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ある教団での会話 (2/7)

私、デルタは今、ろうそく揺らめく薄暗い小部屋で、椅子に腰かけて座っている。

支えを失った心の拠り所に"数"を求めて、数日前に団体であるハルモニア教団の門戸を叩いたところだ。

丁度、なぜハルモニア教団が"数"を信条するかという話を聞いた。

石板の前に立つ男、ゼータが口を開いた。

「"数"こそ森羅万象の共通項、だからこそ”数"の探究が世界の把握につながる。ゆえに我々ハルモニア教団は日夜"数"について研究する。」

ゼータは続けた。
「では次に、数にはどのような種類があるのかを話そう。初めの出発点は有と無、"ある"か"ない"か、つまり"$${1}$$"と"$${0}$$"だ。」

ゼータは石板に"$${1}$$"、"$${0}$$"と書き付けた。

「着目した対象が"ある"ことを数"$${1}$$"で表す。着目した対象が"ない"ことを数"$${0}$$"と表す。ここまでは理解できるか?」

「理解できている、と思います。」

「有と無の話だけでも深遠で、尽きない話題なのだが、先に進もう。この$${1}$$と$${0}$$という極めて単純な事実から、それはそれは豊かな数的世界が広がる。」

「今、有と無を概念として把握した、では次に、"加える"という概念を明確にしよう。着目している対象が"ある"とき、"$${1}$$"と表現する。例えば私ゼータが今、羊に着目しているとき、もし私の家に羊が"ある"のなら、『羊が"$${1}$$"匹いる』と言い表す。」

「ここで、もし『羊が"もう"$${1}$$"匹いる』状況ならば、どのように表されるだろうか……。これはこう書き表す。」

ゼータは石板に"$${1+1}$$"と書き付けた。

「今、着目している対象『羊が"ある"』という事態を"$${1}$$"と表したとき、その羊がさらに付け加わって"ある"という状況を"$${1+1}$$"と表す。これは、"このように概念を規定し、書き表すという決め亊を作った"という話だ。」

「"着目している対象"は自由に決めてよい。気ままに考えてもよい、状況に応じて適切に選択してもよい。私の家の羊の例では、いわゆる足が四本あって、毛に覆われていて、目鼻口がついていて、メェ~と鳴く"個体"を$${1}$$と決めた。この"個体"が”ある"ことを$${1}$$としている。」

「この羊の個体が"ある"ことを"$${1}$$"と表し、そして"もう一匹ある"ことは"$${1+1}$$"と表す、というのが今までの話だが、"さらにもう一匹ある"ことも同様に"$${1+1 + 1}$$"と表せる。」

私は首肯した。

「ここからが大切なことだが」

「"$${1}$$"と"$${0}$$"のみの数的世界に対して、"加える"という操作を付加すると、新たな概念の"数"が生成される。例えば"$${1+1}$$"であり、"$${1+1+1}$$"であり、"$${1+1+1+ 1}$$"である。このようにして次々に生み出される数を、我々は自然数と呼んでいる。」

「"$${1+1+1+ 1}$$"、"$${1+1+1+ 1+1}$$"、"$${1+1+1+ 1+1+1+\dots}$$"といくらでも作れる。そしてその度に"$${1}$$"を書き連ねるのは冗長で煩わしい。そこで便利になるよう、表記を簡略化する。」

「$${1}$$は$${1}$$、そして$${1+1}$$をまとめて$${2}$$、$${1+1+1}$$をまとめて$${3}$$、…。このように一字でまとめていく。以下、$${9}$$まで示す。」

ゼータは石板に次のように書いた。

$${1}$$
$${2 \coloneqq 1+1}$$
$${3 \coloneqq 1+1+1}$$
$${4 \coloneqq 1+1+1+1}$$
$${5 \coloneqq 1+1+1+1+1}$$
$${6 \coloneqq 1+1+1+1+1+1}$$
$${7 \coloneqq 1+1+1+1+1+1+1}$$
$${8 \coloneqq 1+1+1+1+1+1+1+1}$$
$${9 \coloneqq 1+1+1+1+1+1+1+1+1}$$

「最初、世界の絶対真理である有と無から初めて、対応する数$${1}$$と$${0}$$をしつらえた。そして、"加える"という操作を導入ことで$${2, 3, 4,…}$$という数を次々に生成していった。生成していった数をまとめて、自然数と呼ぶ。」

「数は世界を把握する根源だが、その中でも自然数は数の母胎である。全てはここから始まる。」

私はここまでの話を聞いて、思い浮かんだ質問をぶつけた。

「$${9}$$の次は何ですか?」

「その話は"掛け算"を説明した後にする。」

ゼータは手のひらをこちらに向けて、静止を促すポーズを取った。

「$${9}$$の次の数も新たな文字を対応させて、例えば$${\epsilon}$$なり$${A}$$なりで一文字で表してもよいが、少し、書き方を工夫する。そして、この話は掛け算という概念を説明したあとに解説する。」

ゼータは続けた。

「掛け算の話は、一旦脇に置いておく。まずは"加える"という操作、即ち足し算の概念を仕上げる。例えば、数"$${2}$$"、"$${3}$$"、"$${5}$$"の定義から、次の算術が成立する。」

$${2 + 3 \\ = (1 + 1) + (1 + 1 + 1) \\=1 + 1 + 1 + 1 + 1\\ = 5}$$

「このようにして、一方の数ともう一方の数の足し算が成り立つ。足し算の成立根拠は自然数の定義に拠る。ここまでで、質問はあるだろうか?」

「特にないです。」

私には、特に疑問はなかった。

「今、足し算という操作を導入した。では、今度は逆の操作を考えられないだろうか? 仮置きの数$${a}$$を立てたとき、$${2 + 3 = a}$$に対して$${a = 5}$$を求める計算を今実演したが、逆に$${2 + a = 5}$$に対して$${a}$$を求める操作はないだろうか?」

私は答えた。
「ないのであれば、新たに"そういう操作"を作ればよいのではないでしょうか。」

「その通り。"加える"という操作の反対、"引く"に対応する”$${-}$$”を新たに導入して、$${2 + a = 5}$$が成り立つ$${a}$$を$${5 -2}$$と表記する、という風に決める。」

今までの流れはこうだ、と言いながらゼータはチョークを動かした。

着目している対象があるか・ないか→$${1}$$・$${0}$$→足し算→自然数→足し算の逆→引き算

「今までの数の世界に操作を追加すると、また別の数の世界が産まれる、という流れを意識してほしい。特に、足し算→自然数の部分に着目してほしい。この部分から、引き算の次の矢印の先には何が来ると類推されるだろうか。」

「うーん、また新たな数、ではないでしょうか。」

「どんな数?」

「・・・、わからないです。」

「自然数の限界を補完する数的世界、と私の口から言ってもわかりづらいから、具体例を出そう。」

「足し算という操作を材料に、今、引き算という操作を作り上げた。引き算という操作を利用すると$${2 + a = 5}$$を成り立たせる$${a}$$の具体的な値を求めることができる、と今説明したが、これは一方の自然数ともう一方の自然数から引き算を通して新たに別の自然数を生成している。つまり、この例では自然数の世界で操作が完結している。」

「そうですね。」

異論はなかった。

「ところが、自然数の世界ではどんな場合でも引き算という操作を行えるかというと、そうではない。例えば、$${2-3}$$の答えは自然数にはない。」

「そこで、どんな場合にも引き算が行えるように自然数を拡張する。ここが重要。」

「自然数$${a}$$に対して、$${a + x = 0}$$を満たす$${x}$$を$${-a}$$と定義し、こう表記すると決める。この$${-a}$$、つまり負の数を新たに考案すると、引き算を自由に行える。」

「$${2-3}$$は$${0 + 2 - 3 = \{1+ (-1)\}+2-3 =(-1) + (1+2) -3  = (-1) + 3-3 = (-1) + 0 = -1}$$という経緯から$${2-3 = -1}$$が導き出される。」

「すみません、言いたいことがあるのですが。」

私は手を挙げた。

「話はわかるのですが、なぜそんなことをするのかがわからないです。」

「質問に答えると、」

「場合分けの煩わしさから解放される。自然数の世界だけで考えていたら『こういう場合は引き算できる』『こういう場合は引き算できない』と逐次判断しないといけない。それならば、自然数を負数まで引き延ばして、『どんなときも自由に引き算できる』としたほうが便利。」

「あとは、世界を描写する表現力が上がる。負数を設定すれば、『ゼータはボールを前方に10m投げた』『デルタはボールを後方に8m投げた』をシンプルに$${10m}$$、$${-8m}$$と表記できる。」

「納得しました。」

「では、休憩しようか。」

ゼータはチョークを置いて、部屋を出ていった。


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