誰がマトモかって…


売春をやり数億騙した事件が問題になった。

しかし、夜の仕事は考えてみたら、数日で計算上、その位は当たり前に動き、グレーギリギリではないか?とも、思う。

世の中の処理の仕方が、不幸に売春に走った…云々の方に流れ、事実の善悪、判断はみごとに曖昧になった。

粗雑にいえば、上手くいくというのは、失敗ギリギリでも走れることだし、失敗ばかりというのは、ある種のセンスが足りなかった、とも言える。

もし、生きることがこのギリギリのラインで走り、それなりの生命力なり、器用さ、センスがとわれるならば、普通に人間が生きているのも、凄いことだ。

いや、何もここから犯罪を甘くみたり、邪悪を肯定したいわけじゃない。

吉本隆明が、50年くらい前の世の中を見て、会社が違法、合法スレスレを歩むのは、どこも同じだ、と言っていた。

もちろん、それから時代は経て、多少なり人間や世の中は、良い方に進化しなくてはいけないが。

だが、いなばや、ビッグモーターなどみると、あれは分かってしまったり、積み重なったのが、急に崩れたものだと、そんな気がする。

汚いことだけど、やらなくてはならない、というのから、なかなか進まないでいるのが、本当のところではないか?

むかしと変わったのは、なるべく〇〇しないでおこう、というのがない感じがある部分だ。

損得や生活維持から考えたら、それは甘ちゃんかもしれないし、世の中も甘くないだろう。

だけど、水が分水嶺を超えたら流れ落ちるように、その積み重ねが、いずれ変なことになりやしないか。

その不安定さのなかで、世の中や生活が回っているのか?と、そう思えなくないが。

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