灰谷さんと「だって人間関係だもの」

灰谷さんは、すでに準古典児童書なのか?
児童書でうろつく中高年も気持ち悪いが、人間は見かけで判断してはならない。
書店の児童書を眺めるという理由もある。

大人の記事に限らず、児童書などにも偉人や名選手、有名人などは、本になりやすい。
名前で売れるのもあるが、時の人だから仕方ないのだろう。

しかし、戦中後の児童作家などのエッセイを見ると、やむを得ずエグいことやった、というのがある。
やらないに越したことないのだけど、喰うためとか、貧乏ゆえとか、事情がある。

もちろん、戦争の勢いを書いたあと、一転して戦争の悲惨さを書いた作家もある、作家は虚を描くゆえなのか?

山中恒氏などは活発な子供を描くが、少し間違えれば今なら問題なりそうな作品もある。
いや、そうしなければ生活を守れず防げないこともある、というメッセージが強く込められている。
綺麗後だけでは、生きていけないのは現代でも同じではないか。

灰谷さんの作品からは哀しさが感じられる。
失敗もしてしまうが、人間だからやってしまう哀しさだ。
ひと昔前に比べ、失敗を許す雰囲気はなくなった。
失敗しなくては良くないことが分からず、何も得られないのに、先に正解を与えるのは、どこが教育か。

間違えたり、失敗しても、許容できる広さは必要なのだけど、大人世界が厳しい。
強迫神経症にならない方がおかしい。




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