新自由主義と才能


森卓の本で気になるのがある。

新自由主義と才能だ。

いや、森卓以外にもリベラルとか、知識人などでは、同調圧力や平等悪が、天才の足を引っ張ると言う時がある。

たとえ、右でなくても、新自由主義にかぶれてなくても、天才の足でまといになるとして、ベーシックなものより、新奇なものや、開発、発明的なものを重視する傾向が、ある種の知識人にはある。

神童も大人になれば、ただの人とはいうが、大人になっても活躍するというのは、実をいうと毎日トラブルなしに、タスクをこなすのが、良いとされるからだ。

何かの職業を見てみれば良い。

ある職業につくというのは、それだけで、その道に入ることだし、考えてみればサラリーマンだって形式的には、職人のようなものである。

なかには、誰かより何かが優れているという、可能性を追うものもいるが、何かに優れていなくてはならないというのは、実は息苦しい。

子供の頃に目立ってできたことも、大人になれば大したことがないと、どこかで気づくものである。

付加価値を付けることはアレだが、ベーシックにどれだけできるか?というのも、大事である。

成長ばかりに目を向ける弊害は、アチコチに見られたが、そのクセが抜けないと、あらゆる場面で成長しないと気がすまなくなる。

強迫症のようなものだ。

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