見出し画像

神田川・老人の秘密 出会いの場


十ニ 橋は出会いの場か

 宮下橋まで戻り、20メートルほど下流に掛かる宮下人道橋を渡って神田川の右岸を川下に歩く。久我山中央緑地と銘打った公園が人道橋から久我山駅まで続いていた。マンションなどが立ち並ぶ左岸に比べ公園のある右岸は護岸が1メートルほど低い。右岸・左岸で高低差があるのは珍しいな、と思いながら公園を右に、神田川を左手に見ながら久我山駅へと向かう。

神田川はセメントの護岸で覆われ、
その上にはフェンス。
遊歩道の両脇には高層マンション。

 右岸の公園緑地をゆっくりと下って行くと、都橋があった。そのわずか手前、川の左岸の遊歩道に里程標(No 45)が埋め込まれていた。大人の腰の高さの石柱で「みなもと2.0キロ、すみだがわ22.5キロ」と刻まれていた。井の頭池に続く水門橋からわずかに2キロしか下っていなかったのだ。

しかし、源流からたった2キロしか離れていないのに、手に触れた源流の水と同じ水とは思えない。護岸のセメントは垂直に切り立って鋭く、神田川を両脇から挟み込んだ別物になっている。遊歩道には腰の高さのフェンスも張られている。川と人とはもはや触れ合うことはなく、隔絶されている感じだ。場所によってはそのフェンスと道路との僅かな隙間から桜の古木や欅の老木が神田川の上に覆い被さっていた。植物は痛さを感じないのだろうが、いかにも痛々しく思える。人が施した建築物は自然に対して有無を言わせない趣きがある。
 都橋の脇のスペースは駐輪場で、管理人3人がキビキビとした動作で場内の整理・点検をしていた。井の頭線・久我山駅は目と鼻の先だ。高架になった久我山駅は神田川の左岸、斜め上に見えた。

 
神田川は駅前で人見街道と交差し、久我山橋の下を流れる。駅前の三叉路は変則三叉路になっているためか広く、欄干が濃いグリーンにペイントされていて、意外なほど目立たない。人見街道は西に向かうと三鷹を越して府中へと向かう。東は高井戸で環状8号線と立体交差し、永福町へと抜けて行く。三叉路のもう一つの道路の名前は岩通(イワツウ)通りで、久我山病院の脇を抜け、世田谷区の松葉通りに入ると中央高速道路の下を通過し甲州街道に突き当たる。岩通の名称は坂を上り切ったあたりに岩崎通信機があったからだろう。

 次の清水橋まで神田川の左岸を歩き、橋を渡って右岸の遊歩道に切り替えた。右手のやや小高いところにアジアからの留学生の宿舎、太田記念館が見えたが、赤煉瓦の建物が後背地の緑に映えていた。清水橋から左岸の遊歩道はしばらく京王電鉄の車検場が続く。名無し橋、月見橋ときて、その先で富士見ヶ丘駅の脇になった。足が疲れた。
 川のフェンスに沿って杉並区都市整備部が建てた看板があって、足を止めた。

 「神田川親水プロムナード・出会いのゾーン」と銘打っている。看板に書かれた地図では富士見ヶ丘駅脇の月見橋から高井戸駅脇の佃橋までがそのゾーンになるそうだ。
「ここは出会い系の遊歩道か」
急に期待が膨らんだが、緊急事態宣言が発せられているからか、あるいは寒いからか、それともただ単に時間帯が悪いのか、見渡しても周りには人がいない。看板は状況判断ができないからね。たった1人の孤独スペースであっても、そこは出会いのゾーンの内なんだ。やがて監視カメラがつき、個々人の行動データが把握され、AIが出会いを調整して表示を変える時代が来るのだろうか。

看板に書かれた説明は以下の通りだった。
 「ここは『出会いのゾーン』です。
  公園や駅のつながりを考え、多くの人が集まる
『出会いの橋』をテーマにしています」

 このゾーンの間には高砂橋、あかね橋、むつみ橋、錦橋、やなぎ橋、あずま橋と6本の橋がかかっている。だから橋で出会うチャンスは道路や公園よりも多いかもしれない。「数寄屋橋」と聞いて直ぐ「ある出会い」を感じる人は若くない人だ。今では数寄屋橋に何の感慨もない人が圧倒的だろう。しかし、ほんの60年前、西銀座の数寄屋橋は全国に知れ渡った有名な橋だった。神田川脇の公園に建てられた看板が示唆する出会いと、今の世代の人が考える出会いとはかなりズレている。数寄屋橋が歴史的な出会いの橋であった事実を知る世代がもう少数になってしまった現実と同じ程度にズレている。今の時代に出会いを演出するのは残念ながら橋ではない。スマホ・アプリだ。

ビルの間に見えているのが高井戸ゴミ焼却場の煙突

 ともあれ、老人は神田川が環状8号線と交差する佃橋まで来てしまった。前方を見上げると、首が痛くなるほどの高さでゴミ焼却場の煙突が聳えている。その左手、環八道路を挟んだ反対側が井の頭線・高井戸駅だった。井の頭池から約4キロ。今日はここまで。帰宅することにした。もう一歩も歩けない。

左前方は井の頭線・高井戸駅
歩道橋の下は環状8号線
高井戸ゴミ焼却場ではリサイクルショップも開かれている


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?