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神田川の秘密29 神田川はいくつもの分水流があり、いくつもの取水・合流がある

二十九 神田川分水流

 下落合駅の裏手、新堀橋の脇に、神田川・高田馬場分水路の取り込み口が有った。取水口に水が流れ込んでいるのかどうか、遊歩道からは見届けられなかったが、下落合駅を挟んで反対側を流れている妙正寺川へと分水流は導かれる。路地の下に埋設された暗渠を100mほど通り抜けて辰巳橋の先で妙正寺川に流れ込む。妙正寺川に回り込んで神田川の分水流を確認できた。

左手にぱっくり口を置けているのが取水口
この水は白山通りの地下へと向かう

 神田川の水は妙正寺川に溶け合って辰巳橋の先でほんの一瞬だけ表に出るが、直ぐに暗渠に入り、次に日の目を見るのはJR高田馬場駅の先、高田橋の下になる。その間は新目白通りの地下に埋設された鉄管を通って流れている。分水は調節池の代わりにはならない。流れが変わるだけで、量そのものを調節する機能はない。都会の市街地を流れる神田川が幅員を変更できないために取られた応急措置のようなもので、行政の苦心の施策なのだろう。なぜここで神田川の迂回路が必要になったのかは高田馬場についてから知ることとなった。

左手が取水口

 成願寺の檀家総代であった川本長左ヱ門さん(平成12年逝去)がパンフレットに子供時代のことを書き残している。
「・・・坂の下を流れる神田上水の水は豊かに澄み、子どもにとって格好の遊び場でした。だが川幅は今より三倍くらい広く、真ん中は子どもの背が立たないほど深かったので、泳ぐのは親から禁止されていました。しかし、言いつけを素直に聞く年頃ではなく、学校の帰りによく泳いだものです。フナ、タナゴ、ハヤ、ドジョウなども上水にはいて、よく夕食のお膳にのぼりました。・・・」と。

 近隣の宅地開発、水源の枯渇、雨水の集中、洪水発生、コンクリート護岸、景観喪失、集中豪雨、新たな規模の洪水、・・・神田川が不幸な輪廻にはまり込んだのはいつ頃からだろう。都市計画の失敗だけではなさそうだ。ともかく、神田川が自然の流域でなくなってしまったことは否定できない。破壊した訳ではないが、手を加えて変更させた。先に登場したイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏はこう解説している。


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