調子に乗らない
たとえば、カラオケをやった後のノリで街を歩くとぎこちなくなるように、世界や人間や見える景色が違ってくる。
調子に乗るのは、こじんまりとしたところで済ますというのは、処世術だ。
いらん誤解を招いたり、初見とは違った印象を持たれ、その後の対応がおかしくなることもある。
ただでさえ、躁的な言動は、どこかどこかに連れていかれそうな、軽やかな不安がある。
それは、見るもの聞くものを酷く不安や不快にさせる。
…冷笑系シリーズを書いてきた私が言うのもなんだけど、冷めている、あたかも世界を知っている、他人を見下すような振る舞い…などなど、落ち着いて見た時の、躁的な振る舞いは、どうもついていけないものがある。
しかし、考えてみれば結果だ。
いまのように振る舞うのも、そうなる道筋があるから、そうなるのだし、たとえ見た目が良くなくても、そのようにならなければ、生きにくくなる予感が過去にあったのだ。
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