日本保守思想の研究 5

1 ドイツの政党
      ワイマール憲法前後

 ナチスがなぜあれまでドイツ国民の
支持受けたかから説明する
まず中世のドイツの農民の生活から縷縷説明する。

 地理を学習した方はご存知と思うだが ドイツの北部の土地は痩せている。
そんなところで農家をすれば科学肥料をやったりクローバーを植えたりする術もなかった時代やはり貧しく蓄えは無い均しいかった。
 いちど飢饉が来たり長い冬が続けば、無いに均しい蓄えはなくなり、誰かから
借りなければならない。生きていけない
 しかし、同じキリスト教はそれが駄目であった、何故なら、聖書の中で信者が信者に借金の利子を取っては駄目だとの記述があるからだ
 しかし、無いと有るとの市場のニーズはある(どんな時代でもかもしれないが)その時代の解決方法はどんなものか
彼は、キリスト教とその社会になかなか同化しないが子女の教育に熱心で知的レベルの高いユダヤ人にその仕事を任せた。
 ただ、そうなると生産性の差や富の等価比例的蓄積によってとんでもない格差を生じた、貧しく蓄え無い農民はビールを飲みながら ユダヤ資本論を唱えた
恨み節である、半分妄想であると分かりながら…
 時代は第一次大戦後のドイツに移る。
ドイツ帝国は負けた、但し前線にいた兵士はそうは思わない、ロシアはリタイアしたしイタリアが寝返ってもアメリカが参戦しても、実際ライン川を連合軍が超えてはないからだ。負けてはいないと…
 しかし、皇帝と金融家は講話を大戦中に求めた、なぜなら継戦能力は二三年で無くなる見込であるし、ドイツ国債がドイツ国内でこれ以上消化できないからだ。他国は金融大国イギリスが抑えている。
 講話後、国債消化のための天文学的インフレとドイツに取って屈辱的な再軍備禁止は、国民にとっては受け入れ難い事実になった。
これらの事実をヒトラーが思想的なもののベースとして、他国民には真に理解しずらいマインカンプを発表  そのホントの狙いードイツ型新ローマ帝国ー第三帝国の建設という、ナチスの思想の原点となったのだ。

 2  ドイツの政党
         ボン基本法

その後、ドイツが主権復活すると闘う民主主義国にならんとドイツ国民は決意した
 CDUはドイツの政党であるが、宗教政党ではない。CDUはキリスト教的バックボーンをベースとして闘う民主主義を進める政党である。
つまり、ハッキリしているのは間接的にもキリスト教に影響されていることである。直接でないしモスリム教徒の党員もいる。それはプロテスタントイズムのリベラルであるところでもあるからだ。
決して第三帝国の復活党ではないし
リベラルはそのような立場は取りずらい
SPDはドイツの社会民主主義ーそれはマックスウエバーらの学者が理想とした
ーを原点としている
 科学的社会民主主義を理想としている
のだ。したがって、CDUとは違う政策の
立法アプローチになるのだ

かくてドイツの政治的安定は確たる政党思想の確立によってもたらされたと個人的に思って








 

 

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