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神田川の秘密 24 都市型河川の始まり


II 神田川・中流域(方南町~水道橋)
二十四 都市型河川の再発見 
 神田川への幻想を捨て、リアルな姿を直視し、新しい何かを発見することに舵を切っていた。一時は神田川も善福寺川も方南橋・環七で終わりにしようかと思った。しかし、思い直した。思い直した以上、川を見る視点を切り替えなければならない。人と川とのつながりや、川で起きた事件、神田川の変転よりも1㎡100万円、200万円の地価の上を流れる都市型河川として見直してみる必要を感じ始めていた。それが都会に暮らす人々にどんな恩恵をもたらし、あるいは矛盾や困難をもたらしているか、そんなテーマを加えながら川を下ってみようと思った。

 東京メトロ・丸の内線、方南町駅で降り、神田川の方南橋めざしてだらだらと坂を下った。神田川は垂直に切り立ったセメントの壁に囲まれ、さらに覆い被さってくる高いビルに圧迫されながら、息苦しく下流へと向かって流れていた。水にも濁りがある。

危険水位を示す標識

少し下ると黄色、水色、オレンジの3色に塗り分けられた細長い深度標識が壁に有って、流れの深さは70センチ、警戒水位は3メートル30を表示していた。護岸の上に遊歩道はなく、一般車道になっていて、バイク、車が頻繁に通り抜けるから油断できない。ここからの神田川は何の憚りもなく大型側溝そのものの姿に徹していた。それでもたつみ橋を過ぎたところに鴨が10羽以上の群れとなって浮かび、川面を上下していた。

 杉並区と中野区との境界の表示板がすぐに目に入った。三鷹、杉並と来て、いよいよ郊外から都心部に入った気分になった。川は完全に3面コンクリート張りになっている。神田川は中野区に入って左に大きく曲がり北上する。マンション、アパートが川に迫っていて、神田川は窮屈そうだった。同じ川べりを歩いていても疲れが倍化する。川が疲れを吸収してくれない。逆に、疲れを増幅する気を吹き付けてくる。この界隈に住む人々は川に何を求めているのだろう。聞いてみたいが、みな忙しく通り過ぎていく。


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