結婚式
先日友人の結婚式に出席した。
大学時代も、ぼくが社会人になってからも共通の友だちと札幌に来てくれたり、ぼくがニート期間にも遊んでくれた。
チャペルの扉が開いて出てきた彼女は、それはそれはきれいだった。ひいき目でもなんでもなく、新郎以外がさわることはゆるされない、ほんとうに神聖なものだと感じた。
昔インスタで「ほんま世界でいちばんきれい!」と、ウェディングドレス姿の花嫁を載せている立席者の投稿を見て小馬鹿にしていたけれど、その瞬間のかけがえのない美しさは、まぎれもなく事実だった。
友人代表スピーチや主賓挨拶は省略したのに、乾杯の音頭はぼくを選んでくれた。唯一立席者の前で友人が話す役割だった。めちゃくちゃ嬉しかった。
披露宴の席のメニューには、ひとりひとりにメッセージが書かれていて、これまた嬉しくて話す内容が少し飛んだ。
ただ、こんな一生に一回の機会に、確実にサラリーマンじゃないロン毛刈り上げピアスが出てきて、あまつさえ両家の前でいらんことは言えないと、直前までボソボソ呟いて練習していた。
会場があたたかったのでそこそこウケたし、ちょっとアドリブも入れながらちゃんと話せた。
自席に戻ってきても、シャンパングラスを持つ手はブッルブルに震えていた。あまりにもダサかったけれど、横の席の人にはちゃんとバレて笑われた。
披露宴も華美にでかでかとやるわけでもなく、立席者も少なかった(比較的たぶん)。
ピストルくらい腰の曲がったおじいちゃんが、ものすごくしっかりした声で、孫の門出を祝って演歌を歌っていたのには心打たれた。
新郎新婦の両親も全員に挨拶をしていた。
たぶん全員に、「きみが〇〇さんですか、そのときはありがとうございました」と、プチ情報を添えて話していた。
こんな親に育てられたらこうなるわい、と、すごく納得した。
お色直しででてきた新婦は落ち着いた紺色のドレスを着ており、ミニマルな式の雰囲気にもとてもマッチしていた。
お涙頂戴もない、ほんとうにただただ家族愛にあふれた、「幸せのおすそわけ」という言葉が似合う、彼ら彼女ららしい式だった。
スピーチでも言ったけれど、こんな人には一生かかってもなれないなと思った。今は「こんな『人たち』にはなれない」になった。
自宅に帰ってから、江國香織の「とるにたらないものもの」というエッセイ集を買った。
そのなかにちょうどたまたま「結婚式」という3ページほどの短編があり、
と締められていた。
結婚式で、ぼくたちをもれなく飲みこむ、あまりにも美しく、あまりにも巨大な幸福を真っ向から受けた。
その場にいる全員が、その瞬間、世界でいちばん美しい2人を見て、いいなあ、と、思っただろう。
新郎新婦には、一生幸せが続いてほしいと心の底からおもう。
ぼくはたぶん結婚しない(できない)けれど、少なくとも、ぼくのまわりの人には、どういう形であれ幸せであってほしい。
ヒーローでもなんでもないぼくにはできないことばかりだ。
幸せになってほしいと思うこともエゴかもしれないけれど、ぼくにはなにもできないかもしれないけれど、それでも勝手に幸せになってほしい。勝手に。
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