余裕がないと病気にもなれない、ほか
ネガティブなことがネガティブな評価を受けやすい。
老人を大事にしなさいは、かなり死語に聞こえるのは気のせいか?
歳をとれば、あちこち痛くなり、不調になるのだが、それをたくさん聞けばまたか、となる。
家族や部族を考えた場合、余裕がなければ、痛いことや不調になるのを、カミングアウトしずらい。
もちろん、家族仲が悪いこともあったり、いざこざ続きの親戚なら違ってくる。
しかし、個人が妙に切れた関係にあるとき、それを外注化したり、何かに頼むというのは、かなり無機質になる。
家族時代が、クッションなのは分かるが、この世で家族という体系が合わないときは、不利になる。
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話を聞いたところ、まだ家族の団結力は強いらしい。
法律を出すまでもなく、家族の役割というのが、習慣として染み付いているのだ。
そのなかに、個々人のクッション機能はいうまでもなくある。
残念なことに、虐待やDVなどやると、生物的に負の学習しかされないらしい。
いや、最近の心理では小さいうちはいいが、ローティーンにもなれば、外向的になり、友達付き合いで人格ができるというから、結局は「縁」なのか。
しかし、虐待やDVがメンタル医の専売特許だとしたら、それ以外の可能性として、個人が何処で?何に対して?どのように?被害に遭っていることを考えた方が早いことになる。
結局「説」や「データ」としての話だから、各々が一番よいのは、何を目指せばよいか?になる。
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