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神田川の秘密29の5 桜・神田川・カップルとくれば撮影会だね

二十九の5 桜の季節は神田川も活き活きする

 神高橋の次は高塚橋。
 その次の戸田平橋まで遊歩道を下ると、欄干にもたれた若い女性が笑顔をいっぱいにして写真におさまっていた。花柄の着物に袴を着けているから、卒業式を終えたところなのだろうか。写真を撮っている若者は痩せ型の外国人で、上着なしのYシャツ姿だった。見るからに薄着で、防寒着の川旅老人にはいかにも寒そうに見えたが、若者は気にも止めず、何度もシャッターを切り、切るたびに彼女に写真を見せていた。寒くなんかない、暑いくらいで、できたら脱ぎたいほどの躍動感だった。

最寄駅は高田馬場

 遊歩道をさらに下がると、神田川は新目白通りと明治通りとの交差点に行き着くが、交差点の僅か手前で新目白通りに高田橋が架かっている。交差点をほんの少し過ぎたところで、明治通りに架かっている橋が高田橋。二つの橋は指呼の距離にある。

左手は神田川の本流、右手は妙正寺川と分水した神田川の
混合水の流れ。右手の流れは白山通りの地下を流れてきた

 下流の高戸橋から見ると、下落合で分流した水が高田橋の下で勢いよく合流していた。この合流水は新目白通りの地下を抜けて来た水で、妙正寺川は神田川の分水流と一緒にここで神田川と合流しているのだった。「神田川再発見」(東京新聞出版局)によると、そもそも妙正寺川は下落合で神田川と合流していたのだが、洪水対策のために新目白通りの下を暗渠で高田橋まで誘導されたのだと書かれていた。

 井の頭池から神田川に沿って歩き、高田馬場まで下って来たが、川はもはや自然の流水でなくなっていることがわかった。川の形を変え、流れを変え、分水し、調節される。洪水対策が名目となっている。だが、神田川は年を重ね、手を加えられ元の姿を失い、自然の機能(清流と生き物の生息地)を失くした。
 そして、今度は失った多くの自然(清流、魚、蛍、野鳥、せせらぎ)を取り戻す事を「事業」にして再生工事が進んでいる。そのために地下水をポンプで組み上げて流し、汚水処理場を建設して下水を高度技術で再生して神田川に流している。

 大都市東京の汚水処理は大変な事業だということは誰でも理解できる。
 東京都下水道局の広報では処理した汚泥は東部スラッジプラント(江東区新砂3丁目)へ圧送して処理しているそうだ。濃縮・脱水・炭化して焼却処理している。圧送は特許を伴う新技術だそうだが、ポンプでパイプを通して送り込む。落合から新砂3丁目までパイプが繋がっているのだろうか?
 汚物から分離し、「高度処理」した水は新宿界隈のビルに送られてトイレの洗浄水などに再利用されている。更に、この再生水は後でも触れるが、トンネルを通って、川の水が枯渇して機能不全になっていた渋谷川、目黒川へと注がれていることはすでに書いた。そして余水は神田川へと三度び放流されている。
 
 汲み上げた地下水と汚水を処理した再生水とを同じ清流と見るかどうかは判断が難しいという考え方があることは先に紹介した。例えば、高度処理した再生水を皇居のお堀に流し、堀の水を清浄化しようという案があったそうだが、いつの間にか立ち消えになったそうだ。皇居のお堀には流さないが、神田川には流している。遠くは目黒川にまで流している。

「清流」と言っても誰も疑わない神田川

 地下水と再生水が混じり合った神田川は流域に親水公園がいくつも建設され、区民参加の生き物調査が実施されている。蛍が戻ったとか、鮎が遡上しているなどの報告もある。神田川の営みは複雑だ。

ミャンマー料理の店
なぜか高田馬場界隈に集中している

 戸田平橋と源水橋の間に、ミャンマー料理の店があった。高田馬場周辺には何故かミャンマー料理の店が多い。その並びに「白カレー」の看板を出している店があって、食べに入った。初めてだったが、まあまあと言うところか。しかし、イメージはズレる。

鉄の扉の奥、突き当たりが白カレーの店
ターメリックの色に慣れているからちょっと違和感あり
白カレーのカツカレー
雰囲気イマイチですが、味はまあまあでした
この景色に違和感がなくなった。
これは都市型の川の姿なのだ


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