非行心理あるいは捻れた問題


トー横が問題になって久しい。

問題起こしている子を前にしても注意できない公安や指導課の人間がいるときく。

グリ下も似たようなものだろう。

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病人の罪人の解放はヨーロッパの方が早かった。

彼らは罪を償う存在ではなく、治療を受けるものである、ピネルの言葉がいま、どのくらい生きているだろうか?

黄巾の乱ですら、反省と懺悔が中心で、改心させるという手法があったようで、病人と罪人の線引きは定かでは無い。

「おかしくなるのは〇〇していたからいけない」

これは、とても言いやすい。

しかし、これで果たして患者が懺悔して、健康の道を素直に歩むだろうか?

生活習慣病ではないが、病になる時間分、治る時間もそれなりにかかるのだ。

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戦後のドサクサは無法を産んだという。

たぶん、墨田界隈の古い人間を尋ねれば、何か知っているだろう。

戦後の無法もまた、戦争の結果である。

1度、CHAOSになれば、再び元に戻すには大変な労力が掛かると言う。

上野の無法地帯の整備に大量の警察が時間をかけて、建て直したと言われる(戦後本より)。

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このように、1度混乱すれば、人間が傷ついたか?スリルを味わってしまうのか?すら、もう見境が無くなってしまう。

もちろん、傷ついてまで不衛生なことはしたくないはずだ。

しかし、生きるために選ばざるを得なかった道を歩むと、どうやら身体が覚えてしまうらしい。
ADDICTIONと生活は深い関係にある。

トー横の例は人間一般の不幸である。

だからといって、私一人がなんともすることはできないし、彼らの境遇で生まれたら、彼らのように生きるかもしれない。

大人ですら、なんとも出来ない事態というのは、あらゆる意味で「弱さ」である。

もし、強く機智に富むならこんなことにはならないだろう。

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