公の場が分からなくなっている

首相を襲ったり、北海道の鉈男のように、捕まれば本質は闇に葬られる事件が最近多い。

暴力はよくない。

良くないけど、それを封印してケラケラしていていいものか?とも思う。

専門家や著名人も暴力はいけない、といいながら、次のテーマに移ってしまう…事後研究をしてない印象がある。

なんというか、難しい事件や現象というのが、考えずに他人任せになるとき、それは「水に流す」という祓い浄めの儀式になってしまう。

そして、結局忘れ去られる。

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なぜ、私がこういう暴力性に拘るか?と言えば、単に気になるからで他人事ではないと思うからだ。

たとえば…

加古川ストリートピアノ撤去される

これの何がいけないのだろう?
要は公の場において、どのような振る舞いが許されるか?というのが、演奏者に任されている。

いろんな人間が駅は使うし、誰が弾いていいのだけど、どんな弾き方をしてもいいものではないというのが、隠れたメッセージにある。

老若男女向けに、どういう解答がよいのか?

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よしもとさんは神経症をやりながらも、おおらかな生き方をしているように私には見えた。

でも、最近は彼女は若い子にも注意するらしく、私が言わなきゃダメなのかな…云々なことをエッセイを書いていた。

あの方が言うくらい…というか、人間は歳を重ねると、何か見えてくるものがあるのかもしれない。

〇〇はこういうもんだ、みたいな。

河合さんとの対談では、近年にかけて昔の不文律(≒エチケット)みたいなものをドンドン捨ててきたというのが、20年前に書かれていた。

捨てたはいいけど、次にどう立て直すのか?をやってこなかったツケがいま回って来ているように私には見える。

ストリートピアノなんだし、何をどう弾いてもいい、と思うのが水面下には結構居る気がする。

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