神田川の秘密29の4 高田の馬場駅近辺の神田川、意外なほどの高低差がある
二十九の4 高田馬場駅周辺の神田川、意外なほどの高低差がある
田島橋の右手脇からこれまたレトロな商店街、『さかえ通り』になる。
高田馬場駅に向かっているのだが、川からは少しずつ離れていく。居酒屋、大衆食堂、焼き鳥屋、ラーメン屋、つけ麺、トンカツ、牛丼、中華料理、韓国料理にベトナム料理。ミャンマー料理の店まであった。文字通り飲み食い通りになっている。この通りの真ん中あたりに友人が経営する焼き鳥屋チェーンの店があったのには驚いた。抜けると高田馬場駅になる。
来た方向に戻るような感じで馬場の駅前をぐるっと回り込む。坂を左手に少し下ったところが神田川のはず。しかし、坂は下り切ったところで行く手を戸塚地域センターのビルに塞がれ、道路は右へ直角に折れていた。ビルの左手横は西武新宿線の高架線のセメント壁が城壁のように切り立って聳えている。ビルと城壁の間に鉄の扉があって、その先は駐輪場。扉の前はシェア自転車置き場となっていた。
鉄の扉は開けっぱなしで、城壁との狭い境道を通り抜けることができた。高田馬場駅の近辺は狭い路地が入り組んでいて複雑になっている。アップダウンもある。体力と記憶力が衰えた老人には厳しい街並みだ。
山の手線と西武新宿線とが神田川の上を走っている。
跨線橋というのがあって、太宰治は橋の上から通り過ぎる列車を見おろすのが好きだったと聞いたことがある。東京は列車が川や道路の上を走っているから、通過列車を下に眺めることのできる橋は少ない。
高田馬場駅の近くでは鉄路を支える橋脚が邪魔するのか、ここだけ川岸がくびれていて幅がない。しかもS字にくねっていて、急な下りにもなっている。流れが早い。山の手線の真下が特に激しく括れている。流れが激しくぶち当たる場所には分厚いコンクリート壁が二重に補強されていた。もうここを拡幅することは不可能だろう。
神田川の水を下落合の新堀橋で妙正寺川に分流したのは高田馬場を迂回したいがためだったと理解した。血栓で詰まった冠動脈に、バイパスを通して血液の流れを確保するようなものかと思う。
西武新宿線高架下で、神田川はボトルネックから解放され元の川幅に戻り、流れは緩やかになる。戸塚区民センターの護岸は傾斜が緩やかに作られていて階段で川辺に降りることができる構造になっていた。普段は門を閉めて川まで降りることはできないが、新宿区が主催するイベントの時には一般区民が川に触れることができるし、コロナがなければ、区民参加で神田川の生き物調査をしていると広報されていた。ここに架かる橋は神高橋で、ここから遊歩道が再開される。やはり心が和む。
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