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神田川の秘密29の5 神田川が都電と交差するところ、高戸橋

二十九の6 神田川が都電荒川線と交差する・高戸橋

 高戸橋であるものを待っていた。
 さっき行ったばかりだから、次が来るのはしばらく後だろう。
 スマホのカメラをオープンにしてシャッターチャンスを待つ。
 で、それはやってきた。東京に残っている唯一のチンチン電車だ。明治通りに沿った線路をゆったりと進んで来る彼女の走りを見ていると、実に優雅な気分になるから不思議だ。電車が高戸橋を渡り、信号待ちするのも今となれば嬉しい。

都電は高戸橋を越すと信号で停止する

 話は飛躍するが、サンフランシスコはチンチン電車(ケーブルカー)が街のシンボルになっている。それも単なる観光資源としてではなく、市民もツーリストも市内を移動する効果的な交通手段になっている。川旅老人もサンフランシスコに行った時には必ずケーブルカーに乗っている。仕事でアメリカに行くことがあった頃だから、もう30年も前になる。
 【サンフランシスコの写真なし】
 常宿で使っていたパーク55ホテル(サンフランシスコ・ヒルトン)はパウエル・ハイド線の始発駅に3分の距離にあったから、それに乗ってフィシャーマンズワーフに海鮮(シーフード)を食べに行った。Scoma’sレストランはお気に入りの一つで、いつ行っても混んでいた。ところが、日本人だと満席でもスペシャルのテーブルを用意してくれた。その頃、気前よくチップを弾むのは日本人だった。

 ケーブルカーの運転にはかなりの膂力が必要で体格の良い黒人が運転していることが多かった。レバーを引いてケーブルカーを止め、緩めてスピードをコントロールしながら走らせるのだが、簡単そうには見えない。陽気な運転手だと、カンカンと鐘を打ち鳴らしリズムを取りながら歌を聞かせてくれる。40才台だったから、自分の気力も充実していた。

 都電はケーブルカーではないし、東京とサンフランシスコとは雰囲気が違う。しかし、なぜ東京は路面電車を撤廃して車道にしてしまったのか。マイカーの時代に突入していたことはわかるが、さらにその先の時代を読む人はいなかったのだろうか。100年の都市計画を策定する人はいなかったのだろうか。これからの時代は人口が減っていくから路面電車の復活があっても良いのじゃないか。もう車の時代は終わっている。


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