日本保守思想の研究 2

1 朝鮮半島占領と民主主義の始まり

 大日本帝国憲法を制定段階で議会を
制定したのはある意味でこの国の対立~
それはつまり違う保守思想の目覚めと
対立する保守思想の始まりを意味する
なぜなら黒田総理が帝国議会で超然主義演説をした、つまりは議会は政府の支配下にあるという趣旨だ。反発は大きい
このことは、のちの隈板内閣の原型つまりは我々が完全に見間違える、全く異質な思想の始まりでもある。
政府を土台に置いた保守思想と議会を土台にした保守思想の対立である。
一方は対外拡張主義、一方は民主主義の進化を信条とする2つの保守思想はいまだ脈々と現代にも生きている。
飾り程度の議会の権能が将来日本國憲法の精神的バックボーンになるとは誰も気づかなかっただろ、それまで時間はかからない…
多くの人の予想とうりに朝鮮を支配下に
おいたが、その知列な植民地支配は後の禍根になる対外拡張主義つまり大日本主義は前項にも書いた神聖日本帝国を創ることしか頭にない行動をする
創氏改名や教員の帯刀など余りにも無知
なそれはある意味、精神的に混乱しているとも言える占領政策ーそれはイギリスのインド征服を全く研究さえしていないものである、一国の文化や歴史を完全否定して同化など反発と対立と独立戦争を
産むだけである、イギリスのインド占領は東インド会社によるもので悪名高いカースト制やヒンズー教やその教義を尊重していた
勿論それらを触れ否定すれば忽ちインドは独立するし
かなりの少数の東インド会社の社員で実質インドを占領していたのでそうせざるを得なかったのだ、イギリスが近代的武器と人員を動員してインド独立戦争を闘っても勝てはしない
なぜ、このような卑屈な精神で朝鮮占領をしたのか。
前項で触れた、キリスト教への畏怖と恐怖によるものでその反動とキリスト教への反発的見せしめか代償行為とわたしは考える平たく言えばイジメでフラストレーション解消である
ようはその当時でさえ和魂洋才ではやっていけないのだ
勿論そのような戦争は結局のところ帝政ロシアの権益の衝突を引き起こし日露戦争になるがそんなこと多少頭のいい外交官なら情勢を読めるだろうそういう時代だったのだ、また戦争ということになるのだ
一方民権運動は帝国議会のより民主化を
大日本主義に要求した、勿論それは弱々しいものではあったが形式的だが実質的な内容は大日本帝国憲法の改憲ー天皇主権から国民主権への長い闘争の始まりである

2 日比谷焼打事件 大日本主義か小日本主義か

日露戦争の勝利とその講和は戦後の日本の分岐点になる日比谷焼打事件に繋がる
講和条約に不満を持った民衆が暴動を起こしたのだ
大日本主義の政治家にとってはあってはならないことである、神聖日本帝国にとっては戦争の勝利は皇帝の権威の絶頂である、それさえ否定した民衆暴動である
ここまで拡張したのにである
一方は民主主義の定着の証左であると感じたのだろ
余談だが戦後なぜ日本に民主主義が根付いたのだろうか?
わたしはこう考える

1 アメリカの国務長官グルーが知日家であって日本においての悪平等を見抜いていた、そのため信じられない農地改革などを成功させた

2 女性など少数派にも人権があり平等だと多数派の信じているとされている浄土真宗が教義にあったからだと

政治的にも政党内閣が続くつまりは
民主主義派が知らず知らずのうち大勝利していたのだ、但し第一ラウンドだが…
日露戦争後の対外拡張政策にアンチテーゼとしての小日本主義が生まれた
日露戦争のかなりの戦費負担と朝鮮占領占領は財政にとっては頭の痛いお荷物であるからだ
冷静な科学的見地からのアプローチである、曰く対外拡張主義をやめる朝鮮占領は産業にとってはマイナスだからやめる
ましてや欧米諸国が植民地支配をやめ始めたという世界的潮流も始まった
後に総理になる石橋湛山などが唱えたが
昭和の前期に完成する、大政翼賛会成立までの血みどろの闘争が始まるのだ

3章は 比較政治制度論を投稿するつもりです、ちょっと息抜き💦












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?