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神田川の秘密22 地下を流れる川

二十二 神田川・地下水道
 良い気分になって、熊野橋へと向かう。斉美教育センターを右手に見ながら、さらに紅葉橋を越し、本村橋まで来ると斉美公園を過ぎてから一旦狭くなった川幅がもう一度広くなった。右岸には高層ビルが建ち、壁には企業の名前が見える。その先には5階建、7階建のマンションも連なっている。幹線道路の環状七号線が近い。

 上塚橋まで来たところで、左手前方に善福寺川取水施設と銘打ったベイジュ色のビルが見えてきた。箱型のビルなので、何階建てなのかはわからない。そのビルの下、善福寺川の左岸には50メートルの長さを持った取水口があって、護岸上部に鉄柱が整然と並んでいた。取水施設は建物の東側を環状七号線に面しているらしく、善福寺川に架かる和田堀橋を上り下りする大型トラックが施設の壁から現れ、壁に消えていた。ここが環状7号線の地下に埋設された貯水トンネルの管理、コントロールをしている。

善福寺川取水施設全景

 世界には運河というものが無数にある。
 スエズ運河、パナマ運河などは知らない人がいないし、京杭(コウケイ)大運河に至っては総延長が2500キロあると言うから運河というより大河の雰囲気なのだろうな。北京と杭州を結んでいる。途中で黄河と揚子江を横断しているというからすごい。どうなっているのか、一度この目で見てみたい。隋王朝の煬帝の時代に完成(610年)したが、建設費捻出のため、国民は重税に苦しめられ、労役に駆り出された。結果、隋は傾き、滅んだ。
 スエズ運河は全長193キロ、幅22メートル。1869年開通している。最近、日本のタンカーが運河で座礁したというから笑える。1859年から工事が始まったが、エジプトの農民が強制労働で開削に駆り出され、多くの犠牲者が出た。所有権をめぐって戦争も起きている。
 パナマ運河、こちらは閘門式運河で全長80キロ、途中大きな湖を通過するが開削されたところは密林の真っ只中で、工事に従事した労働者の多くがマラリアの蔓延にさらされた。水路の開削や運河の建設には多くの犠牲が伴っている。犠牲になった人々の家族や友人にも悲しみをもたらしたことだろう。

 もちろん日本にも運河はたくさんある。
 特に徳川家康、秀忠、家光の3代にわたって江戸に開削された運河は東京の河川、運河として今でも機能している。1600年代の初めのこと、こちらの犠牲者も少なくなかったであろうと想像しているが、それは甘い考えかも知れない。 

環七どうりの下に流れる東京の川
水道管が埋設されている
ここは取水口
善福寺川が増水したときにはここから水が流れ込む

環七の地下に埋設された水道は全長4、5キロ。第1期工事が昭和64年(1989年)に始まり平成7年(1995年)に終了、第2期工事は平成7年に始まって平成20年(2008年)3月に終わっている。都合18年、長い工事だった。環状七号線の地下40メートル(東京都建設局の広報では地下50m)に埋設されたトンネルで、善福寺川、神田川、妙正寺川の3河川をつないで水を流している。つまり、いずれ下流域で合流する三つの河川は合流する前に無理矢理つなげられているのだった。スエズ運河が地中海と紅海を繋いでしまったように、環七地下水道は人工的に3本の川をつないでしまった。

水処理センターの内部構造
環状7号線の下には大きな水道管が埋まっている


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