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神田川・秘密発見の旅 後編1神田川のことを調べるために仙台に来た 

後編1 仙台堀を仙台に尋ねる

 東北新幹線に乗るのは3年ぶりだった。
 コロナの蔓延が始まって2年近くなるが今はその第5波が一服しているところで、このまま下火になってくれることを願いながら仙台に向かっていた。2021年10月25日、はやぶさ25号は1分の狂いもなく14時51分、仙台に着いた。出迎えてくれるはずの旧友との合流地点、1階ステンドグラス前に向かった。これから4日間付き合ってくれるというからありがたい。

 仙台は知らない街ではない。商用で何度か来ているから親しみを感じているが、訪問先が今までとは違っている。図書館、古書店、寺といったところが訪問先で、仕事上の相手先でもなく、観光でもないからガイドブックにも載っていない。
 ステンドグラスの前に立っている彼をすぐに見つけたが、いかにも歳をとった感じに見えた。
「久しぶり!」
「おう!元気そうだな」
「カラ元気!最近膝が痛くてな、階段がしんどい」
長く会っていなかったし、お互いに老いた姿になっているはずなのに、気持ちは一瞬にして昔のままの青年に戻っていた。
「さっそくだけどな、この足で金港堂に行くぞ。少し歩くけど大丈夫か?」
「平らなところを歩くのはOKだ」
 で、キャリーバッグを引きずりながら彼の後について歩いた。

仙台駅

金港堂は仙台市内に明治43年に開かれた書店で規模が大きく、仙台藩関係の書籍を他の書店に比べて多く売っている店だそうだ。本家・本元は横浜だと友人が教えてくれた。金港堂に着くと、友人は店員に書店訪問の趣旨を説明し始めた。
「これは私の古い友人で、仙台藩時代の資料を探しに東京から「わざわざ」来た」と勿体をつけた。恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だったが、店員は該当の書籍棚まで案内してくれた。そこには河北新報社の発行した冊子や、仙台藩の歴史にかかわる何冊かの本がまとめて並べられていた。その中から4冊を買い求めた。バッグが急に重くなった感じがした。

 友人に仙台訪問の趣旨を初めて話した時、堀は堀でも「四ツ谷用水」のことを何度か説明してくれた。仙台城の大手門再建の話もしてくれる。が、それは仙台市内のお話で、東京の神田川にある仙台堀とは直接の関係がない。仙台の人は仙台の街そのものに関心が強く、神田川に掘削された「仙台堀」にはあまり関心はなさそうだと感じた。仙台出身の人に同じ話をしても「仙台堀川」のことを言う人はいるが、それは隅田川に沿ったところにある堀川(運河)で、神田川の仙台堀とは違う。かつて仙台藩の米の集積のために開鑿された堀川をさす。仙台の米が江戸で売られていた頃は蔵屋敷も堀に沿って並んでいた。仙台掘川の名前も仙台藩の蔵屋敷に因んでつけられていて、今は公園になっている。
 そんなわけで、仙台に仙台堀の情報を求めるのにはいささか不安はあったが、ともかく仙台藩の足元へ踏み込まなくては何もわからないと意を決し、2021年10月25日~28日と訪問日を無理やり決めてしまったのだった。全ては行ってみてのこと。
「欲しがっていた資料は手に入ったのか?」
金港堂を出ると、友人が聞いてきた。

「こういう新刊本をメインにしている書店ではちょっと無理かな・・」

「じゃ、古書店を予定しているから、そっちへ回ろう。ここから歩いて5分だから」

古書店の名は「昭文堂」。ビルの1階に店があるのだが、いかにも孤高を守っている感じがした。書店のオーナーはビルのオーナーでもあるのだろうか。悠然とし、研究者然としていた。
「昔はこの辺に古書店が並んでいたのさ。東北大学も近いしね。だけどみんな撤退した。今は本屋さん自体がどんどん減っているし、古書店はそれ以上の減り方なんだ。ここのオーナーが店をたたまないのは訳あってのことさ」友人が解説してくれた。
 膝の高さの最下段から天井まで、古書がびっしり並んでいる。ほとんどが専門書だが、歴史書も多く在庫されていた。友人はここでも「この人は仙台藩のことを調べにわざわざ東京から来たんです」と店主に紹介した。「すみません。そんな大層なことじゃないんです」と謝ってしまった。客は一人もいなかった。棚には仙台藩時代の書物や資料がいくつか見られたが、欲しいものはなかった。店主のいかにも頑固そうな風貌に敬意を表し、「東藩史稿・全10巻」(作並清亮 編纂・大正4年12月19日刊)を買った。

「そういう趣旨なら一度、瑞鳳殿に行かれたらどうですか。資料館には古文書が保管されているはずですよ」
店主がアドバイスしてくれた。


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