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神田川の秘密 乙女橋の謎

十四の(3)乙女橋、鎌倉橋、八幡橋

 看板の解説が更に続く。
「乙女橋の左岸一帯は徳川ご三郷(田安、一橋、清水)の鷹場で、将軍家が定めた「お留め場」と言われていた。・・・その中に、日常生活には厳しい規制があり、自由に通行できなかった。慶応3年(1868年)に鷹場が廃止となり、おとめが乙女となった」(杉並区 神田川流域案内板)と出ていた。
 鎌倉橋を過ぎると梢橋、藤和橋、八幡橋と短い距離に立て続けに橋がかかっている。八幡橋で井の頭池から5、5キロの距離となる。

日本という国は名前にこだわる国
小さな橋にも名前がある

 その手前、藤和緑地の裏手に下高井戸八幡神社(鶴岡八幡宮の御神体と稲荷神の合祀)があった。表の通りに回ると、階段を上がったところに鳥居があり、社殿の敷地は広々としていた。階段を上がる手前の通りに面して看板が見えた。
『昇殿参拝 出張祭典』
と横書きされていてその下に営業項目が縦書きで並んでいた。「地鎮祭、上棟祭、竣工式、家祓い、昇殿祭、その他」とあって、行間を空けて「厄除、初参宮、七五三詣、家内安全、商売繁盛、合格祈願、その他」

合格祈願は目新しかったが、源氏の守り神、八幡様の守備範囲も思ったより手広い。稲荷神との合祀によるのだろうか。看板に書かれた電話番号が久我山・稲荷神社と同じところをみると、ここが久我山稲荷神社の社屋に張り出されていた連絡先だということが分かる。

 橋はどこも代わり映えがしないなと思った矢先、設計者も多分同じ問題意識だったのか、梢橋は橋の中央に川見の張り出しが付いていたし、藤和橋はその名に因んで欄干に藤蔓をイメージしたデコレーションが施されていて、欄干の下の部分に藤の絵のモザイクがいくつか嵌め込まれていた。

橋の欄干に変化を持たせている

むつみ橋、弥生橋と過ぎると神田川の川幅は一旦狭くなったように感じた。向陽橋まで来ると川幅が再び広がり、その近くに水位の定点観測標識があった。目盛りを見ると川底から川面までの水位は60センチだった。川底から遊歩道までの高さは8メートル50センチと表示されていた。警戒水位の標識が何ヵ所かに見られたが、おおむね4メートルだったと記憶していた。実際にはどうなのだろう。4メートルの高さまで盛り上がってくる水の量を想像できない。自然の力は時に人の想像を遥かに越えることがあるから、警戒水域を乗り越えて氾濫することもあるのだろう。

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