ころがし頂部の切通し
ゆるやかな下り坂になる
「安政遠足(あんせいとおあし)」の案内標識がある
江戸時代のままの街道が残る
分岐
中山道と「めがね橋」方面の分岐

栗が原(13:38)
 分岐から中山道を進むと間もなく、尾根上の平坦で開けた場所に出る。明治8年(1875)に群馬県で最初の「見回り方屯所」が置かれたという。

栗が原

 栗が原を過ぎると路肩が崩落した場所や台風号の影響で、切通し状の道が川になった痕跡がある。

路肩が崩れたところ
切通し状の道が川になった痕

入道くぼ(13:58)
 尾根の頂部が開けた切通しのようになっており、右側の段上に馬頭観音観音が祀られている。

江戸時代の中山道がそのまま残っている
右側の段上に馬頭観音が立っている
入道くぼ説明板
線刻の馬頭観音像
今でもはっきりと尊像が残る
まごめ坂
突然コンクリートの擁壁が現れる

⑩山中茶屋跡(14:03)

 入道くぼからまごめ坂を進むと山の中の平地山中茶屋跡がある。かつては13軒の茶屋があり、茶屋本陣も存在し、明治時代には小学校までつくられたという。ここで、途中のセブンイレブンで買ったおにぎりの昼食を摂り、10分ほど休憩。遠雷が聞こえ、西の空に暗雲が見えるので、先を急ぐ。

山中茶屋跡
山中茶屋跡
プレハブの廃墟が残る

⑪山中坂(14:15)

 山中茶屋跡から歩き出すと台風7号の傷跡がすさまじく残る。路面に水が流れた痕の大きな亀裂がしばらく続く。石もゴロゴロしていて歩きにくい。

台風の被害で路面に大きな亀裂が
コンクリートの擁壁がある新しい道にも大きな亀裂
山中坂説明板
坂はそれほどきつくないが、路面の亀裂
や散乱した石で歩き辛い
看板があるので旅館が何かの廃墟か
別荘跡か?いくつかの廃墟がある

一つ家跡(14:23)
 老婆が住んでいて旅人を苦しめたというが、「山姥女」でも住んでいたのか。

一つ家跡
一つ家跡説明板

陣場が原(14:27)
 太平記の時代の足利勢と新田勢の合戦、戦国時代の上杉勢と武田勢の合戦場跡という。

陣場が原
山の中の開けた場所
陣場が原説明板

子持山の説明板(14:28)
 万葉集にも読まれている。

子持山の説明板
藪の中へ伸びる中山道
所々、陥没している

化粧水(14:35)
 峠町に上がる前に容姿を整えた清水という。
まだここから峠町まで結構あるが。

化粧水という沢
小さな木橋が架けられていた
化粧水説明板
化粧水を過ぎて、路肩の崩落箇所が残る

⑫笹沢(14:39)

 ゴーっという音が聞こえ、沢が近いことがわかる。沢の手前の路肩が崩落しているので、慎重に通過。沢は水煙を上げていて、神秘的。ここは橋がなく、沢の中の飛石伝いに歩いて渡る。キャラバンシューズを履いてきて正解だった。

路面の半分くらいま崩落している
沢の手前には倒木も
沢幅は3mくらい
水量が多く水煙が上がっている
緩い滝状になっている
渡りやすいように石を並べてみた

⑬長坂(14:53)

 笹沢を渡ると江戸方面からの最後の上り坂という長坂を上って行く。

長坂
長坂説明板
このカーブを左に曲がると仁王門跡にでる

⑭仁王門跡(15:12)

 熊野皇太神社の神宮寺の仁王門があったが、明治維新の神仏分離令で破壊されたという。
石碑と「思婦石」が残る。仁王像は熊野神社の神楽殿に保管されている。

仁王門跡
仁王門跡説明板
思婦石(おもふいし)
思婦石説明板
思婦石
安政4年(1857)に建立された歌碑
碓氷峠最後の上り坂
コンクリート擁壁の先に峠の頂上が見える

⑮熊野皇太神社(15:17)

 仁王門跡から最後の短い坂道を登るとアスファルト舗装の道路になり、視界が開け、茶店が並ぶ熊野皇太神社の門前町(峠町)がある。
 熊野皇太神社は、信濃国と上野国の国境に立つ神社で、「安政遠足(あんせいとおあし)」の折り返し地点だった。参道の入口の石畳には、長野県と群馬県の境界が示されている。

熊野皇太神社
石畳に県境表示がある
参道の途中にある天然石専門店「八九龍堂」

 石段の手前の両脇には、「峠のこまいぬ」がある。室町時代中期の作と言われており、長野県最古のこまいぬ像。右側が口を開いた「阿(あ)」、左側が口を閉じた「吽(うん)」。

峠のこまいぬ
左側「吽(うん)」像

 石段を登ったところに左右に「峠の石の風車」がある。明暦3年(1657)に軽井沢宿の問屋佐藤市右衛門、代官佐藤平八郎が石畳を寄進した記念に佐藤家の家紋源氏車を刻んで奉納したもの。

峠の石の風車(左側)
峠の風の風車(右側)

 本宮は、県境に立ち、群馬県側には新宮、長野県側には那智宮がある。今は、長野県側が熊野皇太神社、群馬県側が熊野神社として、別々の宗教法人になっており、別々に祈願、お守り授与が行われている。栃木県と茨城県の県境にある鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)も茨城県側と栃木県側に社殿があり、同じように祭祀が行われている。

熊野皇太神社山門

熊野皇太神社の正面にある茶屋「しげの家」の前には「上信國境碑」(ソフトクリーム、メニュー看板の右側)があり、赤線で境界線が駐車場に引かれている。

しげの家

 せっかくなので、しげの家で名物「力餅」でも食べて行こうと思い、順番待ちをしている間に軽井沢駅発横川駅行きのバスの時刻を調べた。16:30発があり、次が18:00発で最終。できれば16:30に乗りたいので、しげの家での休憩はあきらめ、先を急ぐことにする。
 山道で疲れた足で、下りとはいえ、未知の旧道を通って間に合うか

熊野皇太神社の前の峠町(信濃国側より)

⑯下りの旧道(15:36)

 「力餅みすゞや」の角、二股になっている駐車場の手前に中山道の説明板があり、藪の中を下りる小道が中山道旧道。ここを入るのには勇気がいる。

駐車場の手前、中山道説明板の
ところから下りる
わかりづらいので要注意
下り口に中山道と公衆トイレの案内板がある

 鬱蒼としており、不安を感じるが、すぐに町道三度山線に出る。三度山線を渡ると谷へ下る旧道の入口があり、「中山道」の標識がある。

町道三度山線からの旧道入口

 旧道を日当たりが悪く、熊笹が繁り、道もあまり踏み固められていないので、中山道歩きでもこのルートを通る人は少ないようだ。

薮の繁る旧道を進む

 この先は、別荘地に出るまで、沢を渡ったり、ローブ伝いに谷は下りたりと結構、冒険心をくすぐるルートだ。沢には倒木が流されていたり、台風の爪痕も残る。

沢を渡る
ロープ伝いに谷へ下りる
再び沢を渡る
ここも人が通った形跡が少ない

 アドベンチャールートを抜けると別荘地の砂利道になる。別荘が点在するルートを進んで行く。

別荘地の砂利道に出る

 変則十字路があるので、直進する。

ここはまっすぐ進む
閑静な別荘地の中を進んで行く
閑静な別荘地を抜けると
県道133号線に合流する

⑰聖坂(16:08)

 県道133号線を左に進み、聖坂を下って行く。

県道133号線に出ると目の前に別荘だか
企業の山荘の立派な門が見える
さすが軽井沢
聖坂を下って行く
街道と避暑地が混在する

4 軽井沢宿

 矢ヶ崎川に架かる二手橋を渡ると右側にショーハウスがあり、その向かいには芭蕉句碑がある。この辺りから旧軽銀座の賑わいが始まる。

二手橋
宿を立つ旅人を飯盛女が見送ったという場所

①ショーハウス

 カナダ生まれの聖公会の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーが明治21年(1888)に別荘を建てた場所。避暑地として軽井沢に別荘を建てた最初からの人物と言われる。
 現在では、ショー記念礼拝堂、復元されたショーハウス(記念館)がある。

ショーハウス

②芭蕉句碑

 天保14年(1843)にこの地の俳人小林玉逢によって、芭蕉翁百五十回忌に建てられた。

芭蕉句碑
芭蕉句碑と説明板

③つるや旅館・東の桝形跡

 つるや旅館は、江戸時代は茶屋として栄えた。明治時代になると旅館業に転向し、避暑に訪れる宣教師たちや、大正時代になると島崎藤村、芥川竜之介、堀辰雄らが逗留して、執筆活動に利用するようになる。
 つるや旅館の付近で、中山道がカーブしているのは、東の桝形跡の名残り。

つるや旅館と東の桝形
レンガ舗装の旧軽銀座に宿場の名残の
出梁造りの建物が散見できる
神宮寺
脇本陣江戸屋跡
(現、軽井沢観光会館)

④佐藤本陣跡・軽井沢の一里塚

 協会通りを少し入ったそば処大禅のところに「明治天皇軽井澤行在所」石碑と説明板がある。佐藤織衛本陣跡。
 この付近に軽井沢の一里塚があったというが、位置は不明。江戸日本橋から三十七里目。

佐藤本陣跡
(現、そば処大禅)
「明治天皇軽井澤行在所」跡の説明板

⑤西の桝形跡(16:23)

 右の離山通り(中山道)と左の県道133号線(軽井沢駅方面)の分岐が西の桝形跡。ここから7分で軽井沢駅まで間に合うか、ペースを上げて歩く。

西の桝形跡
(離山通りと県道133号戦の分岐)

5 軽井沢駅(16:37)

 分岐からペースを上げたのもむなしく、「軽井沢駅入口」交差点をJRバスが曲がって行くのが見えた。碓氷峠越え、アドベンチャー感あふれる旧道を下ってきた疲れた足では、やはり間に合わなかった。
 ガイドブックでは、坂本宿から軽井沢宿まで、二里半十六町二十七間、11.5kmと書いてあった。横川駅から坂本宿、碓氷峠、軽井沢宿を経て、軽井沢駅まではadidas Runningの GPS計測では、16.8kmだった。

軽井沢駅北口

 軽井沢駅の「おぎのや」売店で、お土産に釜飯を買い、バス停のベンチで、過ごした。しばらく、私一人だったが、発車時刻が近づくにつれて、人が増えてくる。バスが入ってくる頃には、行列ができていた。最終バスなので、全ての補助席を使う満員状態。普段はこんな混んだことがないという話が聞こえた。18:05出発、18:40横川駅着。
 猛暑の中を横川駅から坂本宿まで歩いて行くのが辛かったが、駅近に車を置けたことは幸いだった。

6 あとがき

 碓氷峠は、軽井沢側の方が標高が高いので、群馬県側からは、一気に上って行く感覚。横川から刎石坂を登り切るまでが辛かった。覗(のぞき)で坂本宿を一望できるので、登ってきた実感がある。
 台風7号の爪痕があちらこちらに残っていたが、通行止めになっていなかったのが幸いだった。中山道歩きをする人は多いが、碓氷峠では一人もすれ違うことがなかったのが、不思議だった。恐れていたヒルも靴に付いたのを一回振り払っただけで済んだ。
 狭い切通し状の道が多く、傾斜もきつく、こんな道を例幣使の輿や駕籠は通れたのかと思ってしまう。和宮の下向や明治天皇の巡幸で、新たなルートがつくられたのもうなずける。

中山道歩きで、碓氷峠越えをされる方へ
・群馬県側からの登りは、比高差が大きいの
 で、山歩き(登り)に慣れていない方にはか
 なりきついと思います。
・靴は、沢を渡ることもあるので、防水のいわ
 ゆるキャラバンシューズがお勧めです。
・服装も標高1,000m超えで、ヒルがいたるす
 るので、夏でも肌を露出しない服装で、帽子
 も必要です。
・坂本宿から熊野皇太神社までは、コンビニど
 ころかトイレもない。必ずトイレを済ませ 
 て、水や食料、カッパやヤッケなど十分
 な装備で臨まれることをお勧めします。
 心配な方は、簡易トイレキットも
・天気予報ををチェックして、天気の悪化が予 
 報されている時は、勇気をもってあきらめる 
 こと。道が川になった痕が何箇所もあったの
 で、豪雨になると逃げ場もありません。避難
 できる四阿も群馬側登り口の碓氷小屋と刎石
 山の峠の小屋しかありません。

 無事、家に帰り、玄関を開けたら犬が迎えに出てきた。
 ただいま。

迎えに出てきた愛犬

 旅から1年1か月もかかって、ようやくupできました。このペースだと京都に着くのは、いつだろうと思ってしまいますが、次回をお楽しみに。

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