一般人と感覚が違う
有用で実用的な情報がネットでは目立つ。
専門的な知識を得るために時間というのが、ネックになっていたため、いままでネットの調べものは、ディープなものもあった。
「哲学」などで、ググれば、それらしき書物が検索で上がってきて、思想より商売根性なのか、と思わせる。
思想や宗教のサイトはまず、トップに上がらない。
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いつのころか?
あるメンタル医は、専門バカも稼いで食っていかなくてはならない、と話していた。
いまなら、当たり前だろう、と突っ込まれそうだが、パトロンや書生という、浪人の形で居場所があった時代を懐かしんでおられた。
いまは、働かざるもの食うべからずで、フーテンが叱られるどころか、無視されたり、無関心扱いな雰囲気が強い。
賢い若い子なら、どうすれば必要なだけ働き、フーテンになり叱られない線ギリギリを通る。
よく、世の中を観察している。
どちらに、転べば良いか?を考えている部分は計算高く、ときに冷淡にもなりうるが、それだけ時代がシビアだ、とも言える。
しかし、一般の路線を通り、一般の生活を目指していた方が、当分の得策ゆえ、皆が目指す。
一般の線から外れれば、まず、生活に不利どころか、扱いもアレになると、親はともかくSNSから、よく学び、外れる線に行く事を目指さない。
第一、普通は良くないなど、言い出したのは、余裕を持ち経済自活をできる人間…医者やエリートである。
余裕がなければ、一般から外れるのは予感的な脅威ではなく、現実的な脅威である。
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